敬天新聞7月号 社主の独り言(甘辛)

(敬天新聞 令和元年7月号 4面)



▼長崎県で国会議員の顔と言ったら、今では谷川弥一先生であろう。テレビに映る時の顔が余りに貧相である。今風に言えばインスタ映えしない(意味はよくわからない)。いつもしかめっ面して、品のない喋り方である。貧相で下品でしかめっ面の貧弱の三要素を先天的にお持ちのようである。

一昔前までは、長崎県の顔と言えば久間章生先生だった。人生にタラ・レバは存在しないが、もし久間先生が今も現役だったら、自民党の重鎮に坐していただろう。谷川先生に比べたら、見た目や上品さは上である。一つだけ足りなかったのは、愛郷精神である。

田舎の人が与党国会議員の先生に期待するのは、先ずどれだけ国の予算を我が故郷に持って来て、故郷を整備してくれるのか、故郷を潤わせてくれるのか、というのを期待する。野党の先生に期待するのは、社会・行政の不条理、矛盾、不正等をどれだけ追及し是正できるかを期待する。

しかし、やはり力を持ち、権力を持てるのは与党の議員である。久間先生の致命傷は諫早から島原半島の中心部まで高速道路を作らなかったこと。当時の実力を考えれば十分にできたろう。「久間道路」と通称されるような故郷愛に満ちた道路を作るべきだった。鈴木宗男氏なんか、一日数台の車しか通らないような真っ直ぐな国道に並行して、わざわざ高速道路を作っているのである。それに比べたら谷川弥一先生は、言葉足りずの貧相、お下劣な風貌ではあるが、愛郷精神はあるようだ。ただ、故郷愛というよりも、自社愛、自己愛が強すぎる。そのために県民からは、「県民のためにやっているのではなく、『わ〜(自分)が儲けるためにしてるだけ』」と思われているのだそうだ。

確かに自身が作った建設会社(今は息子が経営)は、先生の出世と共に、伸びてきた。諫早干拓地に入植資格もない息子夫婦(妻は金子源次郎現参議院議員・当時長崎県県知事の娘)が、県職員の忖度で入植した問題も有耶無耶のままである。その谷川議員が、長崎新幹線建設がお隣佐賀県の反対で一向に進まない問題で、苦言を呈したのであるが、そのたとえに品がなく、また苦情が出てるそうである。協力しない佐賀県知事を、今の日本に対する韓国や北朝鮮のようだと、例えたそうである。

そんな言い方をすれば、ますます反感を持ち意固地なるだろう。協力を得なければならない立場である以上、不満も愚痴も飲み込んで、煽(おだ)て持ち上げる作戦しかなかろう。佐賀県知事も県民の民意を代表して喋っているのであるから、佐賀県民が心地よく思う発言をしなくてはなるまい。

一番の協力反対の意味は、「長崎新幹線が出来ても、佐賀県は通過駅になってしまうだけで、客は観光地も多い終点である長崎県に取られてしまうだけ。潤うのは長崎県だけで、佐賀県には何もメリットはない」と考えているから。国もJR九州も長崎新幹線の建設は推進の方向である。

本来、風は長崎に向いているのだ。それなのに、こんな貧弱で低能な人を代表に選んで発言させる場合じゃない。相手は費用対効果が合わないという意見を言ってるのだから、「いや、十分に合いますよ」という話をしなきゃならない。「鹿児島新幹線が出来て、終点である鹿児島だけが潤ったわけではありません。その途中の熊本も交通が便利になり、経済流通が盛んになりました。隣県の宮崎も便利になって県民も喜んでいます。佐賀の協力で遅れていた西九州も発展します。九州全体が活気づくのです。国もJRも一日も早い開通を望んでいます。開通は佐賀県民の利益にも繋がるのです。小さなエゴや面子で九州の成長を後退させてはいけません」ぐらいは言える人が表に立たないと。



▼「名を名乗れ」、「赤胴鈴之助だー」というのは、我々の若い頃の漫画だった。自分の名前を名乗ることは、ごく普通に当たり前のことだったが、今は名前を名乗らないで、後ろから闇討ちする時代になった。昔なら卑怯者と言われ、恥ずかしくて世間からは相手にもされなかったが、今はそれが当たり前になりつつある。

昔は自宅に表札を飾ることが誇りの一つだったが、今は犯罪者に利用されることもあって、表札を出さない人も多い。他人の名前や住所を騙るなりすまし詐欺師や事件師が余りに多くなって、おちおち本名さえ名乗れない世の中になりつつあるのだ。卑怯な時代になったものである。何が、誰が、こんな世を作ったのだろう。過度な自由と権利と人権が、義務や誇りや名誉を上回り、金こそが一番の名誉という風潮が世の中を席巻した結果である。熟成された資本主義国家への過渡期ということだろうか?

