敬天新聞4月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞 平成31年4月号 4面)


▼今月号が平成時代最後の「独り言」だそうである。ただ、その時の時事に合わせて思いの丈を書いて来たに過ぎない一ページではあったが、高齢者の皆さんにご好評を頂いたようである。おそらく物言わぬ国民の代弁者みたいなところがあったのだろう。

私は右側に立ってはいるが、どちらかと言うとその中では左側に位置し、穏やかな右側で、物を言っている(と自分では思っている)。

しかし、その捉え方は人それぞれであるし、理解の仕方もそれぞれであるから、結局のところの総評、評価はそれぞれである。要するに世の中は常に、「賛成、反対、どうでもいい」の三種類に分かれるのである。

私は死刑囚になるような犯罪者は大嫌いであるが、中には死刑囚と一緒になるような変わった人も存在するし、冤罪として支援する人もいる。ただ、最近は冤罪支援も理解できるようになった。

歳を重ねたからではない。世の中の不条理や矛盾を見つめていると、大抵の不条理や矛盾は、権力者の驕りや我が儘、その周辺者のゴマすり、忖度等から起きている。となれば、政敵に対してそのような仕打ちがされることもあるだろうとか、幾ら司法に命を捧げた裁判官であっても、一皮むけば同じ人間だし、やはり容疑者に対する「好き嫌い」だってあるだろうとか、考えるのである。

昔は聖職と言われた職業が幾つかあった。そんな職業に就く先生方も昔は、その職業に誇りや名誉を感じて仕事をされていた。一般人もそのような人に敬意と尊敬を持って接していた筈である。 それが人権や個人の尊重が叫ばれるようになった昭和の終わり頃から、特に平成になってから、そのような高い倫理観を持つ必要な職業に就いてる人に対しての敬意の念が薄れてきた。

また同時に、その人達もその誇りと名誉を忘れたかのように、金儲けに走りだしたのである。金を持つことが、全てに優先する幸福感、優越感と感じる時代になったのである。オレオレ詐欺の出現、特殊詐欺の出現が今の堕落した日本の典型であろう。

これこそが、アメリカ軍が描いた戦後の日本だったのである。日本を腑抜けにするための「3S政策」(スポーツ・スクリーン・セックス)が、戦後七十年を経て花開いたのである。

ここまで堕落してから立て直すのは大変である。先ずは学校教育であり、家族関係であろうが、そこを修正するには、何十年もかかろう。信用を築くには何十年もかかるが、信用を無くすのは一日で事足りるのと同じである。平成時代の特徴は詐欺犯罪が増えたことである。それも昔なら考えられなかった「オレオレ詐欺」とか「特殊詐欺」である。

これらの詐欺の特徴は、高齢者を騙すことである。長幼の情を大切にしてきた日本人の欠片もない犯罪である。先ずは詐欺犯罪に対する厳罰化から始めるべきだろう。間尺に合わないほどの厳罰化することで、犯罪者に躊躇させることである。そしてもう一度日本人としての誇りを持つ教育をすることであろう。

平成時代の終わりに自分の人生を重ね、仕事に区切りを付け、終活に入るという知人・友人も多い。私も一つの切っ掛けとして考えなくもなかったが、まだまだやり残して居ることも多く、身体的・精神的な不都合が起きるまで、日本人としての本音で書き続けて行こうと思っている。

▼人は誰でも生まれつきに、何処かの国に生まれ、何処かに故郷がある。ところが、中には国がなかったり、故郷がなかったりする人もいる。 もっと言えば、何処に生まれるか誰の子供に生まれるかは、生まれて来るまでわからない。子供は親を国を故郷を選べないのである。

そういう意味では、生まれた瞬間に差別に遭っているのである。それを守ってやるのが親の務めであるが、その親も力がなければ子供を守ってあげられないし、国もまた力がなければその親を守ってあげられないのである。

多種多様な時代とは言え、親子関係、家族関係まで壊れる時代になった。昔の人は兎に角、「辛抱」、「我慢」の気持ちを大切にして、「耐える力」を持っていた。それが現代は、国民に「我慢する力」がなくなって来てるような気がする。全てに短絡的なのである。人としての名誉や誇りというものを、全て金に換えてきたツケが、いま現れているのである。たった七十年で、世の中はこれほどまでに変わるのである。

しかし、一方で「今の世の中が一番いい」という人達がいるのも事実であろう。過去を振り返るようになったら、人は終わりと言うから、私の考えは老人の戯言かもしれない。未来のことは若い人に任せておけば大丈夫だろう。そうやって、何十代も続いて来たんだろうからね。

いつの時代も老人から見たら若者は頼りない。しかし、その若者さえいずれは大人になって頼られる存在になって、その後老人になって、国を憂う。そうやって歴史は繰り返されるのである。

