敬天新聞9月号 社主の独り言(渋甘辛)

(敬天新聞 令和2年9月号 4面)



▼人の命が有限であり、自然の摂理には敵わないと言うことが、この歳になってわかってきた。日に日に老人力が身に付いてきて、あっちこっちが古希古希言いだしてきたのもあるが、やはり大きいのは「世の中の流れ」に着いて行けなくなったという精神的な疲労も大きいのではないか?

不正や不条理には、生涯野党を宣言して立ち上がったものの、やはり生命力には限界がある。特に近年、昭和を代表した大スターたちが亡くなってしまった。彼らは夢を与えてくれた憧れの人たちだった。若い時は、かっこいい部分だけしか見えなかったが、歳を取ると人間味が見えてきて、何かの世界で活躍こそしたが、同じ人間だったんだなー、と共鳴することも多くある。

昔に比べたら、生き方の選択肢も多様化したが、それ故に「どういう生き方をすればいいのか」、そして「自分は何をすればいいのか」と迷う若者も増えるのではないか? 親でさえ子供に気を使う時代になってきている。

一方で、明らかに監視社会になっている。監視が犯罪抑制にのみ使われているのであれば問題はないが、監視する者に恣意的に使われる可能性は大なのである。そしてそのプライバシーが現実に売り買いされている。

スマホを持ち歩けば、その日買い物した店から帰った頃には、その店の広告が出たり、それに関連した広告が一気に出てくる。車に乗れば車の中も常に録音録画されてるし、ETCカードで何処から乗って何処で降りたかが、すべて記録されているのだ。その人の行動を本気で調べようとしたら、今は簡単に調べられるのである。

昨年までは、裁判所の許可がなければ、電話の盗聴などはできなかったが、今は一部の犯罪に限っては裁判所の許可はいらなくなった。いつでも盗聴が可能になったのである。殆どの警察署に機械が置いてあるそうだ。本当に決められた犯罪だけに使われるのであれば問題はないが、自由に使えるのであれば、使う者が恣意的に使うことはあろう。

昔、自分が好きになった女性が心変わりして他の男性を好きになった話を、私に「女性が強姦された」と嘘まで言って攻めさせた男は、その女性の家に探偵社を忍び込ませ盗聴器を仕掛け、毎日女性を監視していた。そんなことをする者も現実にはいるのである。

最初こそ慎重であっても扱う者が人である以上、慣れてきたら驕りも出よう。犯罪抑止、犯罪者逮捕に向けての正当な利用には賛成であるが、乱用には反対である。読者諸氏の考えははいかがであろうか? と言う固い話ばかり書いても、床場のとよちゃんが「ぜんぜん面白くな〜い。わかんなぁ〜い」と言うかもしれないので、爺婆ランドでの観察話。

女性も太めのぽちゃぽちゃ感じも、熟女から高齢者までで、高齢者を遥かに上回ってくると、骨と皮のように痩せてくるそうである。当然女性の胸は「干からびいたイカの頭みたいになって梅干しがちょこんと付いてる状態」(知人のTさんの説明)だそうである。

そのような女性と未だ鉢合わせしたことはないので女体の神秘について語るほどに博識はないが、ただ女性は幾つになっても女性の様で、先日妙齢の高齢者に「私幾つに見える?」と言われたので、偶然にもピッタリ当ててしまったら、「初めて当てられた」と本人はショックで何日も眠れなかったそうである。妙齢の高齢者の女心を読めなかった私の不徳の致すところであった。



▼独り言を書きながら、ある程度書いてから、「あれっ、この文章はいつか書いた話だなー」とか思い出すことがよくある。凡人の脳は進歩しない。後退するばかりである。

例えば入れ歯を外して忘れたまま出かけることもよくある。そして何かを口に入れて初めて入れ歯を忘れてることに気付くのである。こういうのは明らかに認知症の始まりだそうである。先日は旅先に入れ歯を忘れて宅急便で送ってもらった。

若い時は、「大人は何を考えて生きているんだろう?」とか考えて、大人の考えは一切理解できなかった。しかし今は自分が歳を取って、若者の考えが全く理解できなくなった。しかも新しいアイデアは全く浮かばず、昔の考えの繰り返しである。脳の退化である。

犬がインプラント歯を入れる時代である。子供の時は多少の貧富の差はあっても、今や給食や本も学校が支給する時代だから、ある程度平等な子供生活は送れるのだろう。しかし大人になれば、自己責任である。年金だけが頼りである。だから国には、老人に年金だけは間違いなく払えるような、固い政策を実行して頂きたいものである。失われた年金なんてとんでもない。

それにしても、最近は詐欺師までが臆面もなく名誉棄損で訴える時代である。人権を重んじる風潮もいいが、ハッキリした詐欺行為を繰り返す常習詐欺師が臆面もなく名誉棄損で訴えてくるのである。「どの面下げて?」と問いたくなる。要するに時間稼ぎである。雇われた弁護士さんも書かれてる内容が事実なら、「あなたのような詐欺師の弁護などしたくありません」と言うぐらいの男気ある弁護士さんはいないのかねー。

