敬天新聞6月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞 平成30年6月号 4面)



其の壱

▼森友問題・加計問題・自衛隊日報問題・財務省次官セクハラ問題を四点セットにして、野党は安倍総理の辞任を求めている。だから、野党は国民の信頼を得ないのである。こういうのを世間では、味噌も糞も一緒にするというのである。

全てを現政権の責任にするのはおかしい。モリ・カケ問題に安倍総理が関係した(口を出した)であろうことは、状況証拠や忖度から推認できる。だが自衛隊日報問題は、これらと性質が全く違うし、安倍総理には直接関係ない。

これは小泉総理時代の問題である。それに自衛隊が日報を隠したのではなく、政治の部分で隠した問題である。また財務次官のセクハラ問題も、あれは個人の資質の問題で、安倍政権とは全く関係ない(柳瀬元秘書官や佐川前長官は関係ある)。これらを四点セットと言って、騒ぐから国民の支持を得ないのである。

安倍退陣を言うなら、あくまでもモリ・カケ二点セットとして追及し、自衛隊日報を追及したいなら、当時の総理である小泉氏を証人喚問すればいいのである。自民党にも金目当てだけが目的のようなカス議員もいるが、党別指示率では、野党を総て足しても、全く相手にならない。

だから、安倍総理の支持率がどんなに下がっても、「解散総選挙」をされたら、また元の木阿弥さんに戻ってしまうのである。湾岸戦争の時、日本は世界で一番支援金を出した。しかし、「金だけ出して、額に汗しない」と世界中から批判された。それで、「非戦闘地域になら自衛隊を出す」と決めた。復興支援作業であるとか、である。

しかし、トップの終結宣言があったとしても、それに納得しない者は幾らでもいる。強い愛国心から、玉砕を望む者、仲間の仇を討つまで止めない者、様々である。 終結宣言の後に乗り込んで「平和活動」をしていても、それを平和活動と認めて感謝してくれる人と、敵対行為と感じる人は現実に居ることである。

海外活動に行くということは、そういう場所に行くということである。だから小泉元総理が言った「自衛隊が行くところが『非戦闘地域』です」と言った言葉は、正に詭弁であり、正鵠を射てない言葉であったが、アメリカとの関係から、そうやって押し切るしかなかったわけです。野党もその理論を突破出来なかったし、国民もまた、その時は同調したということです。

現地自衛隊の責任者は当然、毎日日報を書くでしょう。日報とは、その日の出来事をできるだけ詳しく書いた報告書のことでしょう。目の前で見た現地の出来事ですから、当然外国人の話になります。

その報告書というのは、毎日メールでやり取りされるのか、週単位で、或いは月単位で、書類になっているのかは、わかりませんが、本省の担当上司に報告されているはずです。

それが大臣に毎回報告されているかどうかは、わかりません。現実には、大臣は飾りのような存在で、しょっちゅう入れ替わるし、その省の現実を理解してるとは思えません。と大多数の国民は思っています。

それに国内の問題は、日本のことですから、日本国民で解決できることですが、自衛隊の海外日報は、外国と外国人の話ですから、文化や法律や認識の違いもあって、おいそれと発表することができないことも多いでしょう。だから、文科省や財務省が発表しなかったことや隠蔽したと言う問題と、自衛隊日報問題とは、全く別問題と言うことです。



其の弐

▼国民の七割が穏やかな政党を支持する傾向にある日本では、極論を述べる政党は大きくは育たない。それは右であれ、左であれ、同じである。右では「日本の心を大切にする党」だったが消えてなくなった。

左の代表は共産党である。ただ共産党は国からの助成金に頼らない独自の組織だから、他の党とは異色である。前回の選挙で野党が細かく分かれた。細かく分かれたことで、主張が良く見え、わかり易くなった。

ところが選挙となると、票は伸びない。一部分の政策では素晴らしくなろうが、他の面でカバーが足りなくなる。総合力では、足りない面が多くなるのである。そうなれば、やっぱり数の多い自民党しか選択肢がなくなるのである。数が多いということは、当然質の劣る者もいる。

しかしその者も、地元で国政選挙を勝ち抜いて来た者である。地元民から信頼を得て、国会に送りだされた代表ということになる。ただ調子がいいだけであろうが、口が旨いだけであろうが、金をばら撒いて選ばれて来ようが、代表は代表である。

当選してしまえば、それが究極の就職先とばかり、踏ん反り返ったり、金儲けばかりに奔走する勘違い議員も多いが、自分が選んだのだから仕方がない。選挙には金がかかるというが、それは昔の話である。昔は一般の人には選挙権もなかったし、特定の条件を満たす人しか選挙には出れなかった。

当然地元の名士で尚且つ大金持ちしか選挙には出れなかったのである。しかし、議員になれば、色んな利権が手に入った。連続当選をする者は、それで財を成していったのである。逆に落選した人は財産を擂ってしまったのである。

