敬天新聞3月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 平成31年3月号 4面)



▼安倍政権がロシアに翻弄されている。四島一括返還を譲ってはいけない。遡れば樺太まで日本だった時代もある。

こういう国境地帯は、特に島々の歴史は、その時代時代で、あっちだったりこっちだったりした時代もあるのは事実であろう。現地に生活した人達は、綱引きする当事国に翻弄され続けてきたのである。

私の根拠は第二次世界大戦で日本がアメリカに原子爆弾を落とされ、勝敗が決した後に「日ソ中立条約を一方的に破り」宣戦布告をし、しかも日本が「ポツダム宣言」を受諾し連合国に降伏をした後も南下し、その後に北方領土の四島を占領したからである。

確かにそれ以前にアメリカ・ソ連・イギリスの秘密協定があったらしいが、日本が戦ったのは、アメリカを中心とした連合軍であって、ロシアとは戦っていない。ロシアの行為は火事場泥棒である。しかし敗戦国の日本は、何を言っても認めて貰えないし、言い返すだけの余力もなかった。

竹島も同じである。日本は韓国と戦争をして負けたわけではないが、敗戦したことで、「貴国の行為は火事場泥棒ではないか」と言う力も、取り返す力さえも残っていなかったのである。

結局どちらも、抗議をしないまま七十年の年月が過ぎ、「認めた状態」になってしまってるのである。

竹島の場合、資料を揃えて国際裁判に訴えてみればいい。韓国との問題では、慰安婦問題も、徴用工の問題も、国際裁判に訴えてみればいい。韓国問題においては、過去を問うより、未来志向でという国民も多いのだそうだ。

ただ北方領土の問題は、国際裁判に訴えても何の意味もないだろう。仮に日本の領土という決定が出ても、実効支配している現実があれば、ロシアは返すわけがない。裁判所で出た判決なんて、強国においては、何の意味もなさないのである。国連の多くの加盟国がどんなに反対しても、トランプ大統領の我が儘(アメリカが中心になって過去に作ってきた色んな取り決めを悉く自ら破棄)を誰も止めることができないではないか。

ソ連が崩壊した後、一度は四島返還の話も出たが、結局は政治的な駆け引きに使われるだけで、実現しないまま時間だけが過ぎてきたのである。

安倍政権下においては、色丹、歯舞群島の二島返還を主張する意見が主流になりつつあるそうであるが、現実にはエサをぶら下げた経済行為優先の話に過ぎないのである。

外交は常に相手国と利益は相反する。その駆け引きに負けてはいけない。世の中は強者が思うように動かし、弱者はいつの世も振り回され、従って行くしかないのである。

だからこそ、国民の幸せを望むのであれば、国として強国になるしか、方法はないのである。だからアメリカは敢えて、より強国になるために自国が中心になって推し進めてきた会合やルールさえ、壊し始めているのである。

外交問題で相手が不利になったとき、必ず使われる言葉に、「日本はナチスドイツの同盟国だった」というのがある。同盟国ではあったが、日本がホロコーストをやったわけではない。過去を問うて、悪いことをしてない国なんてありえない。弱い国は常に周囲からやられっ放しだから、他国に悪いことはしてないように見えるかもしれないが、弱いことで自国民を常に犠牲にしたこと、不幸にしたことは免れまい。それでも貴方は弱い国のままでいいと思いますか?



▼時々とんでもない時代遅れな差別的な発言をしたり、教養の無い発言をする議員がいる。何を勉強してきたのだろう? とか、どんな育ち方をしてきたのだろう? とか、思うことがある議員もいる。

単に意見の相違なら、それは仕方がない。そういう言葉が、その口から何度も出るということは、その人が心の中でいつも思っているということである。

日本人は、人前ではあまり本音は言わない国民である。しかし、議員は人前で喋ることが商売である。商売でありながら、喋ることが下手な人もいる。それはそれでいい、それも持ち味と理解してくれる人もいるかもしれない。

話が上手いからと言って、心の中と反対の話ばかりされても困る。国民の声を代弁、と言うのであれば、自分の考えを一切殺して、地域の声を吸い上げ発言すると言うのも、立派かもしれない。

しかしそれでも、根本にそれらしきもの(似た考え・優しさ・仁愛等)がなければ、長くは続かないだろう。長く実績が続いたり、権力が身に付いたりすると、どうしても地が出る。そんな時に、その人の真価が問われることになる。

議員は、人の為に生きる、社会の為に生きる、国の為に生きる、という姿勢が大事である。しかし、中々そんな人には出会わない。中にはそんな考えを持つ立派な人もいるのだろうが、一般には中々わからない。

最近は中央官庁の劣化が激しい。劣化というのか、今までは隠し通せたものが、隠し通せなくなったのかはわからぬが、とにかく中央官庁のミスが目立つ。

単なるミスなのか故意なのかは、今のところハッキリしないが、家族としての名誉や誇りより、金を持つことが出世したと考える昨今の風潮もあるのであろう。

恥を恥とも思わぬ社会、一線を越えていながら、責任を取ろうとしない組織のトップ、言ってはいけないことは墓場まで持って行くことを美徳とした人達までが、今は言わなきゃ損損という考えに変わってきた。武士社会で美徳とされた「士農工商」という考えが、平成時代になって完全に「商工農士」と、逆になってしまった。