名誉棄損と詐欺行為は別の犯罪だから、まー、わからないでもないけど、最近は破廉恥行為に対する羞恥心みたいなものが、完全にマヒしてきている。

一番の原因は安倍総理夫婦である。とにかく責任を取らない。説明をしない。詭弁ではぐらかしいつの間にか有耶無耶にしてしまう。特に昭恵夫人はひどいねー。ファーストレディーの自覚がない。旦那が総理大臣の時だけでも、静かに家に居ることができないのかね。安倍批判の半分は夫人に責任があるよ。と思いました。

若者のオレオレ詐欺の増加は安倍総理とは関係ない。これはゆとり教育の歪みである。子供の少子化で甘やかし過ぎが原因であろう。この問題は韓国や中国でさえ、起きている問題である。

貧しい時は家族が一丸となって支え合うから、親の働く背中を見て「大きくなったら親に恩返しをしたい」と優しい子供が育つのだが、生まれた時からチヤホヤされてわがままし放題で育てば、親に感謝する気持ちなど起こらないのである。

こういう人の痛みを知らないような子供が大人になって、国を動かすような時代になれば、戦争行為を平気で決行するかもしれない。スマホを扱う感覚で無人戦闘機を操るかもしれない。

結局歴史は振り子運動のように右に行ったり左に行ったりを繰り返しながら、過ぎていく。どの時代に生まれ、どんな指導者の時代に遭遇するのかは神のみぞ知る出来事である。神代の昔から、現在に至る日本の歴史は、個々にはそれぞれの言い分もあろうが、大局的には十分に及第点を挙げれる歴史だったと思うけど、如何だろうか?



▼北朝鮮が自国に不都合なことを喧伝する者を有無を言わさず殺してしまう国と言うのは、誰もが理解している。しかし怖いから、その件に触れない人は多い。

日本で北朝鮮の政治的出先機関と言えば、朝鮮総連である。しかし、日本に居るとはいえ、北朝鮮の真実を暴いて、毎日のように北朝鮮の実情を報道している人もいる。筆者が北朝鮮情報として参考にしているのは、高英起という記者である。よくあそこまで深く突っ込んで書けるものだと感心する。北朝鮮政府と言うより、金正恩代表から見れば、見逃せない「犯罪者」に見えることだろう。ああいう命を賭けた記事を書く人こそジャーナリストというんだろう。

為政者は自分に不都合な記事を書く者を、常に抹殺しようと企んでいる。独裁国家では命の抹殺。資本主義社会では、経済的抹殺。逆にヨイショ記事を書く者は出世させ、国の仕事を優先的に与え、大儲けさせ、バックをさせる。これが神代の昔からの、世界中での慣わしである。

何の世界にも矛盾はある。矛盾の無い世界はない。動物の世界の食物連鎖や弱肉強食は認めながら、人間社会ではあってはならないと言いながら、肉を食べる。豚は食べないけど、牛は食べるという宗教もある。自分を守るために銃を持っていい国もあれば、銃は危険だから持ってはいけない国もある。日本ではペットや警察犬として飼われている犬を食用とする国もある。

そもそも生きるために食しているのか、食するために生きているのか、人が生きてる存在と言うのが何なのか、何のために生きているのかという根本的なところが、凡人にはわからない。嫌、凡人だけでなく、宗教者も、哲学者も、科学者も、官僚も、為政者も、実のところはわからないのではないか? 

たまたまこの世に生まれてきたから、何かを成し遂げようと頑張った結果が、今の地位を得たのかもしれない。その原動力は親孝行だったかもしれないし、逆に親への反発だったかもしれない。取り敢えず食わねば生きていけないから、先ずは迷わず食う。そして大きくなるにつれて、色んな矛盾に出会う。矛盾を「これはおかしい」と、反面教師にしてそこで戦う人。「世の中なんてそんなものだよ」と、受け入れながらズルズルと生きる人。そこら辺が分かれ道になるのかなー。

為政者は体制を守ろうとする。右でも左でもいい。中道でもいい。それはそこに自分を中心にした利権が存在するからである。居心地のいい生活を享受できるからである。勉強をすればするほど、体制の矛盾に気付く。政治の、司法の、行政の、矛盾に気付く。勉強をしなければ、矛盾にも不平等にも不条理にも気づかない。

私が理解できないのが、貧しい人を助けようとか、身障者を助けようとか、ボランティア精神の旺盛な優しい人は大好きなんだけど、日本を非難する国と一緒になって言動を共にしようとする人たちの存在である。

日本が豊かで国力があって世界にも貢献しているからこそ、世界中の人たちからも認められるのであって、国に力がなかったら移民や難民扱いしかされないのである。 差別や貧困の苦痛は世界中にある。日本は過去の大戦の批判ばかりするが、有史以来の歴史の中で、日本だけでなく世界中で戦争は繰り返されてきた。意味の無い戦争もあれば、意味のある戦争もあったろう。力でねじ伏せた時でなければ解決しない矛盾というのも、世の中にはあることも事実なのだ。


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