敬天新聞11月号 社主の独り言(中辛)

【敬天新聞 令和2年11月号 4面】



▼政治家は大袈裟な表現を好む。頭の悪い政治家ほど、同じ言葉を何度も使うのである。「断腸の思い」とか、「痛恨の極み」とか、余程気にいったフレーズなのか、しょっちゅう使う。こういう重い言葉は、行動と共に使用されて初めて意味を為すし、相手の心に響くものである。

ところが、意味をわかってないのか、軽々に使い、行動は伴わない。おそらく使ってる自分だけが酔いしれていたのだろう。

政治家という職業は、頭も技術もいらない。ただひたすら、選挙民に好かれるためのパフォーマンスを繰り返し知名度をあげ、当選を目指すのである。或いは地元の実力者に気に入られ可愛がられ、男芸者も厭わない。ただ政治家は何故か役所に強い。政治家を通じて役所への頼みごとをすると、確実に申し込み順番が繰り上がるし、許認可も通る可能性が確実に高いそうである。そうして自分に投票してくれるファンを増やしていくのである。

世襲議員は余り苦労を知らない。親が築いてきた地盤、看板、カバンがあるから、それらのリーダーの指示に従って、動いていればいいのである。後援会がしっかりしていれば、その籠に乗ってるだけでいい。

「籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人」というように、それぞれの立場の職人が居て、それぞれの立場でビジネスになっているのである。そして上に登れば上るほど、利権が大きくなる。担ぐ人たちもビッグビジネスに繋がるのである。政治家の選挙は勝つことで大きなビジネスに繋がっていくのである。

だから時には平気で嘘を言ったり、誰かが命を賭けた抗議をしても、無視されてしまったりするのである。右だ左だではない。為政者と言うのは、自分の都合のいいように、国民を欺く時はある。そして力がある時は、周囲の誰もが平伏すので、余計に錯覚するのである。それを窘(たしな)めるのが、与党の重鎮、或いは野党の仕事であるが、一強になったらそれさえも敵わなくなるのである。最後に断を下せるのは国民の声なのである。

総理大臣と言うのは、一般の常識を持っていたら、とても務まるものではない。菅総理がどういうタイプの総理になるのか、まだ未知数であろう。この一か月の仕事ぶりを見て居ると、安倍政権が内政後半において全く機能していなかったように見えていたので、菅内閣は「やる気は見える内閣」に感じる。

ただ一強内閣にはなって欲しくない。せめて自民党内だけでも自由闊達な意見が出るべきで、みんなが官邸の意向に従うような雰囲気ができてしまえば、総理の考えが全て正になり、他はすべて、悪や邪や誤になってしまう。

有無を言わさず官邸に国民が従うような時は、中国が尖閣諸島を荒唐無稽な理由をつけて略奪しに来た時とか、北朝鮮が韓国を統一し、ミサイルを日本に向けて発射したような時である。そういう時は日本国民として、平和な時の言論の自由、行動の自由を我慢してでも、国に忠義を尽くし、国家、国民、家族、女子、子供を守るために、男は武器を持って立ち上がるのが当然である。

しかし平和な時には、たとえ官邸であっても、嘘や強制を始め、公文書の改ざんや破棄するほどの忖度は宜しくない。探偵事務所のような人物調査に力を入れ過ぎた官邸で、ライバルを威迫して長過ぎた安倍政権から学んだ私の感想である。



▼最近は多様化した価値観を認められるようになったから、高齢者の第二の青春、第三の青春を謳歌する女性が増えた。

何故女性が増えたと書くかと言うと、男は昔から動物のオスの本能を引き継いでいるから、「下半身に人格無し」とメスを追いかけ回していたが、メスは気に入らないと振り向かない本能があるが、それも閉経までの姿であって、その後は中性として、世を送るだけが、世間の相場であった。

しかし今は違う。健康であって、少し生活に余裕があれば、オス、メス問わず第二、第三の青春を求める時代のようである。戦前、戦後を過ごされた婦人部隊の方々からすれば、隔世の思いがするのではないか。三角頭巾をかぶり、強い気持ちがあれば竹やりでB29さえも落とせると教育され、産めよ増やせよという、時代だった。

個々の言い分は全く認められず、国の方針に逆らう者は逆賊として処分された。国民に人権は無く奴隷のように扱われた時代だった。いま振り返れば、先進諸国から見れば、当時の日本は今の北朝鮮のように見えたのではないか。

しかし、戦わずして侵略されて植民地化されたり、奴隷になって服従するより、最後まで戦って敗れる方が悔いはなかろう。だから私が指導者であっても、やっぱり開戦を指示すると思う。

真珠湾攻撃にしても、大国が相手であり正面から挑んでも勝てないと判断したら、奇襲作戦でも、自爆攻撃でもやらざるを得まい。負けたから非難されるのであって、もし勝っていたら誰もが肯定したのではないか。勝てば官軍であり、全ての話に通ずる理屈なのである。

