崇仁地区に京都芸大建設で門川大作京都市長が大失態

【敬天新聞 令和2年10月号 3面】


入札不調の怪

JR京都駅からほど近い一等地にも拘らず、特異な事情で開発と無縁だった「崇仁地区」が大きく変わろうとしている。京都市立芸術大学が2023年度の完成を目指し、西京区から移転してくるほか、長く手つかずでいた土地で老朽化した建物の取り壊しと、新たな街づくりに向けたビル等の建設工事が始まったからだ。

この開発に絡み、例年を凌ぐ猛暑が続いた今夏、京都芸大移転に伴う各工事の入札が行われるという投書が幾つか届いた。だが内容が尋常ではない。入札は8月31日から9月2日までの日程(3日に開札)で行われるが、水面下でその利権を狙う魑魅魍魎が蠢いているというのである。

利権争いなら何処でもあることかも知れないが、この崇仁地区を他所のレベルと一緒にしてはならないことは、過去に起きた数々の事件が物語っている。

崇仁地区は日本三大部落の一つで知られている場所である。同和の最大手団体である部落解放同盟が日本で唯一、仕切ることができなかった同和地区である。 弊紙に最初の投書が届いたのは、入札開始の半月も前だが、その内容をネットブログで公表していた。その影響がでたのか、入札の結果が一部不調に終わったそうである。

不調に終わったのは、建築部門で、他の管工事部門と電気工事部門の入札は成立したそうである。しかし肝心の建築部門が決まらなければ、菅工事部門も、電気工事部門も工事はできない。その肝心の建築部門が不調に終わったと言うことは、投書の内容が的中したということだろうか?

その不調になった理由と複雑な事情を投書の内容を引用しながら、当該入札の結果が出るまでの経緯を辿ることにしよう。



市長の失態

かつて消費者金融最大手の武富士が、崇仁地区の隣接地の地上げを計画し、地上げ要請を受けたのは、地元の同和団体「崇仁協議会(現在の崇仁・協議会)」 の代表者の一人だった藤井鉄雄氏である。このときの地上げ資金を巡りトラブルが起こり、武富士の訴えで藤井氏は長期服役となった。武富士から流れた約600億円もの巨額な地上げ資金のうち、約500億円を着服した藤井氏は大金のほとんどを私的流用し、ヤクザや地元にもバラ蒔いて、部落解放同盟でも纏められなかった崇仁地区のほとんどを掌握し、「崇仁同和協議会」を発足した。(※後に崇仁協議会〜崇仁・協議会に改名)。

このとき、会津小鉄会の元組員だった経緯で藤井氏は会津小鉄会にも巨額な金を流した。しかし、もう一人の発起人・高谷泰三氏(高谷泰三会長、藤井鉄雄委員長の二人代表)が、山口組中野会の元組員だったために、会津小鉄会にのみ上納する藤井氏に釘を刺し、中野会にも巨額な金を流したのである。

そのために、藤井氏が武富士からの地上げ資金から着服した分の約500億円や、崇仁地区や隣接する京都駅前の開発利権などを巡って、中野会と会津小鉄会の抗争が勃発した。崇仁協議会、崇仁地区のトラブルから、ヤクザだけでなく崇仁協議会役員含め18人もの死者が出たそうだ。

崇仁地区は、前出の京都駅前、七条・八条・九条・十条の約9万坪もの広大な同和地区。かつて自民党の野中広務議員が官房長官だった時代に開発の話は進んでいた。しかし、野中広務議員が官房長官を辞任すると同時に崇仁地区の開発も宙に浮き、止まってしまったのである。

以後、多くの死者、地区住民の反対などの問題が山積し、数十年間、開発ができなかった。しかし2017年、崇仁地区の開発の始まりとも言える「京都市立芸術大学移転整備基本計画」が策定され、その計画に基づき新設工事に先立って工事関連の入札が決まった。

京都市の門川大作市長は、この計画を市長としての「最後の大仕事」であると位置づけ、その力の入れようは尋常ではなかったそうである。しかし京都市は「コンプライアンスを徹底している」と自信満々だったが、既に反社会的勢力は巧妙に深く入り込んでいたのである。このことを関係するゼネコンは全社承知していて、知らぬは京都市の担当者たちと門川大作市長という構図である。

