国民に責任感が伝わらない 自民党政権に希望は託せぬ

(敬天新聞 令和3年8月号 1面)


無責任が蔓延

日本人の半分ぐらいは自民党的考えが基本的には好きである。特に地方ではそういう傾向が高い。

ところが今、反自民党が増えている。それは自民党に対する驕りへの嫌悪感である。具体的に言えば安倍晋三元総理への反感である。

弊紙の感想から言えば、モリ・カケ・サクラ辺りから嫌悪感が出て来た。それまでは、特に韓国に対する対応などにおいては、非常に素晴らしかった。

そのことに留飲を下げた国民も多く、それで勘違いが始まったようである。

とにかく口先だけの責任の取り方で、一切の責任を取ろうとしない姿勢が今や国民に蔓延し、大人の姿勢を乱してしまった。

死を持って抗議した赤木ファイルにしても全く解明しようとしないし、オリンピックの迷走も、コロナ禍に対する迷走も、安倍氏の責任は大いにある。間違ったものは間違ったと、真摯に謝罪すべきである。嘘を押し通したところで、いつかはバレるわけで、何よりも責任を取らない大人が増えた。



主導権争い

持病が悪化したとして、総理の座を退いたはずの安倍氏が、今や政局に一番積極的で、再々登場を目指しているのか、或いは院政を敷こうとしてるのかわからないが、世間の混乱など関係ないとばかり、3A(安倍、麻生、甘利)でタッグを組み、自民党内で暴れまわっている。

取り敢えずの目標は二階俊博氏からの幹事長ポスト奪取と世間では騒がれている。

二階派閥とバッティングする派閥は取り敢えず、3A側に着くだろうから、数的には3A側が圧勝するように見える。ただ政局前にそういう体制を作れば作るほど、国民は自民党に嫌悪感を示す可能性は大である。

菅義偉総理体制の流れを作ったのは二階幹事長であるが、菅総理が踏襲したのは安倍政権の尻拭いというイメージである。

独自に具現化した分野もあるが、国民に今一番関心のあるオリンピックやコロナ禍に於いては、全くの独自色も打ち出せず、安倍政権のコピー感は否めない。

安倍政権時代よりいいのは、奥方の「出しゃばり感」がないことである。今のところ野党に「野党力」がないから助かってるものの、都議会議員選挙を分析すればするほど、「反自民」という答えに繋がる。

自民党の補完勢力と思われている政党は人気がなく、自民党を批判している政党の人気が上がっている。嘗てその安倍氏にして「悪夢」と言わしめた鳩山由紀夫アンポンタン総理が誕生した時の雰囲気に似てきている。

あの時は為政の経験がなかったために、色んな頓珍漢騒動が起きたけど、今度は失敗から十年が経過したし、少しは成長しているだろう。

やはり世の中は、考えの違う者にも政権を持たせて見るのもいいかもしれない。思わぬ副産物が誕生するかもしれない。

ダメならまたひっくり返せばいい。そうでないと、あまりに長いと当事者たちが勘違いしてしまう。その勘違いが、やがて驕りとなり、国民の声さえ届かぬ裸の王様になってしまうのである。



旋風の兆し?

本来、国や県に貢献のあった人たちが推薦され招待される「桜を見る会」に、詐欺師の親玉みたいな連中が何人も招待されて、その実態も「知らなかった」の一言で済ませてしまい、誰一人責任も取らない。恐らく金で入場券を手に入れた連中もいただろう。

こんな不届きな連中を招待した為に、99%の真面目な招待客まで品格を落としてしまったのである。総理に招待される客となれば、捜査していた当局者さえも、捜査に支障をきたしたことだろう。

本来の「桜を見る会」の趣旨を大いに捻じ曲げての主催に、過去の招待者も反吐(ヘド)が出るほど嫌悪したに違いなかろう。

過去の招待者は恐らく家宝として記念品を代々の自慢として、床の間に飾っていた筈である。それに泥を塗られたのは間違いなかろう。今回はその人たちも見えない敵として参加するのではないか。

安倍元総理も取り巻きも「まさかそこまでは」と思っているだろうが、今元気に政局の中心で動き回ってる姿を見るたびに、何も説明しないまま逃避した卑劣漢、と言うイメージを持ってる人は少なくないのではないか。

今、自民党に風を吹かせるほどの人物は見当たらない。だから不思議な魅力を持つ小池百合子都知事の名前が飛び出して来たりするのである。

老いたりとはいえ、二階幹事長も狸爺としての実績がある。侮れないよー。



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