敬天新聞7月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和2年7月号 4面)



▼都知事選が始まった。今回は二十二名も立候補するのだそうだ。知名度アップの宣伝の為に立候補する者もいるのだろう。面白いパフォーマンスをすればメディアが取り上げてくれるので、保証金を没収されても採算が合うと考える不埒な者もいよう。順当なら小池百合子現知事の圧勝との前評判である。

私が興味を持っているのは、小池都知事のカイロ大学卒業履歴についての真偽である。「首席で卒業」疑惑と、「卒業」疑惑とでは、全く嘘の度合いが違って来る。この問題を追及しているのは女性作家と男性のフリーライターである。何回かそれらしき記事は見たような気はしたが、別に気にも留めなかった。女性作家は都知事選に合わせたのか本まで執筆してるようである。小池人気によって、今一番の売れ筋作品らしい。

この件では六月に入って、わざわざカイロ大学が「卒業証書は本物である」と発表した。その理由はわからない。私が興味を持ったのは、この疑惑を後押しするような形で東京地検特捜部出身で長崎県次席検事を務めた郷原信郎弁護士が解説を始めたことである。法律家だけに、追及が鋭い。そしてここに来て舛添要一元東京都知事までが、卒業疑惑を語りだしたのである。

小池氏も卒業が本当であれば、もっと積極的にその証拠を開示すれば、相手をぎゃふんと言わせれる筈なのに、今一説得力がない。カイロ大学に就学した自体は本当のようなので、別に中退でも良かったのに、やはり履歴に出す場合、中退と卒業では見栄えが違うのである。私自身も大学に八年も在籍しながらバイトに夢中になり、卒業しなかったことを悔いているがどうしようもない。

都民の為に汗水流す政治家であれば、学歴は関係ないが、嘘は良くない。我々のように大した仕事をしてない者とか、無名の者は、中退であろうが、卒業であろうが、余り人は気にも留めない。ただ人気が出るとマスコミとかアラ探しに奔走するのである。小さな嘘でも嘘は嘘として取り上げられれば、収拾がつかなくなることもままある。

政治家の特徴はできもしない公約を並べること。選挙では、講釈師のような嘘を言いながら聴衆を酔わせるパフォーマンスのできる者が当選する。だから落研出身者や弁論部出身者が多いのである。もし著名な芸能人が立候補すれば、間違いなく当選する。相手はこちらを知らないが、こちらは相手を知っているファン心理で投票するからである。

衣食住が足りれば基本的に人は、誰が為政者になっても同じという考えを持っている。しかし政策や思想信条を述べた途端に、賛成、反対、どうでもよい、の三つに分かれてしまう。だから芸能人は今まで政治の話はしなかった。

今コロナ禍で東京オリンピックへの情熱が消えかかっている。「六十五年前の夢と感動を再び」と言う思いが薄くなってきた。これから発展途上国へとコロナが感染していく。とても参加どころではなくなるだろう。コロナ禍でも官との癒着が暴露された電通が、オリンピックでも賄賂を渡して誘致に暗躍した裏側も見えた。国民はもう忘れているかもしれないが、フランス当局は今も捜査続行中なのである。

夢や感動を売りものにするなら、汚れた裏側を見せては行けない。国民も六十五年前と純粋さが違う。私自身も、もう一度「夢と感動に浸りたい」と思う気持ちが日に日に薄れているように思える今日この頃である。



▼徹子の部屋で野際陽子さん出演の回想シーンをやってたのでそれとなく見ていたら、目からウロコの貴重な話をしていたね。「若い時は、肉と骨がしっかり密着しているから、転んでも骨を肉がガードしているから、せいぜい肉をガードしている皮が擦り剥ける程度だけど、歳を取ると肉と骨が離れてしまうから肉が骨をガードできない。しかも骨密度が薄くなるから骨が直ぐに折れる。もっと年齢を重ねると、今度は肉と皮が剥がれる。だから高齢者になると、皺が増えるだけではなく、皮が垂れ下がってくる」と言う話をしていた。

なるほど。最近尻が垂れるだけではなく、尻の皺が増えたはずだよ。尻は他人に見せるところじゃないから、まだいいけど、顔は直接見られるところだから、テープで斜め上に引っ張ってたらしいよ。だから外に出かけた時は、顔が突っ張ってあまり喋らなかったんだって。美人を維持するって大変なんだねー。自然のままで老後を過ごせる貴女。幸せですなー。普通に産んでくれたご両親に感謝。

今六十代を老女と書いたら、クレームが来る時代である。確かに六十一歳も六十九歳も六十代に変わりはないが、響きとしてはだいぶ違う。六十一歳は、まだ五十代からの成りたての感じだし、六十九歳は七十(古希)の手前という感じがする。

ところが人間、自分の実年齢と自覚がどうしても合わない。自分と同じ年齢を新聞などで見ると、妙に老人臭い。本人にそのような自覚など全くない。孫などが傍に居れば、毎日自覚を促され、実年齢に合った生活になるのかもしれないが、一人で好き勝手に生活していると、いつまでも若い気になってしまうのである。元気だからの裏返しかもしれない。これで病気になったりすると気持ちも弱くなり、急に老け込むんだろうなー。

