敬天新聞12月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞 令和元年12月号 4面)



▼最近の若者を称して、肉食系とか草食系とかいう言葉があるらしい。異性をあまり求めない男女に対して草食系と使い、異性を大いに求める者に対して、肉食系と使うらしい。

女性が草食系と言うのは何となくわかるが、男性が草食系というのはあまり理解できない。ところがテレビなんか見ていると、女性タレントで「私は肉食系です」と堂々という女性が増えている。若い男性に草食系が増え、女性に肉食系が増えているのだそうである。

子供の時には男女間では、何をやっても女性が優れている。力や体力で、男性が女性を上回るのは、小学校高学年になってからである。低学年では相撲をとってもだいたい女性の方が強い。

ところが、生理的に男女に差が出てくるころから、女性は女性らしくなって、女性らしさを身に着けるようになるのだが、今の時代は男女平等、人権の平等、多様性の平等が強く叫ばれる時代になったので、女性が臆せず物を言う時代になった。

そこで大人しい男の子は、そのまま女性に対等に話ができなくなって、一緒になっても押さえつけられる生活が待ってるなら、一人で生きた方が楽と思う男性が増えたのではないか?

男性の草食系が増えても、女性の肉食系が増えても、大勢には影響はないだろうし、本質的には男は男だろうし、女は女であろう。一過性の流行でしかないと思う。

自由や幸福度も上を見ればきりがないし、下を見てもきりがない。世界中を見渡すと、とてつもない文化・伝統を守り続けている国もある。良くも悪くもである。差別も貧しさも、信じられないような国や地域がある。

一番を目指そうとするからトラブルも起きやすい。アメリカや中国やロシアのような大国には、先ずはマンパワーで、勝利することはできない。勝利することができないからと言って、侵略や強制を黙って受け入れる国になるわけにはいかない。

小さな国であってもスイスのように毅然としている国もある。経済的には日本より遥かに下にいる国の中にも、その国としての誇り、国民としての誇りでは、大国に対してさえ一歩も退かない国もある。

いま日本人に必要なのは退かない心である。攻める必要はない。侵略はいらない。侵略をさせない強い心である。何だかんだ言っても、外交の後ろにあるのはその国の軍事力である。この小さな島国で、先の大戦でコテンパンに叩かれて、それでも僅か七十年でこの位置に居ることに、喜びと感謝の気持ちを持つことが大事であろう。

日本のスポーツでは野球が一番、サッカーが二番(今、子供の人気はサッカーのようだが、報酬ではまだ野球が上)、その後に、ゴルフ、テニスと続くようである。ところが、今年は突然ラグビーが花開いた。日本の活躍が一番の原因であるが、他のスポーツに比べて、国際色が強い。日本チームと言いながら、外国人選手が沢山いる。それでも受け入れる国民性に、世界は驚き称賛した。

その最中に天皇陛下の即位礼正殿の儀があり、世界中の国々から代表が参列され、神代の時代から続く絵巻物語に圧倒され魅了された。

スポーツの世界では一番を目指してもいいけど、政治や経済の世界ではあまり欲を掻かないで、国民が幸せを感じるなら、程ほどの立ち位置が一番いいのではないかなー。



▼昔の先生たちが子供に慕われ、尊敬されてたのに比べて、今の先生方が貧弱に見えてしまうのは、親が先生を尊敬しなくなったのと関係あるのかなー、とふと思った。

我々が子供の時は、子供が大学に行くというのは、殆どなかった。精々が高卒という感じだった。その頃教師になられた先生方は、その当時に大学を出てるということになる。都会には大学に行った人たちが沢山いたが、田舎では余程家庭がしっかりしている所でないと、大学へは行けない時代だった。

だから、その時代の子供の親は、殆どが大学など出ていない親が多いわけだから、大学を出てるというだけで、尊敬に値する対象であったろう。だから子供は当然のこと、親も先ずは先生を信じ、尊敬していたのである。親が率先して先生を尊敬するから、子供も自然と先生を尊敬したのである。

しかし今は猫も杓子も大学に行く時代。大学もピンからキリまで揃っている。味噌も糞も受け付けるのである。そんな中から先生が育って行っても、尊敬に値するような先生が生まれるのは一握りであろう。それに親も大学に行ってる人も多い。言うなら、同レベルの立場と思ってる親が増えたのではないか。

それに先生のレベルが低くなってることも事実である。学校の先生に限らず、昔は尊敬される立場にあった「先生」と呼ばれる人たちも、総じて矜持が無くなったような気がする。

最近は少子化で子供の人権を強調するあまり、教育に対しても指導と叱責の境界がわからなくなり、先生が生徒に対する教育も指導も、逆に子供に気遣いながら教えてる状況だから、先生という職業も大変な時代になったようである。

ところで、世の中が不平等で不条理で不満だらけなのはわかるが、N国党の立花という男は何がしたいのだろうか?