この号が皆さんの手元に届く頃には新しい年号が発表されてるであろう。歴史を踏襲するのであれば、年号が変わる前に新しい年号を発表すべきではないだろう。政府の考えは、経済的見地からと、手間の省略を挙げているようであるが、国の中心に鎮座される天皇陛下の代変わりであり、何十年に一度の国を挙げての重々しい儀式である。過去の慣習に則り、うやうやしく粛々と行われるべきである。

たかが印刷物の擦り直しぐらいに配慮すべきではなかった。例外的な物を作れば、そこからなし崩しに、壊れて行く可能性もある。守らなければいけないものは、粛々と守り通さなければいけないのである。これこそが伝統継承である。

東洋アジア人でありながら、西洋かぶれした考えを持つようになった日本人であるが、二千六百七十九年の歴史を東洋人として、日本人としての風習・文化・慣習・歴史・道徳・伝統を学び生活してきた。

西洋から学ぶいいものも沢山あった。特に自由や法律や経済においては、特筆すべきものがあった。近代国家への転換なども、西洋列強国から学ばなければ、今のような発展があったか疑わしい。とにかく日本人の順応性は素晴らしい。勤勉であり、体を惜しまずよく働いた。

それが、戦後二十年でオリンピックを開催したし、五十年で世界第二位の経済大国になった国民性なのである。

ところが今、先人達が作ってくれた実績とイメージが悉(ことごと)く壊れている。魂まで西洋人に売ってしまっているように見えるのである。家族の崩壊、夫婦の崩壊、教育の崩壊、仕事をしない若者の増加、我慢のできない若者、多様化する犯罪、特に特殊詐欺の増加(年配者から金を騙し取る卑劣な犯行)など、確実に世の中が変わって来ている。やはり日本人として誇りを持てるような、再教育が必要ではないだろうか?

▼触らない痴漢というのがあるらしい。いやらしく見つめたりすることを言うのだろうか? どこまでを「いやらしく見つめる」と言うのだろうか? 素敵な女性がいたら、つい目がいくのは、男として当然である。

中には明らかに男の目を意識したような派手な格好で電車に乗る女もいる。そんな女を見る時、「素敵だなー」と思うより、「あ〜、またバカ女がここにも一人」という思いの方が強くても、相手は「あ〜、またバカ男が一人私の魅力にうっとりして、いやらしい目で見つめている」と解釈されて、通報されてもたまらんなー。

世の中はどんどん変わっていく。最近、猫も杓子もパワハラ、セクハラと訴えて、それをマスコミが取り上げるのが流行っている。確かに勘違いおじさんは多いが、見つめただけで痴漢は行き過ぎだろう。目のやり場に困るような恰好をしているバカ女もいるし、電車の中で股をおっぴろげて、基礎化粧から始めて、まつ毛を着けて、アイラインを引いて、頬紅をつけてと、びっくりするような変身を目の前で見せられたら、ついつい目が点になって、見入ってしまうのは男としては、当然のことである。それで「見つめる痴漢です」というのは、罪である。

最近はいい大人が「ポケモンGO」と言うのを、周りも気にせずやってるが、昭和時代には考えられなかった光景である。大人の無責任さが妙に目立つようになった時代でもある。特殊詐欺が増えたのも、大人の無責任さと関係あるのではないか。

昔の大家族制度が壊れ、核家族になった。町の繋がり、学校の繋がり、家族の繋がりが壊れ、親と子供、先生と子供も同じ人権となって、世間を知らない子供でさえ、一人で考え一人で行動しなければなら無くなった。子供のことより、自分の事しか考えない親も多くなった。自分ファースト時代である。 生き方も多種多様化して、親や子の関係よりも、一人の人間としての価値観が強くなった。生き方の見かけだけは西欧的になったのである。

勿論西欧文明にも良いところは沢山ある。ただ日本は島国とは言え、地域的にはアジアの国の文化である。一応民主主義や資本主義の熟成国家は米・西欧諸国と言われている。と言うのであれば、それらを理想として真似てる日本は、百年後、二百年後には、西洋文化を踏襲するようになるのだろうか?

西洋文化はキリスト教の教えが基本である。対して日本はインドから発生し中国から伝わって来た仏教が中心であり、日本独自の神道と言うのが基本の道徳が根付いている。しかし、いま西洋文化の個人の自由という「我が儘」が、日本全土を席巻しつつある。権利だけを声高に要求し、一方で義務は果たさない。本来は義務と権利は表裏一体である。

男社会はどこまで行っても、いつの時代でも力の対決で勝負は着く。しかし、女の社会はどこまで行っても、いつの時代でも美の力が物言う世界なのである。だから勘違いも多くなるのであるが、常識のある女性は電車の中で化粧もしないし、股を開いてスマホに夢中にならない。況してや見つめただけで痴漢だと勘違いもしない。

自国の一大事にも拘わらず、戦う覚悟を失くした男も問題であるが、女の気品さ、優しさを失くした女もまた問題である。

新時代に夢を乗せて、平成時代よ、さようなら。そしてありがとうございました。


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