先日ブログに給付金の十万円が届いた時のリハーサルとして、「六十九歳の熟女フレンドにマスクを頂いたので、給付金の十万円が届いたらお返しに『高級入れ歯洗浄剤』をプレゼントしたい」書いた。そして実際に給付金の手続き書類が送られて来て投函した後に、「六十九歳の老女フレンドに・・・」と書いてしまった。やはり女性は健康であったら、「老女」という言葉は禁句のようである。かと言って、六十代を六熟女、七十代を七熟女と言えば、余計に歳がバレて嫌だろうし、中には八熟女の元気な人もいるし。

豊潤熟女なんかいいかも、と思って豊潤と調べたら「豊かで潤いがあること。富んでいること」と書いてある。「豊かであること、富んでいること」はいいけど、「潤い」は寧ろ減ってるからねー、嘘は良くない。それとも女性を褒めるには嘘も方便なのかなー。

ガールフレンドの対称言葉で、年輪があって重みがあって温かさがあって、枯れてるけどちょっと色気と女が匂うようなイメージの高齢者一般の女性に使えるようないい言葉ないかなー。元々「熟女」と言う言葉は四十代ぐらいに使ったような感じだと思ったけど、今は健康寿命が延びたことで、女性の熟女化年齢が伸びている。知人のAさんの彼女は驚きの八十二歳だそうである。

体育学部から政経学部に転部した私の語彙力では、とても女性を満足させるための言葉は思いつかない。そのうち何処かで新語・造語を作ってくれるまで待つしかなかろう。それまで熟女・熟熟女・熟熟熟女ぐらいで誤魔化して行くしかないね。



▼若者は老人に育てられ、老人は若者に育てられる。その前に、生まれてきた子供は親に育てられ、学校の先生に学び、地域の住人に学ぶ。この中で、「老人は若者に育てられる」という言葉に「?」という感じを受けられた方も多いことだろう。筆者も今ふっと思ったフレーズで、知らず知らずのうちに若者に感化されてる自分がいることを言いたかったのである。日本人は礼儀正しく身だしなみもきちんとしているというイメージがあり、人前に出るときは特に、正装にこだわるところがある。

年配者と若者の著しい違いとして、シャツをズボンの中に入れるか、入れないかがある。シャツをズボンの中に入れない姿を見て、長い間「だらしないな〜」と思ったものである。しかし最近「入れない」ことの便利さと言うのかなー、何か自由さがあって、気持ちまで気楽なのである。

それに最近では小さくなった尻を始め、出てきた腹とか、腰回りを隠せる利点もある。違和感がなくなったのである。知らない間に、遅れて若者の流行について行ってるのである。慣らされたどころか、今ではその楽さに大いに気に行っている。

人は自分が学んだ習慣や教えられたものが正しいと思い込み、それを子供を初めとして、後から来る者に押し付ける習性があるようだ。それらに不満なのか世の中では、繰り返し「流行」という現象が起こる。若者は迷わずその波に乗れるが、大人は中々ついて行けない。大人でも女性は意外と脳が柔らかいのか、流行を早々と取り入れる人も多い。

男の最近の流行りは「刈り上げ君」である。二、三年前にもこの現象について書いたことがあったが、最近はサラリーマンや老人にまで浸透しだした。規律の厳しい警察官やら相撲取りにまで刈り上げ君がいる。

昔は耳の周りから首の後ろに掛けて床屋さんがハサミでカットしてたのに、今はバリカンで横から後ろに掛けて剃り上げるようである。それも鏡も見ないで、自分でやるのも流行っているらしい。理容室は商売あがったりである。

今から六十年以上前は、床屋に行く人は殆どいなかった。男も女も子供は家でカットである。男の子は父親が手製バリカンで、女の子は母親がハサミで。今振り返れば、発展途上国の今日の光景と全く変わらない。

新型コロナで常識や情景や習慣というものが一変してしまった。国際関係も大きく変わる可能性もある。長くアメリカ・ヨーロッパを中心に世界が回ってきたが、これさえも変わる可能性もある。戦争は故意に社会の状況を暴力で一変させるが、自然の猛威もまた有無を言わさず状況を変えてしまう。この百年をリードしてきたアメリカさえも、手をこまねいている。慣習も常識も生活も仕事も瞬殺で一変させてしまった。

日本は公衆道徳や公衆衛生に優れていたから、今のところ甚大な被害はない。しかし、世界中がグローバル化してるので、日本だけが良ければいいという時代ではなくなってきている。世界中で助け合わなければ乗り切れない世の中になってきているのだ。

しかしコロナ禍のドサクサに紛れて、日本の領土を奪おうとする国が現れているのも事実である。今こそ危機意識を持って、国難を乗り切る覚悟が国民に必要である。


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