敬天新聞7月号 社主の独り言(甘辛)

(敬天新聞 令和3年7月号 4面)



▼私にとっては急・要(休養)なので、週に一回ぐらいは行くサウナであるが、やはり日本国民の行政指示に従う国民性は、非常に優秀である。私は混雑を避けるために、土日には行かないようにしている。土日は混むだけでなく入場料も少し割高である。

不要不急の外出を控え、毎日自宅でステイホームをしていると、今日が何曜日だかわからなくなる。それでふと思い立ってサウナに出掛けたら、入場料を払う段階になって、当日が土曜日だと知った。何年振りかわからぬが今更引き返すこともカッコ悪いので、そのまま入ることにした。 混雑を予想して「外でボケーっとしてるだけにしよう」と思って脱衣場から浴室に行ったら、何とガラガラだった。国や県からの要請を国民がきちんと守っている証拠である。日本人は本当に律儀である。

洗い場でも、サウナの中でも、きちんとソーシャルディスタンスを守っているし、店側も浴槽の窓をみんな開けている。しっかり三蜜は守られている。

コロナの正体がおぼろげ乍ら見えて来た。あちこちでワクチンも作られてきたし、変異種は出て来るが、それに対応したワクチンもできている。一年後には、確実に目途はついてるのではないか。オリンピックを二年後に延期していれば、この一年間はコロナ禍に神経を集中させ、今年中にはコロナ終息を宣言し、来年のオリンピックを国を挙げて迎えられていた筈である。

今年の開催を決定した戦犯は責任を取るべきである。安倍晋三議員が総理になって以来、本当に責任を取らない議員が増えた。議員だけでなく、民間でも責任者が責任を取らなくなった。「美しい国日本」を国是として目指した筈の長期政権だったが、結果として「責任を取らないトップが増えた国日本」になってしまった。

政治家は国をこのようにしたいという野望があり、その実現に向けて仲間を募り、国民に訴える。本来なら、たとえ国民に嫌われても、選挙で訴えた公約を守らなければならないが、当選したら掌を返す議員が余りに多い。もちろん現実は理想と矛盾することは多いだろう。しかし、あまりに商人や町人感覚の政治家が多すぎるのである。 地方議員のレベルが低いのは、ある程度仕方がない。だが国会議員と呼ばれるような者は、少なくとも一般人よりは常識があって欲しい。常識が無さ過ぎる政治家が多すぎるのである。



▼新幹線の車窓から街並みを眺めていると、一つ一つの家々がマッチ箱のように見える。この小さな家の中の一つ一つに、悩みや苦労や幸不幸が渦巻いているんだろうなー。そして時々大きな家が見える。大抵は神社やお寺である。近隣の家々から施しやら貢ぎ物を受けて、町の営みの中心的役割を果たしてきたのであろう。

日本では宗教は育たないと言われているが、しかし、しっかりとその町に根付いているのは事実である。生まれることを祝う事、亡くなったことを悲しみ供養することが日本の宗教の中心である。それに比べたら外国の宗教は生活全般に影響がある。それどころか、前世にも後世にも影響があり、時には今生きてることよりも重要視されることさえある。そして歴然とした差別さえも肯定されるのである。

日本にも過激な宗教もあるようであるが、日本では過激な宗教は育たない。日本人は全てにおいて穏やかな生き方が好きなのである。農耕民族と言うのは、基本的には争いは好まない。渋沢栄一のお父さんのような考えである。

ただ時々宗教で明らかな嘘と思えるような話を刷り込ませることもある。先日も何処かの宗教で「純潔を守らないと、家族に不幸が起きる」と説いていた新興宗教の記事が出ていた。新興宗教では集金システムがまだ安定してないから、人も金も必要である。

金のない人はとにかく信者になる人を集めるように指示される。その為には、平気で嘘も吐くし矛盾するようなことも平気で言う。冷静に判断すれば直ぐにわかるような嘘でも、しつこく誘われると、もうそんな矛盾などどうでも良くなって、今の憂鬱さから逃れたい気持ちが強くなって、仲間になってしまうのである。そして今度はしつこく誘う立場になってしまうのである。

一度仲間になったら、誘われる側だった時の苦痛を忘れて、誘う側の優越感みたいな感じになって、人は過ちを繰り返すのである。だからそういう勧誘者は宗教のイロハなど全く持ってないから、矛盾さえわからないのである。

だから、外国の宗教のように生活に根差したとか、人生そのものとか、過去にも未来にも繋がる重要なもの、という認識はない。日本の宗教はどちらかと言うと「道徳」に近い教えを説いている。原型の宗教を日本風に解釈しアレンジしているのである。ただ外国の原型宗教であれ、日本のアレンジ宗教であれ、人間の本能として持つ欲望を戒めているのは事実であるし、日本人には原型宗教と言うのは合わないから、今のほんわか宗教の、村祭り宗教ぐらいの方が、国民性に合ってるのかもしれない。