過去の歴史を参考にしたり反省したりすることは大事なことではあるが、侵略してくるのがわかっていて、黙って指を咥えて見て居ることが、理想の選択肢なのだろうか? そんな選択を採択したら、敵はどんどん入り込んで来て、次から次に無理難題を要求してくるだろう。野党の国民の支持が上がらないのが正に「ここ」なのである。

普段ならともかく、日本と韓国が仲悪い時に、韓国の味方するような発言をしたり、中国に対しても然りである。「あなた一体どちらの味方なの?」と言うような印象が、政権を任せられないと国民の大半が思っているのである。

対極的にトランプ大統領みたいに、極端な自国ファースト、自分ファースト的な政権運営は、世界に余り影響を与えない発展途上国では許されるかもしれないが、世界に影響を与える先進国には認められない。人の迷惑を全く考慮しない我が儘に見えるからである。

だから菅総理にはアメリカ一辺倒ではなく、日本に好意を持ってるアジアの国々、中東の国々と積極的に友好的な関係を築いて欲しい。そして忘れてならないのは、多くの日本人が働きに出かけて行ったブラジルへの感謝である。多大な支援をして欲しい。

他国へ出れば伝統・文化が違うので、沢山の苦労もあっただろうし、お互いが嫌な思いも沢山したと思う。つらい思いをした時は「赤チンキ」の逞しさを思い出せ。昔小さい時は、切り傷は全て「赤チンキ」で治った。赤チンキは外科の魔法の薬だった。取り敢えず、ケガしたら全て赤チンキを塗っていた。それで不思議と何でも治っていた。親も子供も逞しかったのである。御仏と私の絆お念仏。



▼このコーナーは、他のページで厳しい記事が多く、読んでいて肩が凝る場合もあろうかと、ちょっと箸休め的な意味合いを心掛けている。美人ばかり見ていても飽きるし、女優で言うなら、太地喜和子さん。ナレーターで言うなら、来宮良子さんである。

熟女とは、ついこないだまで、女力が増した四十代から五十代に掛けての洗練された魅力を持つ女性に使われた言葉だったようだが、最近ではもうすぐ老婆になる直前の女性全般にまで使われるようである。

従って、第二、第三の青春を取り戻そうと昼カラで美声を張り上げてる妙齢の女性や健康ランドや近所の集会所で年下の七十三歳の男性を追いかけているような女性も全て含めて、最近は熟女と呼ぶのである。熟女の範囲が広がり、特定の魅力ある人、魔力ある人に使われるのではなく、広く一般に使われるようになったのである。三十年前のデビ夫人が正しく熟女であったが、今のデビ夫人も熟女である。

若い人から見たら「え〜?」という声が上がるかもしれないが、爺・婆には爺・婆の言い分があるのである。老婆になる直前の熟女は多少疲れているから、無理もする。見栄も張る。金もかける。家に帰って風呂から上がるとぐったりする。高齢熟女は健康でなければ維持できない。コラリッチを塗ってシミを隠し、グルコサミンやコイドロイチンを塗りたくって、健康を維持し、出掛ける時には忘れずに薄型尿パットを充てる。そんな見えない努力をしてまで、熟女でいたい女心である。

高齢熟女はちょっと油断すると老女に見られてしまうので、女を演出するのも大変なのである。しかしそれもこれも、健康がなせる業であり、健康こそが全ての源である。演出には金がかかるのも付きものだが、健康の有難さに比べれば、必要経費のうちである。

最近はテレビのコマーシャルでダントツに多いのが「通販」である。コロナ禍対策で外出を控え、直接買い物も控えるので、余計に売り上げが伸びてるのだろう。健康によい飲み物や健康手助けグッズが中心である。 ターゲットは中高年以降の熟女と、男から逞しさ力強さがなくなって、腰が痛い、膝が痛い、入れ歯が合わない、名前が直ぐに出てこない、尿パットが必要な爺が狙われているのである。

「今から三十分以内の人に限り半額です」とか、「初めての方に限り半額です」と言うアナウンスに、ついつい電話に手が伸びるのである。

最近は「社長、もう少し安くなりませんか〜?お願いします〜」と、甘えるように熟女キャバクラ風愛人タイプの女性が出て来る田舎芝居的CMもやたらと目に付く。女性に縁の無い孤独な老人にはあんなCMも自分の味方に見えてしまうのである。

コロナコロナと騒いでるうちに、今年も残すところ二か月になってしまった。コロナ禍で今までの常識までが一瞬にして変わってしまった。

仕事が無くなった人も多かろう。バブルが来た人もいよう。ただ世界の変わりように比べたら、日本の場合、変化が少ないように見える。公衆道徳観念が行き届いているのと、国民が国や行政からのお願いを守る従順な国民性だからであろう。日本の国よ永遠に。


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