京都市の公式団体「京都市立芸術大学移転整備工事設計業務受託選定委員会」の筆頭として名前が挙がっている「崇仁自治連合会」は、奥田正治氏が会長に就任している。しかし、奥田氏は崇仁地区での公共事業で得た金を、会津小鉄会大西組に上納し続けていたそうだ。崇仁地区に組事務所を構えている反社会的勢力に公然と資金提供をしていたという。(この大西組が解散後も、山口組が名古屋と神戸に分裂したと同時に、会津小鉄会も名古屋支持の派閥と神戸支持の派閥に分かれたが、奥田氏は自身の過去のしがらみから、双方に上納を約束していたそうだ)。

長年にわたり会津小鉄会大西組に上納し続けていた奥田氏にとっては、縁を切ることは難しかったようで、地域の自治会の長を表の顔として、裏では現在も会津小鉄会と深く関係している。

崇仁地区の住民のほとんどが奥田氏と会津小鉄会の密接な関係を知っているのに、京都市はヤクザと関係する奥田氏を公式団体のメンバーにしているのである。奇しくも京都府公安委員会が指定暴力団として七代目会津小鉄会(金子利典会長)を「官報」で公示しているのに、京都市は大恥を満天下に晒しているのである。


特異な地区

利権の主導権を取るためには、崇仁地区住民たちをまとめあげる必要がある。その作業を前に「京都市立芸術大学移転整備工事」で名前が挙がっているのが、前出の『崇仁自治連合会の奥田正治会長』のほか、『全国自由同和会京都府連の上田藤兵衛会長』(=六代目山口組・高山若頭を刑務所に陥れた人物)と、前出の藤井鉄雄氏と統合し統一団体となった『崇仁・協議会の川村眞吾郎会長』の三者で、三つ巴の争いとなっているのである。

そんなことを知ってか知らでか、門川大作市長は自身の発信するSNSで、堂々と奥田正治会長と肩を並べ、「素晴らしい地域となるよう、共々に努力してまいります」と満面の笑みを浮かべて公言していたのである。

その奥田正治会長の動きについて、投書には以下のことが記されていたのだ。 「『大学校内の清掃業務』『楽器(ピアノ等)』「自動販売機』の入札は行われて、既に落札業者は決まっている。業界関係者の情報によると、京都芸大の建設に伴う公式メンバーに選出された奥田正治は、いち早く情報をキャッチして、後ろ楯のヤクザの推薦する会社が前出の入札を落札している。奥田正治は地元崇仁の住民たちの間で、通称『クリーニング屋の奥田』と呼ばれている。表ではクリーニング業を営みながら、崇仁地区に本部事務所を置いていた会津小鉄会大西組組長と同和地区の利権を貪っていた。大西組が解散となった後も、奥田と大西組の上部団体である会津小鉄会との関係は現在でも継続している。ゼネコン各社や京都市関係者から得た情報では、奥田は会津小鉄会幹部らと共謀し、鹿島建設、竹中工務店、清水建設、松村組、戸田建設、奥村組などに対して、『私は京都市の正式メンバーであるし、京都市役所に手を組んでる奴がいてますんや。だから入札価格は任せてくれたらええ。今までも清掃業務や自動販売機や楽器の入札も上手いことやりました』と話し、官製談合を持ちかけている」(投書)

更に投書主は、全国自由同和会の上田藤兵衛会長は会津小鉄会組員だった時代に殺人罪で服役した過去があり、六代目山口組高山若頭と会食した際に「脅された」と言って警察に垂れ込んだ狸爺だというし、崇仁・協議会の川村眞吾郎会長は、住民の同意が得られていないことや裏で談合が進んでいること、また良からぬ連中の利権争いに一般人を巻き込み兼ねないこと等を危惧し、京都芸大移転等の工事計画自体を反対している。

長い残暑も陰りを見せ、秋雨前線が冷たい雨をもたらす時節となったけど、崇仁地区の利権を巡り、再び京都に血の雨だけは降ることのないよう切に願うばかりである。


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