長年議員を続けたような家は、地盤・看板・カバンを創り上げ、次の代に世襲するのであるが、その受け継いだ者が、能力有る無しに拘わらず、利権に授かってる者たちが御輿として担ぎ送りだして来たのが、日本の選挙の実態であった。だから自分では問題解決なんて何もできない。その問題の専門家である官僚の作文を読むしか回答できないのである。

しかし今は、選挙に金がかかるというのは嘘である。自分の主張だけを訴えるだけでは、そんなに金はかからない。勝つために色んな細工をしなければならないことに金がかかるのである。票を金で買うとか、票を繋ぎとめるために必要な金である。

自民党が強いのは「枯れ木も山の賑わい」である。思想や宗教を含めて考えかたの幅が広い。片や野党は細分化してしまった。野党の欠点は経営能力(運営能力)がない(と思われている)こと。

もう一つは、批判しかできないと思われてること。政権交代を目指す政党を目指しているのなら、先ずは審議には是々非々で臨み、そして重要なことは常に、対案を出すことである。今の日本では、野党に比べて、与党が右側に居るのは事実である。

しかし、自民党の強さは、極端な右側体制に偏ら無いこと。それは七割の国民が「穏やかな右」や「穏やかな左」までしか、動かないからである。

安倍総理があれだけ叩かれても、麻生大臣の舌禍があれだけ多くても、安倍さんの支持率が下がっても、自民党の支持率が下がっても、野党の支持率が上がらない。

やはり国の運営という意味では、野党は頼りないのである。その理由は野党には「日本ファースト」という思いがないからである。やはり国民の本音は「穏やかな日本ファースト」を望んでいるのではないだろうか。



其の参

▼長年弊紙が追い続けてきた日大の闇にやっと光が当たりだした。今までマスコミでさえも忖度せざるを得ないほど、強力な危機管理隊で武装してきた日本大学現体制であったが、一人の青年の勇気ある謝罪で、その壁が崩れ出した。物言わぬ国民までもが物を言い出したのである。

監督・コーチに命令され「殺人タックル」を実行した加害者日大選手が、心から自分の行いを悔い、その全容を告白した。そして「たとえ監督・コーチに命令されたとしても、はっきりと断らなければいけないような悪質な行為であったのに、断れないで実行してしまった自分が一番悪い」と、自分の責任をはっきり認め謝罪しているのに、勝つために最高・最低な悪質反則を命令した張本人の監督が、口では「すべて自分の責任です。言い訳はいたしません」と言いながら、その内容は言い訳のてんこ盛りだったので、国民の反感を買ったのである。

しかも、その反則行為を選手が自分の判断でやったと、選手に責任を押し付けてしまったのである。私も内田監督の謝罪会見を見ていたが、相手側チームの選手に大反則をしてケガを負わせ謝罪しなければならない場面なのに、大見えを切ったように見える会見だった。

一応謝罪は口にしながらも、心の中では「俺は悪くないよ」というのが透けて見えるような会見だったために、マスコミの記者魂に火を点けてしまったのである。あの記者会見は酷かった。全く謝罪になっていなかった。その上、選手が勝手にやったような言い草である。とにかく、形だけ謝罪して、後は一切表に顔を出さず、時間の経過で、世間が忘れるのを待つ作戦というのが、日大田中体制の危機管理の常套手段である。

少しでも記事にされたら、即雇われた高級弁護団が億単位の恫喝訴訟を仕掛けてくるのである。それに躊躇して今までは色んな不正も表に出なかった。しかし、大学法人のナンバー2である内田監督(常務理事)の判断の悪さが、記者魂を覚醒させたのである。

田中英壽理事長と超大物ヤクザとの交遊は有名である。今でこそ、防衛隊をヤクザ関係者から警察関係者に切り替えたが、その密度な関係を私は身近で見てきた。その脅威もあって、マスコミもなかなか記事に出来なかったのである。

しかし、教育に携わる立場にもかかわらず、自分たちの保身のために、たった一人の学生も守れない現執行部に対して、社会から苦情が出た。その声を代弁してテレビが取り上げるようになった。

国から、年間百億も助成金を交付されてる立場で、一球団のスポンサーになっていいのかどうか知らないが、利害が絡んで巨人のオフィシャルスポンサーにもなっていたが、今回の件で自粛し、お互いのホームページからも消えた。やっと執行部の矛盾と闇に教職員からも声が上がり出したのである。

危機管理隊の中には、危機管理学部認可に貢献した元政治家を中心に元警察庁長官や元警視総監、運転ミスで通行人を轢き殺してしまった元特捜検事弁護士、無罪請負人と形容される弁護士もいる。この武装軍団の守りに甘えて、だんだん驕りが大胆になったのだろう。

その驕りと闇に、一人の青年の勇気ある告白が、光を当てたのである。その勇気を今国民が後押ししてるのだ。内田監督やコーチの矛盾した言い訳はどこかの総理や官僚の答弁のようにも聞こえる。爪の垢でも煎じて飲んでほしい。昔の内田監督は真面目でいい男だった。地位が人を作るというが、本来備わった才能以上の地位に着くと、人は変わってしまうのだろう。あ?、凡人でよかった。


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