敬天新聞4月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和3年4月号 4面)



▼オレオレ詐欺は卑劣な犯罪の代表的な一つであるが、国が国民のプライバシーに入り込む最高のツールとしての理由付けになっているのは間違いない。と同時に、社会の常識をすっかり変えてしまった。

例えば、一人前の大人になって自分の家を持つことは最大の夢の一つである。そして家の門柱にしっかりと自分の名前の入った表札を取り付けることが誇りの象徴であったはずである。ところが最近は表札を取り付けない人も多い。そして役所もそれを認めるようになった。

また金融機関からの預貯金の引き出しも、預け入れも、理由を言わなければならなくなった。顔が認証であった田舎でさえも、理由を問われるのである。勿論防犯の意味からの問い合わせであるのだが、中には気分の悪い質問をする行員もいる。特に引き出しに行くときは、しつこく問われる。オレオレ詐欺の防犯上からは、この行員の声掛けは大いに役立っているだろうから、仕方がない。

今の時代、数ある犯罪の中で「詐欺」が犯罪の中心になってきている。昔は詐欺は、窃盗に続いて恥ずかしい犯罪の代表だった。それが今では暴力団でさえ、平気で行う犯罪の一つになってしまった。時代の流れとは言え嘆かわしい。

韓国が日本のLINEのデータをすべて収集しているということで、官邸や総務省でラインの使用禁止を決めたようだが、携帯が全てスマホに切り替えられ、国民は色んな情報をスマホから得るために、そのデータが全てスマホに蓄積され、それが自動的に解読されて、そのデータが売り買いされている。勿論政府も行政も昔に比べたら、ダントツに国民のプライバシーを知っていることになる。

昔から国(行政)は、一定のプライバシーは知ってはいたろうが、一応表向きは触らない振りをしていた。それがオレオレ詐欺が大流行するにあたり、犯罪撲滅のために多少のプライバシー介入も構わないという風潮になってきているのである。

世の中の常識とされてきたものが、コロナ禍で急速に変わってきた。価値観も変わって来た。五十年に一回と言われる自然現象が毎年起きるようになった。それも国内の各地で起こっている。こういう現象を繰り返しながら、いずれは地球は一つになっていくのだろうか?

世界に二百か国の国と地域があるが、どの国の体制を見ても一長一短があって、皆が納得するような国はない。大きな国は人も多いから纏まりにくいし、小さな国は纏まりやすいが近隣から経済封鎖されやすい。社会主義は自由を制限されるし、自由主義は貧富の差がつきすぎる。

これからも陸地が海に沈んだり、海底が隆起したりを大自然は繰り返すだろうから、人類発生がいつなのか詳しく知らないけど、以来陣取りゲームは世界中で行われてきたわけだから、これからも永遠に続くんだろうなー。結局戦いの基は、財の独り占めと言う欲望と、詰まらぬ面子なのである。



▼二階俊博幹事長は現在の田中角栄だろう。無名の議員から今や個人では最大の実力者と言える。他派閥の落ちこぼれ議員を次から次に受け入れ、今じゃ立派な派閥の領袖である。

特異なのは党員だけでなく、他党からの自民党への鞍替え議員も自派閥に受け入れることである。通常そのスタイルを強行すれば、自民党内からブーイングが起こりそうなものだが、そんな声も意に介さない。当然その後に選挙区で火花が散ることになるが、それでも押し通して現在に至る。

トラブった議員の寄せ集めであるから、常に危機感はあるかもしれないが、その分一人一人は逞しい議員の集まりとも言える。派閥を形成して長に収まるには多額の金がかかるらしい。無名の議員が派閥を形成するには、相当なスポンサーが必要となる。二階幹事長のスポンサーが誰かしらない。

しかしGoToトラベルやGoToイートを強引に推し進めようとしているのは二階幹事長で、そこに菅総理が振り回されてるような姿が国民には映っている。

田中角栄氏が、総理を辞めても最大派閥を維持していた実力に似ているかもしれない。二階幹事長が中国との経済友好に力を入れているのは、国民に広く知られている。自身が中国に行く時、経済界から1000人も2000人も引き連れて渡航するのは有名な話である。

中国からしても、総理が一人で行中して、杓子定規な挨拶をするよりも、商売人を1000人も2000人も引き連れて来てくれる方が嬉しいだろう。その手法もまるで田中角栄手法である。