アメリカを真似て経済的に発展したことは良かったが、悪い面までアメリカ並みになってしまったのである。物事には全て表裏があるので、良い面だけ取り入れようとしても、必ず悪い面もセットでついて来るのである。

ところで、桜田オリンピック担当大臣と言うのは、軽いねー どこの出身かね。よくあんな頭で選挙に通るなー 何か特技があるのかね。御輿に乗るのはバカで軽い方がいい、というのはよく使われる言葉ではあるが、あそこまでバカだと、担ぐ方も大変だと思うけどなー 安倍政権には、あんなレベルしかいないわけ? 昔なら、とっくにクビだろうけど、今は本当に責任を取らない時代になったねー。

 

野党も全く精鋭がない。国民も馴らされてしまってるのか、政治に関心がないのか、笑って済ましてしまうのである。 桜田大臣を辞任させれば、次は任命責任を問われるということで、生き恥を晒させているのだろうが、本当に責任を取らない世の中になってしまった。

ところで最近官邸や大臣が「遺憾」と言う言葉を連発するが、この言葉は具体的な言葉に靄(もや)を掛けて、意味合いを柔らかくする言葉で広く使えて便利な言葉ではある。本当の意味は「このバカ者が。つまらんこと言いやがって、どうしようもない奴だ」と解釈するとわかりやすい。



▼韓国ドラマの「秘密の扉」が突然終わった。

韓国ドラマは大抵突然終わるのが特徴である。それまでに毎回二転、三転して、これでもかこれでもかと、ハラハラドキドキの繰り返しだから、最後は収拾がつかなくなって、あれから何十年で終止符を打つのであるが、今回の「秘密の扉」は、言葉のやり取りばかりで、最初から最後までストレスの溜まるドラマだった。

やはりドラマは、最後は主役(正義)が勝つという筋書きが楽しい。人は誰でも自分を主人公に見立ててドラマを見るので、やはり主人公に活躍してもらいたいし、最後は勝って貰いたいのである。途中悪者から虐めを受ければ受ける程、応援したくなるのである。

「秘密の扉」の前の「仮面の王」も面白くなかった。主役が悪者に振り回されて、しかも陰でコソコソしてるばかりで、活躍の場が全くなかったのである。その前の「オクニョ」は面白かった。NHKは唯一国民から強制的に料金を徴収するテレビ局なんだから、娯楽番組においては、国民が十分に楽しめる事を考慮した上で、しっかり韓ドラも選んで放送して貰いたいものである。「朱蒙」(チュモン)とか、「奇皇后」とか、「イ・サン」とかは面白かったなー。

韓ドラが流行って、もう十年以上も経つから、もう一周回ってしまったのかなー? それとも今、日韓関係がうまく行ってないから、面白くない物語りを配信してるのかなー それとも我々の目が邪になっているのかなー? いや違う。

「仮面の王」も「秘密の扉」も、喋りばかり多くて、しかも王が側近に虐められ、王を助ける者まで、やられっ放し。「秘密の扉」など、主役の息子王が、自分を助けてくれる仲間まで殺してしまい、最後には本人も殺されてしまい、ストレスが溜まって、溜まって、しかも突然終わってしまった感じ。やはり最後は「正義(主役)が勝つ」で終わってくれないと、何か日本人はスッキリしないのである。

試しに色んな人に意見を聞いたら、やはり同じ意見だった。色んな人と言っても、私が聞くのであるから、高齢者の爺婆であるのは間違いない。日本の爺、婆は「勧善懲悪」が好きなのである。「朱蒙」の主役男優は愛国心の強い俳優(自国を愛することは当然のこと)であると聞いたが、作品の中で別に日本が故意に悪く描かれているわけでもなく、韓国の時代劇歴史ドラマの場合、究極の敵は中国なのである。我々国民は常に政治に翻弄されるところがある。時代によって、友好関係であったり、憎しみあったり。その国の文化の違いもあるから、一概にどちらが正しいと言えない面はあると思う。

ただ、その国の当時の代表と代表が交わした約束事(契約)は、公約であり守られるべきである。体制が代わる度に、「無効だ」、「有効だ」と変遷していたら、国際的に信用を失うことであり、誰も安心して外交など結ばないだろう。

国の体制は、その国の国民が決めることで、ある時は民主主義であったり、ある時は共産国家であったり、またある時は独裁国家であったりする。昔は王様とか、一部の貴族とかが支配したり、奴隷国家であったりとか、戦乱時代であったりもした。その繰り返しが歴史である。

そんな中で、外交は結ばれたりする。それが「あの時代は・・とか、あれは騙された・・とか」とか言われても、時代を検証するのは構わないが、取り決めを「無効」というのは、おかしいと思う。

外交での決め事は、その国のその当時のトップの判断で決めるもので、その時代の体制は関係ないのである。


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