敬天新聞5月号 社主の独り言(甘口)

(敬天新聞 令和3年5月号 4面)



▼日本は世界中の陸地の1%以下だそうである。しかし災害に関しては、世界で起こる災害の20%が日本で起きる災害大国だそうである。そんな災害大国日本が沈没もしないで生き延びて来たのは、何故だろうか?

よく人間の世界では、最強な者が生き延びると思われている。ところが、陸の王者だった恐竜は氷河期に滅びてしまったそうである。形を変えて子孫と言う動物たちも色々と発見されている。生き延びるためには気象変動に対応し、変化していくことこそ、生き延びる術だそうである。

弱肉強食の食物連鎖の中で、中には絶滅危惧種となって歴史が途絶えた生物もいるだろうし、食物連鎖の中で、一番最下層に位置しながら、千万年も昔から現在に至るまで連綿と生き延びて来た生物もいるかもしれない。

一番最下層に位置する生物なんか、他の生物に食われるために生きているわけで、何を楽しみに生きているのだろうか?子孫を生み続けるということは、家族を持ってるということである。それとも何も考えずに只本能的に交尾を繰り返すだけなのであろうか。

しかし、生命の繰り返しが地球上の歴史を作って来たのである。その中には時として力のある人、策に長けた人、頭脳明晰であった人、働くことが得意だった人、口先だけの人、寡黙な人、美人だった人、それなりだった人等、能力的に千差万別の人たちがいた筈である。

強い人だけが健康だったかどうかわからない。最上位に位置する人だけが幸せだったかわからない。千人の人に千人の幸せの形がある。生まれながらにして、その立場に立たされる人もいれば、それを正義感から支えようとする人、優しさから支えようとする人、ビジネスで請け負おうとする人とか、様々である。

また薄利多売も商売であるし、濡れ手に粟も商売である。どちらを選ぶかはその人の人間性もあるが、運もあったりする。自分が生まれた家系図と言うのは、最高でも百代ぐらいまでしかわからないだろう。

普通は四、五代ぐらいまでしか知らない。人と言う人種は、元を辿れば意外と世界中の人の殆どが家系に繋がる先祖かもしれないのに、国々で、国内で、憎しみあったり、力比べしたり、足を引っ張りあったり、人と言うのは、わがままな生物である。泥棒にも三分の理。誰もが自分の生き方は正しいと思っている。

国内では正論であっても、外国では正論とは限らない時もある。普通は、敵の敵は味方であるような気もするが、その時の事情やら環境やらで、必ずしもそうでない時もある。あっちに行ったり、こっちに行ったり、また戻ったり、生き延びるための秘策であるなら、それもまたいいだろう。

人も生物の中の一種。生物にとって重要なことは生き延びること。社会の変化に応じて対応し、流行り廃りに流されながらも、とにかく生きることが大事という結論になる。

コロナにも、病気にも、貧しさにも、いじめにも打ち勝って、とにかく生きることが、人にとって最も重要な事であると若者に伝えたい。



▼二階俊博幹事長がやってることと、言うことが大分ブレてきた。後期高齢者特有の現象なのか、半年後の総選挙に備えての国民向けメッセージなのかはわからない。

後期高齢者現象であるなら、国を引っ張る与党の重鎮職は降りて貰わねば、国民が迷惑するだろうし、半年後の総選挙に備えての国民向けメッセージであるなら、狸爺と呼ぶべき役者ぶりである。二枚舌も時には塩・胡椒のような貴重な調味料の役目を果たす時もある。自民党の中にも役者が少なくなってきたので、貴重な存在ではある。

片や現在の自民党で二大巨頭と言うべき麻生太郎財務大臣兼副総理は相変わらず舌禍でニュースには取り上げられるが、それ以上の話題にはならない。麻生氏の場合、その場の見た目の発言で他意がないから、追及する方も深く掘り下げられない。あの愛嬌のある口のひん曲がったひょっとこ顔が憎めないのである。

それに比べたら二階幹事長は、狸爺ぶりが際立つ。野党の人材も平気で受け入れる腹の太さもある。遅咲きながら平成の田中角栄と言っていい剛腕ぶりである。

ただ、経済を優先しようとする考えが根本にあるから、コロナ禍のリーダーとしては疑問符がつく。人の命を軽視して、経済を最優先するような国で、成功している国はない。今は何を辛抱してでもコロナ感染の拡大を抑えることが一番の最優先課題で、そのためには国が貯蓄をはたいてでも、今は国民を守る政策を実行し、国民にお願いする時期である。多少の厳しい命令でも課すべきだった。

それが、「経済行為最優先(GOTOキャンペーン)」、「非常事態宣言のお願い」、「中止」、「経済行為最優先(GOTOキャンペーン)、「非常事態宣言のお願い」、「中止」、「緩めの『マン防』のお願い」、効果なし。「三度目のお願い」と言う流れを一年間繰り返してきた。

