敬天新聞6月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和3年6月号 4面)



▼広島選出だった元法相の河井克行元議員の買収事件がいよいよ佳境を迎えている。この問題は他の議員に配られた選挙対策費1500万円の10倍に当たる1億5000万円を、なぜか河井克行元議員の妻である案里元議員にだけ、配ったかと言うことである。

そこには広島県連が推す自民党候補の溝手氏が立候補しており、敢えて二人目を推す理由なんかなかったのである。溝手氏は岸田文雄前政調会長派に所属していた。政権若しくは自民党の実力者がゴーサインを出さない限り、他の議員の10倍もの金は動かないのは、自明の理である。

その時の総理は安倍晋三氏、幹事長は二階俊博氏、政調会長は岸田文雄氏、官房長官は菅現総理だった。溝手氏は岸田派だったわけだから、誰がこのような卑劣な行為をしたのか派閥の領袖として、その時に怒るべきであった。

だから筆者は当時岸田氏に対して「親分の資格なし」と厳しく糾弾した。自分の派閥に所属する議員が明らかに差別されたことが原因で選挙に負けたわけだから、当然その不正な金の流れを追及すべきだったのである。

紳士的な岸田文雄氏にはそれができなかった。しかしここに来て菅総理との総裁争いに負け、党三役から降り、やっと身軽になったのか二階俊博幹事長に1億5000万円を河井案里元議員に出したのは誰かと尋ねたようである。

当時は誰もその件では語らなかったが、二階幹事長は「全体的な責任は幹事長にあるが、個々には担当責任者の判断でやっている」と語り、側近の林幹雄副幹事長が、当時自民党選対委員長だった甘利明議員の名前をあげた。ところが甘利明議員は、「その件で私が金を差配した事実は1ミリもない。もっと言うなら1ミクロンもない」と説明している。

金に触れる可能性のあったこの二人が、「その件は自分ではない」と言うのであれば、もうこれを命令したのは、当時の安倍晋三総理しかあるまい。当時安倍総理は溝手前参議院議議員に批判されたという噂がでていた。その趣旨返しの為に、河井案里議員を無理やり追加公認して自民党1枠の中に押し込んだという噂が出ていた。

何故「他の議員の10倍の選挙対策費を出したのか謎だった」が、安倍政権一強時代だったために、野党もマスコミも全く追及できないでいたのである。

しかし、コロナ禍の中にも拘わらず後手後手の政策と東京オリンピック開催を強行しようとする政府に国民の怒りが爆発寸前であり、自民党の中にも不協和音が出て来たのであろう。国民は安倍晋三議員の三度目の出演にノーと言うシグナルを出しているのであろう。

1億5000万円拠出が不正かどうかは分からないが、不公平であるのは間違いなかろう。追及すべきである。



▼いま国民の関心はコロナ禍に関することばかり。「コロナになったらどうしよう。仕事が無くなったらどうしよう。この心配はいつまで続くのだろう」等である。

春になって野球やサッカーを初め、色んなスポーツが始まったが、そんなに興味はない。いま頭に浮かぶ身近な悩みはコロナは大丈夫だろうか?という懸念である。

オリンピックを強行するにしても、クラスターが起こったら大変だろうな―、無観客では選手もやる気が半減するだろうなー、今のままでオリンピックを実行するにしても景気は全然良くならないだろうとか、オリンピックを強行することでのリスクや憂鬱な事ばかりが浮かんでくるのである。

実行委員会の側には「止めるのは前日でもできると言った者もいる」とオリンピック経験者が語っていた。前日に中止を発表したら、選ばれた競技者に対してあまりに失礼だろうし、前日には外国人選手団は日本入りしている筈である。どうお詫びするのか? 今8割の国民がオリンピックの延期か中止を望んでいるという。もう実質延期は無理だろうから、その人たちの考えも中止に含めて考えるしかないだろう。

国民が一番不満なのは、説明が足りないこと。これだけコロナ禍に社会が振り回されている中で、オリンピックを強行する意義が何処にあるのか。コロナ禍に起こっている現象よりもオリンピック強行の方が大事なのか。という疑問であるし、その疑問に、オリンピック主催関係者、政府、JOCが全く答えようとしない。