二世、三世というのは、乗せられたレールに乗ってるだけで、基本的には何もできない、わからない、という議員は多い。勿論長くやっていれば、その世界の空気は吸うだろうから、雰囲気だけは議員にはなる。そういう議員は国民の痛みはわからない。

所詮、議員も庶民と同じ人間だから、先ずは自分が一番であり、家族が二番であるというのは仕方がない。せめて三番目に国民のために、国のために、という人物を育てるしかないのであるが、今の議員を見ていると、それさえも持ち合わせていない議員があまりに多すぎるような気がする。

今はコロナ禍で国民に色んなお願いを強いている。それなら自分たちも率先して苦渋の選択をして耐え忍ぶ努力をするべきであろう。

例えば、歳費を減らそうとか、毎月国会をやるとか、議員数を減らすとか、逮捕された者は先ずはその時点で歳費は不払い、自動的に失職するということにして、後日無罪となった場合は、その間の歳費も払い、議員も復職するとすればいいではないか。

基本は犯罪と思われるような行為はしないことが原則であろうから、こういう法律を作ったり、規律を作っても何ら問題はないはずである。国民をリードする立場に立候補して、選ばれた者たちであり一般人ではないわけだし、そのくらいの覚悟は持って臨んだわけであろうから、自らそういう法律・規律を作り実践すべきである。

自分たちの生活が保障されているものだから、国民の痛みがわからない議員があまりに多すぎるのである。議員には「国民に選ばれし者」としての矜持を自覚してもらいたい。



▼国のトップになったら、心ならずも時には平気で嘘も吐くぐらいでないと大物とは言えないのだろうか? 四年前のオリンピック招致の時だったか、安倍総理が世界に向けて堂々と、「福島原発はアンダーコントロールされている」と発信した。その時は、その話を聴いて「あ〜そうなんだ。それなら一安心だ」と思ったものである。

しかし建屋に残された原子炉の実態を見ていると、あれから四年経っても一向に廃炉に向かっての作業は進展していないようだし、水を貯めてるタンクは満杯状態で、増える一方である。本当に問題ないほど稀釈されているのであれば、迷わず海に流して問題はないだろう。未だに貯める一方で、判断がつかないから、海に廃棄できないでいるのではないのか?

海に流すのが不可能なら、砂漠のようなところに捨てられないのか? 砂にろ過されて綺麗にはならないのか? 万全な対策は無いにしろ、何か手を打っていかねば、未来の子供たちに負荷を背負わすことになる。自分たちが起こした問題は自分たちの世代で解決していくべきではないのか。

今の大人は昔の大人に比べて無責任である。昔の人は責任を取れなかったら、腹を切って詫びた。A級戦犯として批判されて死刑になった。そういう覚悟が今の大人にはない。全てにおいて無責任である。だから平気で嘘も言えるのである。国民を幸せにする嘘ならいくらついてもいいが、不幸にする嘘は吐くべきではない。結果として嘘を吐いた場合でも同じである。

その時は本当だと信じていたとしても、事故であれ、自然災害であれ、結果として国民を不幸にした場合であれば、当然その責任は負うべきで、自身の全財産も地位も権力も命も自ら放棄すれば、永久に語り継がれる歴史上の人物になるであろう。

それを「俺は関係ない、間違っていない、そんなことは知らなかった」と逃げ回れば、それこそその姑息な姿が永遠に語り継がれ、恥を後世に残すことになるだろう。いま日本人に、本当にそういう無責任な大人が増えた。特に与党政治家とその取り巻きに多いような気がする。

原子力の力は偉大で、日本経済の繁栄に大きく貢献したのは事実である。自然の力だけで、全ての電力を賄えればそれは理想であろうが、現実的には難しいところもある。まー、食料の無駄を初め、前に前に進むことばかり考えて、立ち止まったり、振り返ったりする必要性を先進国民は忘れてしまっているのだろう。一番になることの栄華、利権、収奪、満足を一度味わったら、もう永遠に忘れることができないのだろう。

あと十年か二十年で、月に旅行に行くとか、宇宙から地球を眺める旅行とかが現実になる時代である。しかし、福島原発の完全な廃棄終了にはまだ五十年の歳月がかかるとか。未来の夢を描くのは素晴らしいことではあるが、失敗した時には当然そのトップが責任を取るべきで、そしてその負荷を未来に残さないことである。

オリンピック開催も大きな意義はあろうが、それは日本社会が健全で、日本国民の大多数の理解と協力があっての力作でなければ成功とは言えないだろう。


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