五十五年前の東京オリンピックの頃は国も国民も社会も、目指す方向が同じで目的も同じで、迷わず働けた。だが今は、いろんな選択肢があり、価値観も変わった。仕事をしないことを選択する自由まであるようになった。結婚することもしないことも、子供を産むことも産まないことも、自由に選べて個人の自由になった。家族や家庭よりも個の自分の自由が優先される世の中になった。先祖供養も墓も、大事にしてきた家宝までも終活、断捨離といって、捨てるのが望ましいと言われる時代になった。昭和で常識と言われてきたことは、令和では確実に非常識である。これからは社会について行けない老人が増えるだろう。

銀行に預けても利子が増えないから箪笥預金をしてきたのに、その箪笥預金を吐き出させようと国は増えるか減るかわからない投資を薦める。若者はオレオレ詐欺や投資詐欺で、老人から金を奪おうとする。年金だけでは足りないから、切り詰めてへそくりしてきたのに、その箪笥預金を国や若者は、寄って集って奪おうとしているのだ。老人は目も耳も、鼻も口も、脳も内臓も、足も腰も、思考力も眼力も、胆力も連想力も、衰えている。障害物が何もない平らな所で転んで、そして骨が折れるのだ。

時々アクセルだかブレーキだかもわからなくなる時がある。頭の中に人物は浮かんできても、名前が出てこない。百年先まで大丈夫な年金システムを作ると言って国民の支持を受けた筈の自民党が、年金受給者年齢になっても、老後にはあと二千万は必要であるという。

老後に年金なんか全く必要としていない大金持ちの麻生さんに、貧乏人には絶対必要な年金問題を任せて説明出来る訳がない。年金担当大臣には、老後には年金を受給しないと生きていけないという人を大臣にしないと、真剣に対処しないのだ。それを適材適所というのである。

今の政治は安倍さんと、麻生さんと、菅さんと、二階さんと、四人でだけでやってる政治に見える。大臣の名前さえ殆ど知らない。他の人は数合わせに居るだけで、四人を引き立てる芝居の脇役や通行人にしか見えない。それでも国民が満足し、心配のない国であればとやかく言うこともないが、目先のまやかしは何年か先に必ずボロが出る。そのツケは若者に跳ね返ろう。恥をも恐れないオレオレ詐欺の流行を産んだのは、ゆとり、自由、に重きを置き過ぎた教育の放棄だった。見世物的な安っぽい愛は増えたが、心に留め置くような崇高な愛が少なくなってきた結果ではないか。



▼何年か前から、爪がぱりぱり割れるようになったり、スーパーのレジ袋が開けれなくなった。開け口を人差し指と親指で擦っても開かないし、中指と親指で擦っても同じである。それでふと思ったのだが、買ったものをスーパーの籠からレジ袋に移す台のところに水を含んだスポンジや濡れたタオルが置いてあるのは、この指を濡らすためのものだったのかと。濡れたタオルで少し指を濡らすと嘘みたいにスムーズに開くのである。子供は水なんか付けなくても簡単に開けれる。我々が枯れて水分が無くなっているのである。

考えて見ればスーパーに行く人は、枯れてる人が中心である。当然と言えば当然のサービスであろう。そこでもう一度、ふと思ったのだが、最近は涙腺崩壊が甚だしい。昔なら、そうでもなかったことに悉く感動し、テレビの前で涙が溢れるのである。ひょっとして、枯れてくると体中の水分が目の周りに集中してしまって、その水分は、指先を始めとした末端から吸い上げてしまっているのではないかと。

若い時には自然とバランス力があったのに、歳とともに色んなバランスが崩壊していく典型ではないのか? と思った次第。植物にしても動物にしても若者はみずみずしい。それに比べれば老人は醜い、汚い、臭いと、負の三拍子が揃っている。おまけに負の三拍子の中に自分は入ってないと思いこんでいる老人は多い。シミ・シワ・タルミの見た目老人の三原則を見せつけられても尚、信じられない、信じたくないと思うのが、女性の心理である。

先日、街宣中内ゲバの話をしてて、中核派、革マル派の話をしたかったのだが、ヘルメットにマスクをしてる姿は思い浮かんだのだが、中核派、革マル派という言葉が最後まで出て来なかった。  普通は終わってから誰かに尋ねて、すぐに解ることだが、その日は自分で思い出すまで放っておいて、ボケ力を確認してみたかった。いつ思い出すかを試してみたかったのである。そしたらまず、中核派の名前が出て来なかったことを忘れてしまって、一週間が過ぎた。

次の街宣で、思い出したら続きの話をしようと思っていたが、結局その話をすることも忘れていた。そして、ふと今、中核派と革マル派と言う言葉を思い出したのである。

この話をしようと思った切っ掛けは、いま敬天ブログで連載中の京都被差別部落地区「崇仁・協議会」の内紛での殺人未遂事件を記事にしながら、内紛、内ゲバ、全学連、中核派と連想したわけである。数ある左翼派閥から中核派が浮かんできたのは、国立府中大学の洗濯工場で、中核派のリーダーだった金山さん(だったかな?)と意見を交わしたから。

あれから四十年。月日は流れ、私は高血圧、高脂血症、高血糖の人並みの老人力を身に着け、立派な老人に成長した。それだけではない。歯が抜け、髪が抜け、尻の肉は落ち、正座もしてないのに、足が痺れるのだ。これでどうやって、老後に二千万円を捻出するのだ。

家では妻に粗大ごみ扱いされ、外にも行き場がない。妻とは定年になったこれから仲良く暮らして行こうと思ったが、今までの行状が祟って、いつからか仇敵のような関係で、手も触らして貰えない。

夢の老後を国に裏切られ、愛する妻にまで裏切られたとお悩みの、昼間から酒を飲んでるそこのアナタ。わが身が蒔いた種とあきらめて、お国の為に、もうひと踏ん張りするしかありませんな。頑張りましょうや。


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