敬天新聞10月号 社主の独り言(甘辛)

(敬天新聞 令和元年10月号 四面)



▼安倍総理の一強を支えているのは、自民党でも野党でもなく、韓国の文政権であることがわかってきた。安倍総理の凄いところは今ではなく、戦後七十年に亘って、歴代の総理が悪しき慣習として、中国や韓国に対してODAという美名の下に長く、大金を恐喝され続けていた事実を遮断したことである。

しかし、負ければ賊軍という立場もあって、国民も知ってはいたが、表立っては声に出す人は少なかった。韓国に対しては戦争をしたわけではなかったが、植民地として占領した時期もあったので、申し訳なかったという謝罪の気持ちもあったからである。

アジアの国々は長くヨーロッパの国々から侵略され、植民地化されていた。アジアだけではない。南米もアフリカも、白人に制圧され植民地化されている。アジアでヨーロッパに制圧されなかった国は日本とタイだけだったそうである。

日本は日清戦争に勝ったこともある。日露戦争に勝ったこともある。こんな小さな島国が、あのシナやロシアに勝ったのである。ほとんどの国は、シナやロシアのような大国から、お叱りを受ければ、その場で畏怖しひれ伏すのである。韓流ドラマを見ていればよくわかる。

日本はコテンパンにやられはしたが、アメリカを中心とした連合国とも戦った。戦いを避けて、言いなりになるという選択肢もあったかもしれない。しかし、その道を選べば日本と言う国は確実に消滅していたし奴隷となっていただろう。戦わずして無条件降伏を飲まされるのと、戦って無条件降伏を飲まされるのとでは、意味が違う。やるだけやって、負けたのなら仕方がない。

オスと言う動物には、本能的に戦う姿勢がある。戦争の愚かさは誰でも嫌というほど知ってはいる。それなのに、自分たちの意見を通す最後の手段が戦争である。世の中に誰もが認める正義はない。十人居れば十通りの正義があるからである。しかも敵対する者であれば、その正義は真逆になる。時には面子が正義になることさえある。

人間は愚かである。歴史が戦争の愚かさを嫌というほど教えているにも拘わらず、繰り返すのである。その反省に立って、日本はアジアの国々に、世界の国々に、世界で二番目に国連への寄付で貢献してきた。それでも敗戦国と言う汚名が未だに尾を引いている。

世界の決まりごとは第二次世界大戦の戦勝国の五か国で、決められているのである。勿論アメリカからも、無理難題は押し付けられている。しかし国民は、アメリカのお蔭さまで、今日の経済大国になれたという感謝もあるので、アメリカに対してはあまり怒らない。それに戦争して勝てる相手ではない。

しかし、独立国家として、あまりに理不尽な要求に対してはノーという勇気も必要である。その為には、たとえアメリカであっても、「日本を敵にしたらうるさいなー(こちらも相当な覚悟がいるなー)」と思わせるぐらいな装備と覚悟は備えて居た方がいい。

いま一番最初に備えなければいけないのは「心と体が強くなる教育」である。夕方の新橋駅広場に来てみるといい。百人以上の三十代から五十代の大人が男女問わずスマホでポケモンゴーを追いかけ回している。七十年前、マッカーサー元帥が日本精神を壊すために考えた3S政策(スポーツ・スクリーン・セックス)が花開いたのである。

ところで安倍総理は、韓国からのクレーム恐喝を無視した。当然である。国と国の時のトップが決めた契約を、今頃無効と言いだしたら、全ての決め事がひっくり返ってしまうだろう。国内問題ならともかく、国と国との約束事である。安倍総理が無視して当然である。日本国民はここに拍手しているのである。

韓国が日本に対して、二の矢三の矢を放っているが、「動かざること山の如し」でいいだろう。挑発されて応じる必要もない。現に韓国は墓穴を掘っている。粛々と対応すればいいのである。これが安倍一強の真実である。



▼お盆の時期に新幹線に乗ったら、満席で立ち席になった。立ち席と言っても、みんなが座っている通路ではなく、車両のドアの外のトイレとか付いてるところの連結部分である。あそこに一〇人以上が立っているのである。

そこで感じたのであるが、予約が取れて座れている人と、予約が取れずに立っている人の、心の違いを感じたのである。

座っている側の人で、一番とか二十番(車両によって番号は違う)とかに座っている人はドアのそばに座っているのであるが、立ち席側にいる人たちが動く度にドアが開くので、それを見て嫌な顔をするのである。

私はその嫌悪した女性の顔を見て、「なんと性格の悪い女だろう。こちら側の通路に来たらどうですか? ぐらい言えないのか」、と思ったりした。車内の通路は誰も入ってないからガラガラである。立ち席は押し競饅頭状態である。

中には大きな荷物を持ってる人もいる。車内販売の手押し車が通る度に退けなきゃならない。ドアが開く度に優越感に浸ったバカ女が、こちらを睨む。

車掌が通ったので、「どこか空いてませんか?」と尋ねたら、「空いてますよ」というから、案内してもらい、席に座った。私が座った席も別の車両ではあったが、ドアのそばだった。

