いまこそ『立ち上がれ日大マン!』助成金35%減額は130年伝統の恥

(敬天新聞 平成31年3月号 2面)


真っ当な声明

一月二十二日、文科省は日本大学の交付する二〇一八年度私学助成金を三十五%減額することを発表した。言わずと知れた一連の騒動による処置である。これを受けて日大教職員組合が『日大に対する市民、社会からの信頼にかかわる重大問題である』として田中英壽理事長と大塚吉兵衛学長及び全常務理事の辞任を求める声明文を発表した。(声明文→click!)

名指しされたのは、いずれも『重大問題』と捉えていない現執行部の面々である。同組合は辞任要求の理由として、1.無責任な事後対応に終始しておきながら、未だに平然と居座っていること、2.理事会・評議会・幹事らが機能不全のまま指をくわえているだけだったこと、3.大悪の信頼回復と管理運営の改善に向けた話し合いに応じなかったこと、4.このような大学運営の惨状を、変えられなかった自分たち教職員にも責任がある。といったことを列挙している。

そのうえで執行部の即時辞任と、大学側が「危険タックル」で監督らを庇い、すべての罪をなすりつけた当該学生への謝罪、報道されている内田正人元常務理事=元監督の大学内での暴力行為(陸上部の井部監督に暴行)と井ノ口忠男元理事がアメフト部員に口封じを行ったことを第三者委員会で徹底調査することなどを要請している。

加えて「私学助成金の減額を理由に学生に経済的負担を増加させないこと」という要請も書いている。これは、事業部を作った当時、全学部からの事業を本部で一括すると決めて、仕入れが安くなった筈なのに、自動販売機のジュースの値段を一律十円値上げし、執拗に利鞘を稼いでいた実績があるから特に注意が必要である。改めて声明文を熟読すると全くその通りの内容だ。

事の発端はアメフト部の危険タックル問題だった。あのとき執行部は内田元監督の言い分をそのまま鵜呑みにして、内田元監督を擁護した。当該学生を批判したのである。井ノ口元理事は、当該学生とその親まで口を噤むように威嚇までしているのである。

アメフト問題以降、言い訳に終始し、説明責任がおざなりになって、やること為すことが後手後手の危機管理を露呈した。大学のトップである田中理事長はアメフト問題のさなか、パチンコ屋で取材され、「俺は関係ないよ」と答えた。 事態を収める筈の監督・コーチの記者会見では、横柄な司会者が「日大ブランドは落ちない」と質疑を乱暴に打ち切った。その皺寄せがじわりじわりと忍び寄って来ているのである。

一部の良識者はその怖さを認識し始めているのであるが、肝心の執行部が全く感じてないのである。

アメフト部の問題以降、レスリングや体操など色んな団体で問題が起こり話題になったが、それらの責任者は全て説明会見(実質的な謝罪会見)は果たしている。だが田中理事長は、誰かが作った原稿を発表しただけで満足し、未だ会見を開いて説明をしていないのである。そんな管理運営が不適切であると判断したからこそ、文科省は助成金三十五%カットを決めたのではないのか。

そんな中、危険タックル問題を捜査していた警視庁が二月五日、内田元監督と井上奨元コーチについて、当該学生に対し明確な指示は認められなかった(犯罪の嫌疑なし)と結論付けた。

弊紙は、この捜査の結論には正直いって驚いた。関東学生アメフト連盟や日大の第三者委員会が行った調査と結論はいったい何だったのだろうか? 元監督と元コーチの指示を裏付けた学生たちの証言までもが覆り、無かったものと成ってしまった。刑事事件的にはウインウインの結論で、誰も傷つかない決着で、「めでたしめでたし」のような感じもするが、何か奥歯に物が挟まった感じである。

これで国民は納得するのだろうか? 案の定、世論は「まるで学生達が嘘をついていたみたいではないか!」という声が大勢を占めていた。


大局的な見地

そんな折、著名なジャーナリスト江川紹子さんが「悪質タックル『嫌疑なし』は『理不尽』にあらず」というタイトルのネット記事を配信した。

江川さんは東京新聞のコラムを例に挙げて、「ではあの反則は選手の勝手な暴走だったのか」という警視庁の結論を理不尽とする論調に対し、「どうして、こんなふうに『百かゼロか』というシンプルな思考に走るのだろう」と問い投げかけている。

