京都崇仁地区の同和利権抗争
中口寛継氏殺害未遂の実行犯

(敬天新聞 令和元年7月号 2面)


未解決事件

JR京都駅の駅前にある九万坪もの広大な同和地区「崇仁地区」は、東京駅で例えたら八重洲口にあたる場所である。未だトタン屋根と、古い団地が並ぶ地域の環境は開発が進まない。

嘗て、消費者金融「武富士」が長らく所有していた京都駅前、崇仁隣接地区の約三千坪の土地や、武富士の土地の地上げなどで潤沢な資金があった崇仁・協議会(旧崇仁協議会※新旧の判別は称号の点の有無)のお金や、駅前九万坪の開発利権などを巡って、山口組大幹部の中野会と会津小鉄会の抗争事件が起こり、血の雨が降った。

また、利権を巡る暴力団抗争に、地元の人権団体・崇仁協議会(現崇仁・協議会)も巻き込まれ、暴力団員だけでなく、崇仁協議会幹部も射殺されるなどの殺人事件が相継いだ。そのいわくつきの土地とその周辺を指して、人々は「呪われた土地」と呼んでいた。

その崇仁地区近くで起こった未解決事件の中に、すさみ町の太陽光発電事業を巡る弊紙の不正追求シリーズの主役鰍`SKの代表取締役・駒井裕(旧姓・今井)が、現役暴力団員時代に加わっていたという情報が入って来た。

周到に凶器や覆面を準備しての殺人未遂・傷害事件は二回にわたり、被害者の絶命を狙った悪質極まりない犯行である。

ターゲットは、現在「京都駅東地区市街地再開発準備組合」代表理事・中口寛継氏である。

この中口氏への暴行・殺人未遂事件は、平成十二〜十三年頃に起こり(現在、正確な日時を確認中)襲撃捜査に当たった京都府警は、犯人未検挙のまま現在に至っている。

この未解決事件の当事者で被害者である中口氏がついに口を開いたのである。本稿では中口寛継氏の証言と川村眞吾郎氏の手記をベースに話を進めていく。



目撃証言

平成十二年、場所は京都駅前にあるホテル「エルイン京都」(現在、ホテルエルシエント京都)近くの路上。白昼、覆面をした男ら四人が、手に持った金属バットで一人の男性をメッタ打ちにした。辺りに血しぶきが飛ぶと、通行人の女性が悲鳴を上げた。

襲撃中の四人と被害者の間に入って制止したのは、崇仁・協議会の川村眞吾郎会長とホテル従業員らだった。彼らはホテルから飛び出して「止めろ!」と大声で叫びながら現場に駆け付けた。程無くしてパトカー、救急車のサイレンが鳴り響くと、その音に反応したリーダー格の男が、覆面を外して「もう止めや!車に乗れ!」と叫んだ。覆面を外した男は暴力団員・中山常雄だった。

中山は現場から逃走する為に三人に声を掛けたものの、一人はその声が耳に入らないほど興奮状態で、振り下ろすバットに余計に力を込めて暴行はエスカレートした。

川村会長が「止めろ!」と腕を掴んでも止めず、瀕死の血塗れの男の頭部を目掛けて、狂ったように何度も金属バットを振り下ろした。血しぶきを浴びた興奮状態の狂人は、覆面を自分で外して投げ捨てると、血走った眼をむいて金属バットで更に殴打を続けた。川村会長とホテル従業員の二人で、羽交い絞めにして抑えつけ、ようやく被害者から切り離すことができた。 この狂気の男こそ、本シリーズの主役鰍`SKの代表取締役・駒井裕だった。

羽交い絞めにされても尚、被害者に向かおうとする駒井の瞳孔は開きっぱなしであった。駒井が正気を失っていた事は、必死で止めていた川村会長らには分かった。

まもなく車で乗り付けた中山常雄と他の二人が「おい! 早く乗れ!」と怒鳴った声が耳に入ったのか、駒井は我に返って慌てて車に乗り込んだ。若い衆の一人が運転し、一人は急いで脱ぎ捨てた覆面を回収して車に飛び乗り、四人は猛スピードで走り去った。

「気絶し瀕死の状態の人間に対して、金属バットでメッタ打ちを続けていた。間違いなく殺害しようとしていた。パトカーか救急車のサイレン音と、人が集まってきた状況から、慌てて車で逃走したが、何か一つでも遅れていたら、殺害されていたと思う」と川村会長は当時を振り返る。

