令和元年天皇陛下御即位を謹んでお慶び申し上げます

(敬天新聞 令和元年12月号 1面)


即位の礼

街中に年賀状やお歳暮の広告が溢れ、店頭に正月飾りも並び始めた。平成から御代替わりを経て始まった令和元年も、天皇陛下の「即位の礼」に伴う主要儀式が終わり、気が付けばあっという間に師走である。

天皇陛下の即位を内外に示す「即位礼正殿の儀」には一八六カ国と国際機関、国内各界の代表ら約二千人が参列し、「祝賀御列の儀」のパレードには約十二万人が沿道を埋め尽くし、天皇陛下の即位をお祝いした。

この即位の礼に伴う一連の儀式を見て、感動した国民は多かったろう。神代の時代から続く儀式に則って厳粛に行われた皇位継承は、無くしてはならない伝統の重さを改めて感じさせた。

一等席にブルネイ国王を選んだところも素晴らしかった。普通だったらイギリスの国王やアメリカの代表を選ぶところだろう。しかし、国の力関係や大国に阿って選びがちな立場を、国の大小、軍事力の強弱、経済の貧富で決めるのではなく、その国の国王の座位の長さで順位を決めたのも素晴らしい。

雨が振り天候が心配されたが、式典が始まると同時に雨は止み、皇居の上に虹が出て各国の参列者をも驚かせた。大自然までもが祝宴に花を添え、演出して見せたのである。神州日本の所以である。これで多くの国民に間違いなく支持されていることも、世界中の人たちが認めていることも証明された。

一部に反対論者もいたらしいが、皇室や天皇陛下に反対なのか、祝宴に反対なのか、国を挙げて伝統を守ることが反対なのかは知らないが、いつの時代にも、どのような行事を行う時でも、反対する者は必ずいるものである。限られた人数の中でならば満場一致もあり得るだろうが、多種多様な自由意志を尊重するあまり、平和ボケが蔓延している民主主義の中では、全ての国民の賛成を取り付ける行事なんて永遠にあり得ないだろう。

新たな天皇陛下が一代に一度だけ行う重要儀式の一つ「大嘗祭」の日には、東京駅の前で反対集会が行われたと朝日新聞が報じていたが、「税金を返せ!」とか「神様ぶるな!」と書かれたプラカードを掲げている参加者の写真を見て、怒りを通り越して可哀想な人だと感じたのは筆者だけではあるまい。

多くの国民が、日本の伝統の深さと日本人で良かったと喜びに満ちている最中に、このようなプラカードを掲げて全国紙で顔を晒されているのだから、悲劇としか言いようがない。

だいたい「神様ぶるな!」とは誰に言っているのか? 全く持って浅はかとしか言いようがない。「私は神である」とか「願い事を叶えてやる」とか「貢物をせよ」とか言っているのは、異文化の宗教や新興宗教の特殊な教祖様であっても、決して日本の天皇陛下ではない。天皇陛下は常に国民に寄り添い、国民の為に「祈っている」のである。「神様ぶるな!」とは勘違いも甚だしい。

また、たった一日の儀式に多額の税金を使ったとの批判も然りである。寧ろ千年以上も続いた一代一度限りの歴史的な重要儀式が、経費削減で大嘗宮の建設に影響が及んだことの方が問題だろう。



日本の大黒柱

大嘗祭は、新しい天皇陛下が、その年に穫れた穀物・新米を皇祖である天照大神と天神地祇に捧げると共に自ら食して収穫に感謝し、五穀豊穣を祈ると共に、国家と国民の安寧(平和)を願うという千三百年も続く崇高な儀式である。毎年行われる「神嘗祭」や「新嘗祭」にも言えることだが、資源の乏しい小さな島国に暮らす我が国民が、生きながらえてきたのは、太陽と大地がもたらす恵み、農産物や海産物等あらゆる生命を頂き、食すことで命を育んできたのだから、自然と八百万の神々に感謝するのは日本人として当然のこととして考えられてきたことである。

だが食前食後の礼儀として「いただきます」という食べ物への感謝や、「御馳走さま」という食事に至るまでに係わって下さった全ての人や物への労いの言葉にまで、反対する人がいるというから驚きである。食べ物が満ち溢れ数千円で何でも食べ放題というお店も珍しくない世の中だから、食べられることの有難味を知る機会が失われているのも確かである。日本の食品ロス問題はその証左であろうか。世界に目を向ければ八億二千万人が飢餓で苦しみ、一億五千万人の子供が栄養失調で発育障害であるという。

収穫への感謝は、「食」という生命の源への感謝でもある。「食」を軽んじることは命を軽んじることであり、拝金主義や個人主義で欲情にかられ、親兄弟への迷惑も顧みず、道徳に反する破廉恥な事件が相次いで起きていることと、決して無関係とは言えないのである。

国がどんなに平和で豊かになっても、どんな動乱に陥っても、人が生きる上で見失ってはいけないこと、忘れてはならないことがある。日本人にとって、それが何たるかを決して忘れないように、見失う事がないように、伝統と文化を含め連綿と守り続けているのが天皇陛下であり宮中祭祀なのではないか。分かりやすく言えば日本の大黒柱である。私たちは天皇陛下に習い、神前で祈りや感謝を捧げ、亡き先人たちに思いを馳せることで、自戒自制し、善い行いを心がける素晴らしい道徳観を育んできた民族なのだと思う。

ネットに溢れる皇室批判も、自分の境遇を悲観しての「やっかみ」にしか聞こえないものばかりである。天皇陛下が「現人神」かは、心穏やかに考えることが出来たなら、その人の心に自然と答えを感じることが出来るだろう。

筆者は有識者ではないので浅はかな乱文で解釈に誤りも多々あると思いますがご容赦ください。

今年の天皇陛下の御即位を謹んでお慶び申し上げますと共に、天皇陛下の弥栄を心から御祈念申し上げます。来る年が皆さんにとって、よい年でありますように。


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