確かに未知との遭遇である感染病原菌との解決策は誰もわからない。振り返れば見えることはある。所詮は後出しじゃんけんでもある。例え後出しじゃんけんであっても、アバウトにはコロナの姿も見えて来た。全国民にワクチン接種をして、非常事態宣言に、もう少し強制力を持たせれば、殆んど感染を抑えることも見えてきた。

本当は医療関係所も国・公営の大学病院だけでなく、私立大学病院にも、協力を要請すべきであった。国の認可も、助成金も出てるわけだから、国の一大事には、国公立と同じように、国民のために奉仕・協力すべきであろう。未曽有の一大事には与野党協力して、全医療界に協力を要請すべきであったろう。 去年の初め頃から政治で決定すれば、医療界のひっ迫も崩壊も避けて通れた筈である。政治はリーダーシップを見せる場である。

この号が出る頃には、第四波の真っ盛りに入り、三度目の非常事態宣言が東京にも出てる頃であろう。



▼最近の温泉サウナは、たいてい外にも浴場が作ってあり、周囲は庭園風になっており、ボケーっと空を眺めたり、竹林を眺めたりできる所が多い。

あの東京のど真ん中にある後楽園球場敷地内にあるサウナでさえも、外に庭があって、そこで休めるのである。

新宿に住んでた頃は時々、都心のサウナにも出掛けていたが、今は専ら埼玉県民住居範囲での健康ランド通いである。 最近は国の非常事態宣言の要請に国民が応えているのか、不要不急の外出を控えてるせいもあって、通常の日は非常に空いている。

筆者も週一ぐらいで顔を出して、普段は気にも留めない雲の流れや竹林などの自然を観察するのである。

筆者は、国や県の要請に応じ、自宅に籠った生活を続けていたので、髭を剃るのも面倒で放っておいたら、いつの間にか仙人みたいな髭面になって来た。

それで庭園のようなところの外風呂で、ボケーっとしていたら、あめんぼう(みずすまし)が近づいてきた。

細く長い脚なのに、何故浮くのかわからないが、水の表面張力を生かしたように、全く沈まない。体重が軽いのかなー、とか考えて見つめて居たら、だんだん筆者に近づいてくる。

そして、なんと筆者の顎髭に辿り着いた。顎髭で遊んでいる。このあめんぼうは、筆者の顎髭を、流れて来るゴミの固まりと勘違いしたのだろう。一時の隠れ家、安らぎ場、たまり場、と勘違いしたのかもしれない。二重に勘違いでもして卵でも産みつけられたら大変だったが、幸いそれはなかった。

帰ってから、ふと疑問に思った。あめんぼうが、温いとは言えお湯の中を散歩するかなー、と。あれって、ひょっとして蚊だったんじゃないのと心配になり、念のためにムヒを塗って寝た。



▼男は分かれた女とか、死んだ女房とか、いつまでも忘れられないが、女は分かれた男のことも死んだ亭主のことも、意外とケロリと忘れてしまう女性が多いそうだ。これは神様が女性は次の恋愛に進めないと子供が産めないから、過去を忘れるように作っているらしい。

これだと一見女性は、薄情なように見えるが、女性にとっては、過去は必要でなく、あくまでも現実的に生きることが大切なのである。

男は分かれた女のことを悪くいう者は少ないらしいが、女は別れた男の愚痴ばかり言うらしい。歳をとったら、それがますます顕著になると言う。

知人が八十代の熟熟女婆と恋愛というのか、尻愛というのかわからぬような、皺合わせな関係が続いているらしいのだが、付き合いの中身が濃ゆくなるにしたがって、焼き餅だけは若者に負けないらしい。

子供や孫が遊びに来ると、婆ばになるらしい。役者やのー、と言いながら、知人のAさんも満更でもない。そこで昼間っから、高齢者三段の腕前のダジャレを披露し、カラオケを歌い大酒を飲むのが至福の時間らしい。

最近は少し酒乱ぎみの傾向が強くなり、目も座って来る。そして、「先月の新聞の独り言で『蟻の戸渡り黒光り』って書いてたけど、本当はあそこの戸渡りは『門渡り』と書くのが正解よ」と歳の功の知識を披露してくれるのである。

「陰毛痒い痒い祖にして漏らさず」は愛嬌だが、腹に水が溜まって大変だと話してる友人に向かって「腹水盆に返らず」と森喜朗氏並の腕前である。近いうちにオヤジギャグ後期高齢者五段を目指すらしい。

筆者が聴いてる範囲では、TPOさえ考えれば、3秒遅れて笑う後期高齢者に対するマスターズオヤジギャグ五段の資格は十分あると思う。頑張れ日本の後期高齢者。


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