敬天新聞2月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和2年2月号 4面)



▼私は体のあっちこっちがコキコキ言い出した古希を目前にしても、未だに地球が宇宙の中に浮いているという現実を受け止めきれないでいる。あと地球の海の水がどこかに零れないのも不思議でしようがない。

土や岩は全部が繋がっているから、逆さまになっても落ちて行かないのは分かるが、水の場合バケツをひっくり返せば、水はバラバラになって落ちてしまう。地球が逆さまになった時、海の水が何処かに落ちて行かないのが不思議である。

引力の法則と言うが、重い固まりのような物に対してなら、「なるほど」と思えるのだが、水のように形が自由に変わって、紐で縛るところがないようなものにまで、引力があるという理屈がわからない。

水を沸騰させれば、蒸気になって上に上がって行くのは分かる。目で確認できるから。ある程度蒸発して、雲の塊になって、重たくなって、雨として降る、と言うのは、何となくわかるようになった。ツベコベ言わずに「現実」として受け止めるしかないのだろうか?

子供のころ、理科を教える先生が下手だったのか、私の学習能力が未熟だったのかわからないが、この歳まで何故か受け入れられないのである。おそらく教える先生が、私と同じ疑問を持っていて、自信を持って教えてくれなかったのではないか?

地球は宇宙に浮いているんだよ」、「え? なんであんな重たいものが浮いてるんですか、おかしいでしょう」、「理論的には先生も詳しく説明できないけど、間違いなく浮いているんだよ。そして何故か太陽の周りを回っているんだよ」、「なんで太陽の周りを回っているんですか?」、「よくわからんけど、太陽の周りを回らないと寒いからじゃないか? 先生もよくわからんけど、これが現実と受け止めるしかないんだよ」と、自信をもって子供に教えれば、子供は素直だから、「そんなものなんだ」と受け止めただろう。本当はそのように習ったのかもしれないが、私がどうしても理解できなかっただけかもしれない。

しかし、地球のように生命体が存在する星が宇宙上に存在するなら、宇宙人は必ずいるだろう。空気や酸素や水や太陽がなければ、生命体は存在しないと言うのは、地球人の発想であって、これらを必要としない生物やそれらを自ら作り出す生物だっているかもしれないし、石や土を食う生物が居てもおかしくはない。何も食わない生物だっているかもしれない。

地球ができて何百万年なのか、生物が存在して何万年なのかは知らないが、化学が発展して僅か数百年しか経っていない。今の勢いなら、百年、二百年後には、宇宙から地球の周りを一周するようなツアーもできてることだろう。夢のまた夢と言ってきたことが、次から次に現実化される時代である。にも拘わらず、人の心だけが、一向に成長しないのは何故なのだろうか?

 

口では世界の平和を訴えながら、現実には弱肉強食という動物の本能丸出しの生き方は、昔から一向に変わらない。上に立つ者からして、自分が良ければいい、自分の仲間が良ければいいという考えである。

弱者に優しく接するのは、パフォーマンスに過ぎないような為政者が余りにも多いのである。基本は軍事力の大小で決まる。やはり人間の根底にある煩悩は、基本として動物の本能を超えられないようである。



▼法は万民の下に平等であると思ってる人は意外と多いかもしれないが、実際には「法は庶民を取り締まるものであって、取り締まる側は対象ではない。また、その扱いや運用は、常に恣意的である」と言うのが、今の日本での正確な解釈ではなかろうか。

法律家と言われる人でさえ、解釈が違う場合も多々あるのだから、仕方がないと言えば、仕方がないのであるが、国民が疑問に思うほどの判断が出た場合は、その解釈を履行した側が国民に、「こういう理由で我々は、この選択を選びました」と説明して欲しいものである。そうすれば、国民も

なる程、これなら仕方がないよ」と、納得するだろう。

TBSの元記者が女性を強制性交した事件も、逮捕状が出たにも拘わらず、それをもみ消した警察幹部が居たらしいが、そのことの説明がなされない。逮捕状を取り消すほどの正当な理由があるなら、堂々と説明すればいい。それをしないから国民は余計に疑うのである。こういう疑いの積み重ねが、国民の信頼を失うのである。

本人は出世に繋がるのかもしれないが、まじめに取締りを行ってる大多数の警察官が国民の信頼を失ったのでは、とんでもないことになろう。

官僚の嘘答弁もどうにか取り締まってほしい。公然と嘘を言っても、それ以上に追及できない野党もだらしないが、国会審議で嘘を言ったら、罪に問われるべきである。 資本主義であるから、数で押し切ると言うのは理解できるが、法は万民に平等に使用されるべきで、政権が恣意的に悪用するとか、個人的に乱用するとかは、止めるべきである。これが多選、長期政権の弊害、澱みなのである。人間の驕りである。

誰がやっても万民に平等にはならない。能力や好みや考え方が十人十色、百人百色だから、これはどうにもならない。優先順位を付けて、尚且つ多数決でやるしかないのである。

この時、権限のある者やその周辺者が、多少美味しい思いをするのも仕方がない。答えは「煩悩の塊が人間の正体だから」である。問題は「多少」が国民の許容範囲かどうかである。それが許せないなら、一円もダメ、一ミリもダメという厳しい規定を罰則付きで作るべきである。もし嘘を吐いた場合は、その罪が二倍になると言うのはいかがだろうか?