川村会長はこの日、中山常雄から「お会いしたい」と連絡があり「エルイン京都」一階の喫茶室で、中山、駒井と共にテーブルに着いていた。中山からの用件は、法に触れる可能性がある仕事だったため断ったという。また、中山と駒井から臭ってくる独特な臭いは、先入観では無く「何か薬物をやっていそうだな」と感じたので、関わりたくないという思いから、頼んできた幾つかの仕事を全て断り、出来る限り早々に席を立とうとしていた。

中山の話は、

「中口が邪魔やったら何時でもやり(殺り)まっせぇ」というものだった。

川村会長が、

「やる(殺る)とは? どういう事ですか?」と敢えて聞き直すと、 中山は身を乗り出して「殺しまっせ」と小声ながら凄みを付けたヤクザ口調で言った。

川村会長は即座に強い口調で「京都地裁で裁判してますから、あくまで裁判で決着付けますから、そんな恐ろしい話しは結構です」とキッパリ断った。

中口氏を殺すなど、どういう思考回路だろうか? 川村会長は冗談であって欲しいと思ったが、中山と駒井の顔つきや、血走った眼や雰囲気から、本気で言ってると感じ、すぐさま席を立とうとした。

その時、偶然にも道を挟んだ向こう側に、中口氏がスーツ姿で黒い大きな鞄を持って歩いている姿が見えた。その瞬間、中口氏に気付いた中山が立ち上がり、「あっ!あれ中口や! 駒井! お前ら(別のテーブルにいた若い衆二人)! 殺ってまうぞ!」と叫び興奮状態でホテルの喫茶店を飛び出して行ったという。

川村会長は慌てて支払いを済ませて表に出ると、既にホテルから少し先の路上で、四人の男が覆面を着けて、金属バットで中口氏を殴打していた。そこで前述したように二人で止めに入ったという訳だ。

この事件の数日後、中山と駒井の二人から、川村会長の携帯に電話があり、自首することも踏まえ会って話がしたいというので、指定されたJR高槻駅のホームに行くと、中山は開口一番「殺れんですんません。次は間違いなく中口殺りますわ」と言ってきた。

川村会長は、込み上げる怒りを抑えながら「断ったやろ!あんな無茶苦茶なこと頼んだか? 中口さんとは裁判で決着付けるから!とにかく早く自首して下さい。今、警察に連絡しましょうか?」と一喝した。それでも中山は、「明日、自首しますねん。そやから会長、一人百万円で、四百万円(犯行に及んだ四人分)くれまへんか?」と金を要求してきたという。

呆れた川村会長は「頼みもしてない暴行に、何で金を払わなあかんねん!」とキッパリ断った。

襲われた中口氏は、救急車で京都駅近くの武田病院に運ばれていた。武田病院に担ぎ込まれた中口氏は頭部に四十二針(武富士の資料によると四十針)の重傷だったという。京都府警九条署は暴行事件として扱ったが、中口氏の周辺の人達は納得いかず、三回も警察署に「これは殺人未遂や!」と言って集団抗議したという。


二度目の襲撃

その事件から間も無くして、驚いたことに二度目の中口氏襲撃事件が起こった。今度は中口氏の自宅玄関前である。玄関前は血しぶきが飛び、中口氏は気を失い、後の事は覚えていない。しかし、二度目は正面からの襲撃だったので、一度目の襲撃の時よりも、犯人らの姿に多少の記憶があるという。

「相手は二人か三人でした。金属バット、ゴルフクラブを振り上げて、いきなり襲って来ました。正面から来たので顔は見ました。 犯人は前回と同じで、一人については『あっ、こいつは中山常雄だ!』と思いました。その時も頭をメッタ打ちにされましたが、一瞬ですが車のナンバーを見ました。警察にも言っているんですよ。しかし、動いてくれなかった。中山らは、任意での聴取すら無かった様です」(中口寛継氏)

中口氏は頭部に三十六針も縫う重傷を負った。一回目の襲撃で負った四十二針と併せると七十八針である。辺り一面に飛び散った、その出血量も想像を絶するものだった様だ。短期間に二度襲撃され、頭部に七十八針を縫う重症を負った事から、犯人らが明らかに強い「殺意」を持っていたことが分るだろう。

「私は駒井という人物は、襲撃の時以外、後にも先にも会ったことがありません」と中口氏は言う。つまり襲撃された時に、中山は判別できたが、駒井については判別できなかったのである。おまけに何度も警察に捜査するよう訴えても、警察は動かず未だに犯人は検挙されていない。(三面に続く)


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