自国を自国で守る覚悟は 主権国家なら世界の常識

(敬天新聞 平成31年2月号 1面)



これまで「我国を取り巻く国際情勢は、日々目まぐるしく変化している」という言葉を幾度となく耳にしてきた。それは、時にテロの脅威であったり、トランプ米大統領の言動による動乱であったり、例をあげればきりがない。

取分け昨年の四月に行われた南北首脳会談と、六月に行われた米朝首脳会談は、我国にとっては直接的な紛争に係る事案であったので動向が注視された。そして、北朝鮮の完全な非核化や日本人拉致被害者の安否と帰国、朝鮮半島の平和への道筋に進展があると期待された。

しかし、半年以上が経った今、進展がないままである。特に日本に係る問題は等閑になっている。韓国に至っては、国対国で交わした約束ですら、反故にして日本を愚弄している。元慰安婦も元徴用工も、竹島も韓国軍駆逐艦による我国の自衛隊哨戒機に対する火器管制レーダー照射という紛争も、韓国政府は話し合いの余地のない態度を見せている。

これが如何に信用できない「ならず者国家」であるという世界へのメッセージに成っていることを、もし良識ある韓国国民がいるならば、自国に猛省を促していただきたい。嘗て「押せば引く国」と揶揄されていた日本政府であったが、今度ばかりは毅然たる態度で協議の打ち切りを韓国政府に表明したのは、評価すべき進歩である。

いつまでも対立を恐れてヒラヒラと柳腰外交で、主権国家としての責務を誤魔化しながら、米国頼みと金のバラ撒きで安心を買うばかりの国ではいられまい。

ロシアとの北方領土をめぐる紛争も然りである。安倍首相とロシアのプーチン大統領の親密な関係とやらで動き出したかに見えた北方領土返還交渉も、期待された一月二十二日の日露首脳会談は進展が無く、その前の外相会談では、ロシアの腹の内が露呈した。

日本政府もメディアも主権に係る「紛争」であるのに相手を配慮してか領土「問題」という言葉を使う。しかし、ロシアとの領土をめぐる争いは紛争だ。先の戦争の末期八月六日広島に原爆が投下され、八月八日にソ連が中立条約を一方的に破って戦線布告、九日未明に参戦し、日本は八月十五にポツダム宣言を受諾して降伏することが決まった。

それでもソ連は侵攻を続け、日本が降伏文書に調印する九月二日までに国後、択捉、色丹の三島を、その三日後の五日までに歯舞まで占領した。ソ連は千島列島の占領はヤルタ密約協定による権利であることに加え、北海道半分の領有化も主張していた(ロシア革命に伴い米英仏の誘いで日本がシベリアに出兵したことに対する報復らしい)。

また降伏した日本人六十万以上を強制連行し(ソ連スターリン)、シベリア各地で不法な強制労働を虐げていた(平成四年エリツィンが日本に来日し公式謝罪)。

ソ連はロシアに成ったが、北方領土に対する腹の内は今もって変わらない。ともすれば、これまで二十五回にも及んだという安倍首相とプーチン大統領の会談は、領土交渉をダシに貿易協力と投資といった経済協力を日本から得たいがための交渉に他ならない。誘拐犯が身代金を要求するのと同じである。

これまであった領土交渉の経緯は各紙が報じているので詳細は省略するが、プーチン大統領は一九五六年の日ソ共同宣言による二島引き渡しをチラつかせていたが、世論の反発で態度を硬化させた。すべては自国の動向を見極めるためのアプローチで、首脳会談直前の外相会談でラブロフ外相の強固な発言は、交渉のハードルを上げといて、後に続くプーチン大統領が融和な姿勢を見せて、交渉を優位に進める作戦ではないかとの見方もあったが、結局日本の思惑は外れ、進展なしどころか振り出しに戻った。

そもそも四島のうちの二島を返還すると聞くと一見「間を取って仲直り」みたいに聞こえるが、ロシアの取り分「国後、択捉」は北方領土の面積九十三%を占めている。これだけでも納得できないが、戦争によって合法的にロシア領となった歴史的事実を認めることや、「北方領土」と呼ぶことも止めろというロシアのラブロフ外相発言は許し難い。

更に北方領土に貸与地を設け、五年間有効活用すれば、その土地を譲渡すると言って国民に対して地権者を募っていることや、軍拡を進めているという失礼極まりない行為を踏まえれば、交渉の余地は無いと言わざるを得ない。

これほど公然と馬鹿にされても共同経済活動による融和路線で、日露間の信頼を深めれば、領土を返してくれる日が来ると信じ続けて良いものか?信頼関係を構築しても、領土の話は別であるというのがロシア国民の総意である。ロシアの政治家に、或いはロシア国民の中に、日本の主張も一理あると理解する意見はあるのだろうか?

極寒の極東ロシアにおいて、農耕可能で安定した海上輸送が確保できて、漁場としても軍事面でも利点だらけの北方領土を、自国の領土は血を流してでも守るべきという覚悟を持つ国が、果たして信頼を深めたからと言って、一度手中に収めた領土を手放すだろうか。

北方領土は日本固有の領土であるのは間違いない。一ミリたりとも譲歩する必要などないだろう。だが今後、国際社会を巻き込んで歴史を論じる際には、終戦は八月十五日だとする日本国民の常識も、世界では九月二日とする考えがあることや、日ソ共同宣言(一九五六年十月)直前に、河野一郎農相(当時)が日ソ漁業交渉による国後・択捉放棄(同年五月)を約束したという説があることを直視する必要がある。

そして、何かを得るためには何かを捨てる覚悟も必要だ。「和を以って尊し」という精神が通じるのは国内に限って通じる性善説である。世界を相手に分け隔てなく和平を求めるのは、理想であっても現実的には難しい。

ソ連が日ソ中立条約を破って参戦したのは、他でもない米英の責任でもある。日本がそこには一切触れず日米同盟の下、対米従属路線にどっぷり浸かっているのは、自分の手を汚したくないというご都合主義だ。自国の主権は自国で守る覚悟と対米自立の覚悟を持てぬのなら、「憲法九条を守ろう」という呪文を唱え、奪われた領土や拉致された同胞を犠牲に「偽りの平和」に酔いしれて、今後は二度と新たに領土を奪われたり、家族が奪われることがないように祈り続けるしかないだろう。

しかしそれでいいのか。他国に依存する国家を完全な主権国家とは認めないのが世界の常識だ。それを脱却するには首相の覚悟だけではどうにもならない。国民の覚悟が必要なのである。

ロシアとの北方領土に限らず、韓国が実効支配する竹島も、北朝鮮による拉致被害者の救出も、南シナ海を軍事拠点化する中国の脅威に立ち向かうことも、全てに言えることである。生けとし生けるものが、生きるために己の正義を貫くには、戦う覚悟も必要なのである。

どんな正義を貫くにも、それは自分にとっての正義であって必ず相反する相手がいるのだから、覚悟無きものが負ける(舐められる)のは当然の摂理なのである。

安倍総理、『 覚悟無く どうせ叶わぬ 夢ならば せめて曲げずに 主張貫け 』。



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