江川さんは、どちらの敵味方ということではなく、多くの事件に携って来た経験により培った見地で、刑事責任を問えないからといって、警察が「選手の勝手な暴走」だとか記者会見での「告白は嘘である」と認定した訳ではないのだから、物事を端的に結論付けてはいけないと諭しているのである。

そして刑事責任を問うには、証拠や証言によって、その人が犯した犯罪事実を一般人なら誰でも疑問を抱かない程度に証明する必要がある。捜査の過程で有罪認定の根拠であった筈の行動などが、映像解析などによって客観性が失われたのであるから、「裏付け証拠もないままに、多義的な表現を特定の意味に解釈し、人を有罪にしてはならない」と断じているのだ。

確かに世論が感情的になって冤罪を生じさせないためにも、江川さんの言うように「人を罪に問うのは、慎重なうえにも慎重でなければならない」というのは御尤もである。最近は、警察に情報を売ることでビジネスにしている者もいるし、そういう者から接待を受けたり、或いは小遣いを貰っている警察官もいる。

そういう意味も含め、警視庁の見解としては「刑事事件としては問えなかった」のであろう。スポーツの試合中の出来事だったから、そもそも刑事事件にはそぐわない事案だったというのも事実だろう。江川さんの論説は説得力がある。


問われる罪

ただ、忘れてならないのは、内田元監督が試合後の会見で記者に誤解を与える言動をしたのも事実だし、選手が反則を続けているにも関わらず、交代させなかったのも誤解を招いた要因である。

それとなんといっても、日大側の事後の対応である。相手側選手にケガを負わせたのは事実なのだから、試合中どんなに「潰せ」という強い意気込みの気持ちを持って臨んでも、一度試合が終わったら、お互いの健闘を称え合い尊敬する気持ちを持つことが大事である。それこそがスポーツマンシップなのである。そして直ぐに監督として、相手チームと負傷した選手に対し非礼を詫びていれば、相手側もあんなにムキにならなかっただろうし、刑事告訴などしなかった筈である。

とにかく、一にも二にも日大側の対応の不味さが際立っていた。内田元監督が謝罪会見を開いた時には「時既に遅し」の状態だったし、「学生を庇わない自己保身監督」というイメージはマスコミや世論がつくった虚像ではなく、内田元監督が自身の振る舞いによりつくったものだった。

そして最高責任者であった田中理事長は、最後まで会見は開かなかったし未だに開いていない。そういう大学の姿勢に対しての不満が、「監督の命令がなかったということは、学生が勝手に一人で判断してやったことなの? それはないよ」と言う意見になっているのである。

警視庁の結論は、「犯罪の嫌疑なし」だったけど、関東学生アメフト連盟は「除名」の結論を覆さないということだから、スポーツマンシップ精神の欠如は確実にあったということである。江川紹子さんの意見はともかく、今の日大体制に対して猛省は必要だろう。

今後の日大を改革するのに妙案が投書で届いている。内容は、社会を騒がせた問題の発端は組織の巨大化によるガバナンスの欠如で、今後このような失敗を繰り返さないために、大学の鏡となるべきトップは比較的中庸的な立場で問題の起こりにくい教員出身者が相応しいと考える。

なので大学は学術的な学問の場であるがために、教育現場の実情に精通した総長が大学の長となり、これを財政的・体制的に補佐するのが事務方のトップ(理事長)とすべきで、今はそれが逆転していることから異常な状態が起こっている。

今後は総長も理事長も任期を二期(六年)までとし、長期に渡ることによって生じる権力闘争といった弊害を絶つべきだ。今が執行部改革の絶好のチャンスである。と概ねこんな内容である。末尾には「日大は苦難を乗り越えて必ずや立ち上がります」と綴っているので、投書の主は真面目な教職員かもしれない。

紙面の都合上A4用紙二枚の投書を掲載することが出来ないが、ネットブログにて全文を紹介しているので御覧頂きたい。これを読んで、特に日大執行部と八千人の教職員には自省を求めたい。

そして良識ある日大関係者の皆さんは、一三〇年の伝統と信用が今壊れかけている現実を直視し、今こそ立ち上がることを切に願うばかりである。

(※投書全文→click!)



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