JOC副会長をこっそり辞任 日大田中英壽理事長の胸の内

(敬天新聞 平成30年6月号 3面)


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JOC副会長辞任

ところで、日本大学の田中英壽理事長が一番の名誉としていたJOCの副会長職をこっそり辞任していたことがわかった。

東京オリンピックを万全なものにするため、自ら身を引いたのか、周囲から説得されたのかはわから無いが、日本が一丸となって応援しようとする東京オリンピックのためには、先ずは良かった。

下村博文議員が文科大臣だったとき、田中理事長と大物親分の交遊関係を国会で牧義夫議員から質され、自分が責任をもって調査すると言っていたのに、有耶無耶にしてしまっていた。

このままでは日本の不利益になり、オリンピック開催時に必ず再燃するのは間違いないと思われていたが、その心配は無くなったのである。

JOCの副会長という肩書はやはり大きく、各界でも一目置かれ、さぞかし役に立ったに違いない。世界的なスポーツの祭典であるオリンピックを、主催国の副会長で迎えたかったに違いない。何はともあれ辞任の決意には拍手を送りたい。田中理事長をJOCの副会長に推薦したのは、日本加工製紙の故塩手満夫会長だった。

JOCの存在は普段は誰も気にも止めない。オリンピックがある年でも、そんなに注目される職種でもない。況してや副会長という立場は、殆ど出番そのものはない立場である。寧ろ有名スポーツ団体のトップの方が注目度は高い。田中英壽氏は名より実を取る人なのであろう。

相撲界では実力的に盤石の地位を守っていて、プロの大相撲界でも、アマチュア界でも、断トツの人脈を誇っている。しかし今は、功績と弊害の両方に揺れているというのも事実である。やはり何でもそうであるが、長くなると、弊害は起こる。本人は同じことを繰り返しているようでも、時代も変われば、教え子の気質も変わってくる。周囲の目も変わろう。

レスリングの栄監督がいい例である。今のところ、表立ってはいないが、いずれは不満が噴出する要素は山ほどある団体ではある。 日大からは過去にJOCの会長が何人も輩出されている。柴田勝治元理事長、フジヤマのトビウオ古橋広之進元教授、八木祐四郎スキー連盟会長等である。日大はスターの宝庫である。

あらゆる日本中の有名な親分の力を背景にその地位を築きあげた田中理事長体制が、その役目を亀井静香元議員をリーダーとする危機管理隊に乗り換えて、盤石を期していると思われたが、どうも風向きが宜しくない。驕る平家は久しからず。全ての報いは因果応報。お天道様は全てお見通しだよ。


篠竹監督と私

もう、随分と昔の話になるが、私(社主白倉)と日大アメフト部の関係は、私が「新宿(ジュク)の顔」と言われた加納貢会長との縁で、名将・篠竹幹夫監督の秘書をしていたからである。

私の場合、文理学部とグランド以外は出入りしてないので、知っている人は交流のあった三十年ぐらい前のアメフト部の学生と父兄、当時のコーチ、一部の教授ぐらいである。当然ながら、皆さん殆どリタイアされている。今大学に残っていて、当時を知っているのがアメフト部監督内田正人である。あの頃の内田は弱者の気持ちがわかる、いい奴だった。

篠竹監督との関係は、過去にも記事にしたことが何度かあったけど、「百聞は一見にしかず 」と写真を掲載した次第である。

篠竹監督との思い出は語りつくせぬほど多い。篠竹監督は日大でも特別有名な名物監督でもあったが、横浜でも有名人だった。週に一度は横浜中華街で食事をするような人で、横浜をこよなく愛した人だった。

私が知り合った頃の篠竹監督は、歌はシャンソンしか歌わなかった。決して上手いというような歌唱力ではなかったが、本人はプロ歌手よりうまいという自負があったようだ。かなり強烈な思い込みのある人で、お付きの監督専用マネージャーは大変だった。

例えば、「この前、その窓から女の顔が見えた」と篠竹監督が言うので、私が「そんなことはないでしょう。此処は二階ですよ(監督室は二階にあった)。何かの錯覚でしょう」というと、「おっ、俺を信じないな」と言って、直ぐマネージャーを呼び、「おいっ、昨日女が、その窓から見えた時の状況を話してやれ」という。

そうすると、その場でいかにも見たような話を、身振り手振りを交えて話をするのである。話が下手だったら鉄拳が飛ぶ。こちらも状況を深読みし、納得した振りをすると、満足して喜ぶ人だった。

最初は状況を理解できないから、「あり得ない」を連発していたので、その度に「お前の説明が下手だから白倉が理解出来ないんだよ。次の奴に代われ」と鉄拳が飛んでいた。今思えば、私が「嘘を呑み込めない」性格のために、マネージャーに迷惑をかけてしまった。謹んでお詫び申し上げたい。

あれだけの厳しい教育を受けていたから、今頃は立派な社会人になってることだろう。もう五十五歳前後になっているのではないか。今だったら、あり得ない教育ではあったが、厳しい犠牲的精神、協同精神、奉仕的精神を強制することで、日本一を続けた監督さんだった。著書に「雄の時代」というのがある。

しかし、今の軟弱になった時代を見ずに亡くなられたのが、せめてもの幸せだったかもしれない。合掌。



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