オリンピックの決め方にしても、のらりくらり、コロナ禍の対応についても、のらりくらり。外国のようにデモで政権をひっくり返すという手法は日本人にはないからね。それに日本には武器を持ってでも倒さなければならない独裁者と言われる人物はいないから、その人物が亡くなっても大勢には影響はない。それが日本の良いところである。だから国民の誰もが尊厳を持って平伏す天皇制は必要なのである。



▼ゴミ捨てが男の仕事になってから久しい。私の場合、亡くなった妻を自宅介護するようになってからだから、もう10年近くなる。

私は生ごみの日は朝8時に出すと決めている。例えば夏場は明るくなるのが早いので、朝5時でも出せるのであるが、ゴミ出しだけは8時と決めているのである。

理由は前にも書いたことがあるが、マンションの階段側上層部から地上に落ちた人が居て、その死んでるような状態を三番目に見たからである。三番目だからまだ良かった。もしこれが最初の発見者であれば、その後が大変だった。

私はその日出張だったので、その死体のような姿を一通り見て、先に発見した人から状況を聴いて、その場を離れるつもりだった。死体のような姿は腕が逆に折れ曲がっていたし、耳辺りから血を流していた。マンション住人ではなかったらしく、見た目も、服装でも、男か女かわからなかった。

警察も救急車も来てなかったし、管理人もまだ出勤前だった。老年に近い中年のおっさん風に見えた死体らしき姿は、実は女性だった。時間が経つに連れ住人達も増えて来たので、私は頼まれたことを手配して出張に出かけた。出掛ける頃には救急車や警察が来て、聞き取りや状況調べをしていた。

三番目の発見者としての状況を求められたが、時間がなかったので、詳しくは説明できない。その時は疑われた感じで嫌な感じだった。その後、その人が亡くなったのか、無事だったのかについては、管理人にも理事会にも連絡はないそうである。以来私は、ゴミ出しは必ず「8時以降」と決めているのである。

第一発見者になった日にゃ、何回事情を聴かれるかわからない。君子危うきに近寄らずである。

ところで人って、生きてるから男なのか女なのか、若いから男なのか女なのか分かるが、中年以降になって、性を意識しないようになって、お洒落も化粧もしないようになれば、男か女かわからなくなる。

子供だって成長する前は着飾りで判断するぐらいで、他人には分かり辛い。子供は未来があるし、可愛いから何をしても笑って許せるが、未来の無い爺婆は五月蠅いばかりで、何処へ行ってもお荷物だと嫌われる。自分で生きていくしか術がない。生き抜く秘訣は可愛い爺婆になるしかないが、持って生まれた気性もあって、可愛く生きれない。

中には八十も過ぎているのに、見た目は婆でも心は女性と言う人もいる。いや見た目も心も女性という人もいる。最近その彼氏らしき人が、飲み過ぎて前後不覚になり、顔面から地面に落ちたらしい。日頃顔の広さが自慢の人だったが、顔の広さだけでなく頭の重さと面積の広さも仇となったようだ。顔面を七針も縫う結果になったらしい。

一時は男お岩さん状態になったらしいが、老婆は怖がりもせず優しくヨードチンキを塗って、慰めてくれたそうである。技あり。おまけに、ショックで長年患っていたイボ痔が引っ込み、前にも増して二人の仲は良くなり、「顔面打って痔固まる」仲になったそうである。技あり、併せて一本。



▼一緒になりたい人で100%全ての価値観、相性、恋愛観、の合う人は先ずいない。それでは人は何処で折り合いをつけて、夫婦になるのだろうか? おそらく本能的に「この人との子孫を残そう」という脳が働くのではないか? 

人には長所と短所があり、その人と一緒になるにはその両方も一緒に受け入れなければならない。他人同士が一緒になるのだから、お互いが熱いうちに溶け合い認め合う状況にならなければ、一度覚めてからではその短所は中々受け入れることはできなくなる。

慣れてしまって、それが日常生活に組み込まれ気にもならなくなる人もいるだろうし、気になって仕方がないが、どうにも後戻りできない人もいるだろう。

女性から見た三大短所(苦痛)と言えば、酒乱、ギャンブル、女であろう。男性から見たら、浪費癖、だらしない、夜遊びが好き、だろうか?

ところが不思議なのが、恋愛中はこれらの短所もみんな良いように理解するのである。自分が見守ってあげるから大丈夫とか、そのくらいなら短所のうちに入らないとか。いわゆる痘痕(あばた)も笑窪(えくぼ)という時期である。

ところが時の流れとともに、何故か相手の欠点ばかりが目につきだす。それでも長年の労苦を共にしてきた戦友としての愛も存在するから、喧嘩しながらも仲良く暮らしていけるのである。高齢者になれば、こういう酸いも甘いもわかってる年齢である。また、お互いに長年一緒に住んだ連れ添いを亡くし、励まし合ってるうちに、新しい恋愛感情が生まれたりもする。そんな場合、先は短いわけだから仲良く暮らしたい。

一番嫌なのは喧嘩すること。とわかっていても、他人だった時は笑って許せるようなことでも、自分の男(女)と考えるようになった瞬間から独占力が湧いてきて、不満を持つようになったりする、男と女という奴は幾つになっても厄介なもんだねー。


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