選手が「やって欲しい」と願うのは当然であって、これに対して批判している人は殆どいない。今このコロナ禍でのオリンピックが外国でのオリンピックだったら、国民も参加はJOC若しくは各種目団体の判断に任せ、そんなに賛否に興味はなかったろう。

死に至る感染病であるコロナが一向に終息する気配はないし、それの予防に一番大切なワクチン接種が全く進まないし、混乱が続いている。

そんな中でオリンピック開催の意義を問われ、まだ全く先が見えてないにもかかわらず「コロナに打ち勝った証しとして」とは、笑止千万である。打ち勝ったどころか、コロナに翻弄されてる真っ最中の中での開催になろうとしているのである。「クラスター推奨オリンピック」と揶揄されるのが、精々ではないのか。

コロナは昨年の初めには、日本でも感染が始まっていた。しかしワクチンの手配を初め、コロナに対する対策は何も取られなかった。水際対策もそうである。それが今、菅総理に全て負荷として圧し掛かっている。

オリンピック開催も二年延期を選んでいれば、今反対の人も半分以上は賛成にまわるだろう。その賛成に回るような人たちは何が何でも反対ではない。コロナ禍での開催意義の説明が足りないこと、政府のコロナ禍に対する対策が不十分であることで反対せざるを得ないことが原因である。

要するに、東京オリンピック開催を準備した者たちの中で、商業主義的利権や名誉を欲しがった政治家たちのメンツのための強行なのである。それが国民に見抜かれているからこそ、反対者が多いのである。



▼恥ずかしながらこの歳になるまで、宇宙の広さも、銀河系の広さも全く知らなかった。目の前に起こる事象に振り廻されて、一喜一憂していたのである。それが大多数の人間の本性かもしれない。

宇宙ばかり見ていると、地球の何と小さなことか、その小さな地球の中で、人間は自分の思うようにならないと、あれが嫌だこれが嫌だと騒いでいるのである。

悩んだ時、つらい時、苦しい時、行き場がなくなった時には、宇宙の写真を見ればいい。黙って見つめているだけで、悩みが解決するような気がする。今悩んでる理由の一つは、今いる環境、立場、地位、嫉妬、確執などかもしれない。

そういう時は全てを捨てて、旅に出ると自然の大きさと出会い、自分が悩んでることの小ささに気付くことができるだろう。そしてまた新しい生きる喜びに出会うことができるのである。人は意外と自分が生きて来た環境しか知らないことが多い。旅に出ることで、知らない環境を知るきっかけになるのである。

「皆の衆」という歌の中に「腹が立ったら空気を殴れ、悔しかったら泣けばいい」と言うセリフがある。世界中のあちこちの争いごとを見ていると、お互いが自分の意見を通そうとして、武力で屈服させようとしているだけである。そしてその裏にある本音は、自分の面子と我欲と利益を求めてるだけである。

いつも対立する代表のモデルとしてイスラエルとパレスチナを取り上げるのであるが、正邪としての判定はわからない。見る側にとってその基準やスタンスがそれぞれであるからだ。

宗教的にも違うし、富裕層対貧困層にも見える。歴史的見解の相違、土地搾取に対する長年の怨念など、お互いの言い分を聴けば、聴くほど、正解を導き出せない。世界の警察が法を下に取り締まろうとしても、法を超えた感情や現実があるから、どうにも知性や理性では解決できないようである。

金と科学技術においては圧倒的にイスラエルが優勢だし、人の数では圧倒的にパレスチナ人が多い。100年かけてパレスチナ人が貧困から脱却し学問を身に着け仕事を持てるようになれば、話し合いもできるようになるんだろうが、上から平等に押さえつける程の仲裁国が居ないために、当分はいざこざが続くだろう。

 

ただイスラエルにしても世界の目があるから、「殲滅してしまおう」とはならないのが、せめてもの救いである。こうして考えると、色んな国々で起こる不正な不公平な不正義な政治が引き起こす弱者の貧困の事象を、マスコミは世界中に発信することが、せめてもの救いになるということですね。

色んな立場から、現実と真実を世界に発信することが、抑止力になることは間違いない。



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