最初の「NHKから国民を守る」という党是は、それなりに意義のあることだなー、と思っていたが、だんだん化けの皮が剥がれ出すと何がしたいのか、何を言いたいのかが、わからなくなってきた。

売れてる芸能人に意味もなく噛みついてみたり、舌禍や不謹慎が元で破門になった他党の議員を、思想信条に見境なく拾い集めて声をかけ、また声を掛けられた議員も恥も外聞もかなぐり捨てて、残り期間の歳費欲しさに入党し、恥の上塗りに拍車をかけている。

最近は知名度のある者なら、誰れかれ関係なく声をかけている。自民党が参議院議員選挙の時、票を稼げそうな人物を公認にする時がある。しかしあれは、大勢の中の何人かだから、色物的な愛嬌許容範囲であるが、N国党の場合は最初から政治のイロハもわからない「とにかく票が取れれば誰でもいい」という発想のようである。

まー政治家自身が「国民に厳しく、自分たちに優しく」と言うのが、地方政治、国政に限らず、横行している慣習であるから、無理もない。

国民は政治にもっと関心を持ち、政治家の不正に厳しく目を光らすべきであろう。本来、国を動かし、特別の権力や特別の免許を持ってる職業に就いてる者は、倫理観は一般人以上に大切にしなければならない。当然違反した時の罰則も一般人より厳しくて当然である。

そういうことを教えているのが、今のN国党の存在のように思えてならない。そうであるなら、反面教師として、ああいう党もあった方がいいのかなとも思うが、なんせ品がないからねー。それにしても、昔の先生は偉かったなー。



▼田舎の人は、都会の人に比べて信心深い。おそらく代々家を守って来た人が多いからだろう。それに比べて都会に住んでる人は、田舎から東京に働きに出て家庭を持った人が多いから、まだ家庭の歴史が短いのであろう。それに田舎の人のように持ち家じゃない人が多いから、引っ越しも多く、その場所に定着してないということも理由の一つであろう。

一つの場所に長く留まってこそ、その土地に愛着がわくのであって、引っ越しばかりしてたら、自分が何処の者だかわからなくなる場合もある。先祖との繋がりも、その家に居て、先祖の法事や供養やお墓詣りをして初めて繋がりを感じるものであって、そのような経験がなければ、先祖との繋がりなど考えないのである。

最近は先祖や家族を否定するところから始まるような宗教団体もあるようだが、そんなものは宗教とは言えない。心の安寧や先祖供養に繋がるお参り・言動こそが宗教の本来の教えであって、家庭を壊してまで自身の下に使えることを強調するのは、悪徳ビジネス以外の何物でもなかろう。

その証拠に、私は何度でもそういう奴らと対峙し、潰したことがある。宗教を究極に追求すれば必ず矛盾とぶつかる部分はある。しかし信じることで、全てが解決した気分になるのも事実である。

ところが、煩悩と欲望の塊である人間は死ぬまで、その欲と夢を諦めない。しかも人が見てないところでは、嘘さえも平気で言ったりもする。ところがところが、ここからが大事です。

人は生まれながらにして「?生神」という神を背負っているそうである。その神様はどこに宿っているかと言うと、人の両肩に鎮座していて、右肩におられる?生神様は生涯の一切の悪事を、左肩におられる?生神様は生涯の一切の良事を、閻魔大王様に報告されるのだそうである。

亡くなってから、天国に行くのか、地獄に行くのか、閻魔大王様が裁くのであるが、閻魔大王様とは初めて会うからと言って、その場でどんなに繕った嘘を言っても、生涯における?生神様からの報告が閻魔様には届いているから、「状張鏡」という鏡にその人の生涯の全てが映っていて、閻魔さまは全てお見通しなのである。

「天知る、地知る、我知る、汝知る」。誰も見てない所での一人の行動であっても、自分の中にいる良心はしっかり見つめ、いつまでも記憶しているだろうし、いずれ後悔する日も来るだろう。

また金が動く仕事では必ず相手がある。どんな秘密の隠し事でも、最低でも「天・地・我・汝」の四人が知ってるのだそうである。だから悪事は必ずバレるのである。今からでも遅くはないので、いい宗教に出会い、いい道徳を学べば、極楽への道が待っているでしょう。

安倍総理が憲政史上で総理大臣として在任期間の最長記録を更新した。桂太郎と言う人が今までの最長だったらしいが、安倍総理が抜いたのである。桂太郎と言う人がどのくらい立派な人だったかは知らない。

しかしこれからは、安倍総理の名前が刻まれるのである。評価はそれぞれであろう。我々はその瞬間に立ち会った時代の目撃者である。

極楽か地獄かという厳しい二者択一任命権を持っている閻魔大王様は、忖度や賄賂は受け付けない。?生神様からの真実の報告に従い、閻魔大王としての矜持を守り遂行するだけである。

読者の皆様、今年も一年間お世話に成りました。来年もまたお互いに元気な姿でお会いしましょう。


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