今の野党には国民を納得させるだけの説得力がない。だから二階幹事長に「桜はもう散った」と言われたら、「まだ梅も咲かないのに、桜が散るわけないでしょう。桜は咲いて人に夢を与え、潔く散ることでまた人の心を打つ。しがみついてしがみついて醜態を晒すより、優秀な若い人への禅譲こそ、あなた方の選ぶべき道ですよ」と、禅を説くぐらいの余裕を持たないと、とても政権はとれまい。

考えはそれぞれでも、人の心の奥底には故郷愛というのがある。動物に縄張り本能があるのと同じである。革新の斬新なアイデアも必要ではあるが、基本は保守という考え方が国民の中にはある。これは世界共通なのである。

国会の中でどんなにいい意見を言っても、国民の心を掴めなかったら、政権は取れない。今の野党には野党力も備わっていないように見える。聴衆を惹き付けるには華と毒が必要である。

好き嫌いは別にして、小泉進次郎と山本太郎の時代が来るのは間違いないだろう。



▼為政者や権力者、またそれらを担いでいる周辺者が、責任を取らない世の中になってしまった。安倍一強の弊害が出始めているのである。

不祥事を起こした大臣が出て辞任する状況に追い込まれたら、任命責任者として総理自身が責任を取るというケースは少なからずあった。そして党内から別の人物が総理になったりしていたのであるが、今はみんなで総理を支えてる状況になっているから、安倍総理も「任命責任は私にある」と言うだけで、責任を取ったと勘違いしているようである。

安倍さんを担いで今の地位に居る方が、自分の権力を維持できるという浅ましい考えの議員が多いということだろう。権力の中枢側に居た方が、選挙地盤のある地方に帰った時断然有利に作用する。真剣に国を憂い、国民の為に、地方の為に働こうと考えてる議員なんて、初めて当選した一期目ぐらいで、実際に国会へ行けば、そのしきたりや悪しき伝統に圧倒されて、自身の無力さ、非力さに気付くだけなのであろう。

「あんな奴が、こんな奴が」という議員が当選してくるが、あんな奴もこんな奴も、みんな国民が投票して当選してくるのである。責任は国民にある。国会議員の質を見れば、その国の民度がわかるだろうし、地方議員の質を見れば、その地方の民度がわかるだろう。

例えば長崎県では諫早干拓の防波堤について、裁判所が換わる度にその決定が入れ替わり、漁業者の言い分と農業者の言い分が真逆になるので、どちらも期待と不安が交互に繰り返すのである。

その一方で、当時の県知事(現参議院議員)の金子源次郎氏の娘と、衆議院議員の谷川弥一氏の息子が結婚し、その二人が経営する会社が入植する資格もないのに、諫早干拓に入植したのである。しかも干拓の中での一等地を他の入植者の何倍もの広さだという。明らかな担当責任者職員の「忖度の結果」だった。 一応「百条委員会」で議題には載ったようではあるが、社長を代わるということで、乗り越えたようである。

本来なら、嘘を申告して入札に参加しただけで逮捕される事案である。それが八百長で一番いい場所に当選したのである。バレなければそのままであったろうし、バレてもそのままである。県民が舐められているのである。一握りの人が怒りを持って立ち上がってはいるが、多くの県民が我関せずと、気にも留めていないのである。

だから、未だに入植した土地を返そうとしないのである。県民の代表である県議会も、殆どの人がその事実に目を背け、県民の代表としてその責任を果たそうとしない。県民の利益より自身の利権に関することしか興味がないのである。

政治家と言うのも、国政、県政、市政、町政とあるが、どれだけの議員が、国民の為にと思って行動しているか、分かったものじゃない。大部分の者が「自分の為だけに」行動してるのである。就職と勘違いしている者も多い。

昭和の時代も、明治・大正生まれの人から見れば「頼りない」存在に見えていたが、それでも今振り返れば、それぞれの職業に就いた人たちが、みな矜持を持っていた。いまそれが音を発てて崩れているような気がする。令和の時代は明らかに感性が違う時代になるだろう。

それでも声が出る限り、世に蔓延る不正追及を続けていくつもりである。本年も一年間ご愛読のほど宜しくお願い致します。


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