今度は座っている立場から、立ち席側の住人の姿が見える。立ち席側の一番ドアに近い男が動く度にドアが開く。その度に生ぬるい風が入ってくるような気がする。床に直接座り込んでる者もいる。「なんて不潔なんだろう。あんな親爺が隣に来たら嫌だなー」と思った。

先ほどまで、立ち席側の立場で物を考えていたのに、もう座っている側の立場で考えているのである。あの親爺は私を見て「嫌な奴だなー」と思ったことだろう。人間と言うのは、誰でも「自分の今の立場」から物を考え、物を言うのである。相手の立場に立って物の言える人と言うのは、現実には一握りしかいないのかもしれない。

知らない人が死んでも涙も出ないし、飢えてる貧しい人の光景を見ても、何とかしてあげたいと思うのは一瞬であり、直ぐに忘れてしまうのである。どうすれば優しい気持ちを持ち続け、実際に施しを行える人物になれるのであろうか?

自分の親や子供に対して誠意を尽くすのは当然であるが、福祉関係で働く人、ボランティアに行く人、介護の現場で働く人などに対して、最近つくづく感心するのである。

この混んでる時期に席を確保した人は、それなりの努力をしたから、席が取れたのである。一方、立ち席の人は、緊急で乗った人もいるだろうが、怠けて席を取らなかった人もいたろう(私もその一人)。努力したけど取れなかった人もいたはずである。人生はちょっとした運、不運である。

せめて世界中の人が、食べる物だけでも、平等に行き渡ればいいけど、そうは行かないのが世の中で、この世では、厚かましい人、お節介な人、平気で嘘を言う人などが、優先順位の上位に居るような気がする。

神様や仏様は本当に弱者の味方なのでしょうか? 南無阿弥陀仏と唱えるだけで、本当に極楽浄土へ行けるのでしょうか? 自分の都合しか考えない了見の狭さに、気づかされた立ち席でした。



▼昔から、気合を入れる時「ふんどしの紐を締めろ」という言葉がある。若い時は意味が今一わからなかった。それが最近になって分かるようになった。この歳になって意味がわかっても、それこそ余り意味がないのだが、わからないより分かった方が少しは意味があると思って書くことにした。

若い時は何故わからなかったかというと、体が引き締まり殆どが筋肉だったからである。脂肪でさえプリンとして張りがあった。紐が切れることは論外であるが、ふんどしの紐が多少ゆるくても、意に介さない体の健康さがあったのである。

ところが、今は体の筋肉が減って、筋肉も脂肪のようになって、その境がわからなくなった。しかも大名行列でもないのに、下へ下へと引力の法則にしたがって垂れ下がっている。しっかりしたパンツを履いていても、すきを見せれば落ちてくるのである。

長く履いていると、パンツにも好き嫌いが出来て、相性のいいのをどうしても履く習慣が出来てしまう。使用頻度が過ぎれば、布やゴムも劣化してくる。普段はトランクス的なパンツを多用するのだが、外に出る時はパンティー式パンツを履く時も多い。もう他所でパンツを脱ぐ機会などないが、理由は息子たち(竿&玉)の収まりがいいからであるのだが、先日歩いていて何か違和感があったので、トイレに入ってズボンの中を覗いてみた。

そうしたら、右側のパンツ下から右腿に沿って玉が顔を出しているのである。玉が老人化したのか、パンツの下のゴムが緩んでいるかのどちらかが原因であろうと思って、帰ってからじっくり調べたら、その両方だった。両方の劣化である。

この時ハタと気付いたのである。なるほど、ふんどしの紐(現在はゴム)をしっかり締めておかないと、力が入らないとはこういうことかと。私の場合はたまたま、太もも右側のゴムが緩んで、玉の座りが悪く、気になって力が入らなかったが、これが腹を巻いてる側のゴムが緩んでいたら、確かに全く力が入らないだろう。

万一パンツのゴムが切れてる状態で敵に襲われたら、片手でパンツを押さえ、もう片方の手でしか戦えない。要するに普段の半分しか力が発揮できないのである。それでは無念の至りで、後悔この上無しとなろう。だからそうならないように、昔の人は物事に挑むにあたって「ふんどしの紐を締めろ」と喚起を促したのである。

先人の教えと言うのは、真に理に適って正しい。特に老人化が進むと、筋肉が減り贅肉(脂肪)だらけになってしまう。強く締めれば食い込むだけで痛いから、ほどほどに締めていると、歩いているうちに、緩んで落ちてくる。若者のように腰骨とか見えないから、引っかかる箇所がないのである。

ということは、「ふんどしの紐を締めろ」という戒めの言葉は、若者に言ってる言葉ではなく、老人が自分自身を鼓舞するための戒めの言葉だったのかも知れない。それとも、老婆が旦那に向かって、「いい歳こいて若い娘にうだつをあげるんじゃないわよ。」というお叱りの言葉なのかも知れない。この歳になって、初めて解ることの多いこと多いこと。人生死ぬまで勉強と言うけど、昔の人の言葉には一つ一つに含蓄があるなー。輝美さん、あと十年は頑張らないと。


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