敬天新聞8月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和3年8月号 4面)


自民党は派閥間の公認争いもよいが
古参重鎮議員の後任も促し刷新せよ

東京五輪出場選手はとにかく頑張れ!
コロナ禍と猛暑下の開催は問題だらけ



▼国民へのお願いばかりで、説明は全くないまま、とうとう東京オリンピックが始まった。国民からの疑問にも答えないままのスタートである。 直前になってから、子供時代の音楽担当者のイジメ問題が急に浮上し、辞任した。前から分かっていた問題なら、何でもっと真剣に取り上げ対処して来なかったのか?一事が万事、先送りしてきた結果である。

オリンピックに関する問題に関しては、ひたすら「安全・安心な大会を目指さします」と呪文のように唱えるだけで、「どのように?」との質問には一切答えようとしなかった。

コロナ禍での開催なわけだから、一定のルールを明確に事前発表し、それが実行されなかったら中止にするぐらいの強い態度で臨み、その上で国民に協力を仰ぐべきであったろう。

ところが、「何が何でもとにかく開催有りきで進め、都合の悪いことには一切答えるな」と言う姿勢であった。何も隠し事がないなら、堂々と質問にも答えれた筈である。何が見つかることが怖かったのだろうか?  選手の皆さんには全く罪はない。むしろ、政治に翻弄され、有るのか無いのかわからない中での調整は本当に大変だったと思う。

二年前に、二年延期のチャンスがあったにも拘わらず、コロナ禍を舐めてかかった関係者トップの眼力の無さ、自分の褒賞しか考えない浅はかさが、今の混乱を招いているのである。

確かにコロナの正体も見えつつある。ワクチンの効用も出始めた。だが、オリンピックには間に合わないだろう。これで公平に公正にオリンピックが開かれるだろうか? それに直前になってからの解任騒ぎはなんなのだ? こんなことは事前に分かっていたことじゃないのか? これで「64年の東京オリンピックの感動をもう一度」と言ったって、似ても似つかぬ大会になるだろう。

実際に大会はもう始まったが、そんなにドキドキ感や感動が少ない。 始まった以上、世界中の人たちに感動を与え、喜ばれる大会で終わって欲しいと思うが、選手村からのクラスターが心配で、毎日のニュースの方が気になって仕方がない。

初めは外国選手団に対しても、空港での検疫を厳しくするという説明であったが、実際に厳格に検査したかどうかは、公表はない。日本は発展途上国のような国へは強い態度で臨むが、ヨーロッパ列強やロシア、中国のような大国へは戦後、物が言えないところがある。入国に当たって、そのような差別は無かったのか? 

とにかく国民に真実を説明しないから余計に不安になるのである。歴史に残る「特異なオリンピック」だったと語り継がれることは間違いなかろう。



▼白鵬の優勝は本当に胸糞悪い。手口が汚すぎる。自分では勝つためには土俵上では何をやってもいいという考えなのだろう。

確かに張り手もかちあげも、相撲の技に数えられてる一つなのだろうから、使っていい技の一つかもしれない。しかし横綱に対しては、敬意を表して相手は使えない技の一つである。

しかし白鵬は容赦なく張り手やかち上げを頻発する。雄叫びをあげたり、大袈裟なガッツポーズをしたり、歌舞伎役者顔負けの表情まで見せる。こういう見苦しい態度を見せても、協会に誰一人注意する者がいないのか、全く改めようとしない。

相撲協会も見っともない。何故注意ができないのか。横綱には強さと同じぐらい品格という物が備わっていなければならない。ただ勝てばいいという物ではない。

大鵬や北の湖が勝つためだけにこだわって、先に先に仕掛け、何でもアリで勝負したら、優勝回数だって決して白鵬に抜かれていなかったろう。

しかし、横綱と言うのは強いだけでなく、常に受けて立つという姿勢で臨まなくてはいけないという品格を持っていたから、「後の先」でしか動かなかった。

ところが白鵬と言うのは、勝つためには何でもアリ作戦で臨むのである。その割には潔さはない。朝青龍や日馬富士は荒々しさは、白鵬より数段上であったが、潔さと礼儀作法でも数段上であった(現に世間を騒がしたら責任を取って辞めた)。

だいたい格下の者に、立ち合いで張り手やかち上げからスタートする相撲と言うのは、普通はあり得ない。今場所の白鵬の相撲は殆ど「初っ切り」であった。

白鵬と相撲を取る場合、張り手は白鵬しか使えない技であって、相手は格下に当たるわけだから、何発張られても、張り返すことはできない。それを判っていて使うのだから確信犯である。本当に卑怯な男である。

勝って雄叫びをあげ仁王立ちがしたいのなら、プロレスの世界に行くべきである。大相撲界には大相撲界の伝統とルールがある。

勝つためには何をやってもいいルールなら、大相撲界に貢献した先人たちが可哀想ではないか。

今の軟弱な日本人に比べてモンゴル人の方がガッツがあるのは当然だろう。親に対する感謝の気持ちもモンゴル人の方が強いだろう。出稼ぎに来ている逞しさがある。貧しさがエネルギーになるのである。

正統派で強かった時もあった白鵬だが、いつの頃からか勝つためには手段を選ばなくなった。今は記録を残すことにしか興味がないんだろう。

大相撲の伝統を説明できる親方も居なくなったということだろう。せめて照ノ富士には、強いだけの横綱ではなく、大相撲の伝統を守れる横綱になって貰いたいものである。

いま大相撲の良心と呼べるのは、北の富士さんのコラムだけである。千秋楽は白鵬が照ノ富士に土俵の真ん中で、投げ捨てられるのを期待していたんだけど、それを上回る汚い手口で、後味の悪い相撲だった。

せめてもの救いは照ノ富士が張り返したことだった。正代も体当たりして、一発ぐらい張り返して欲しかったよ。

照ノ富士には、主役の歌舞伎役者と勘違いしている白鵬を来場所こそ叩きつけて貰いたい。



▼自宅の近所を散策(徘徊ではない)していたら、田んぼの中を何か動いていたので近づいて覗いたら、タニシだった。

ミズスマシも居たし、ミミズも居た。田んぼに苗を植える前までは、一冬畑は乾いた状態で、飛べる生き物以外、棲みつくような場所ではないのだが、何処からやってくるのだろう。

ミミズは土の中に潜れるから、何となく居ても不思議ではないが、タニシは何処からやって来たのだろう。川の水を引いた時に、吸い上げられて、田んぼに引き込まれたのだろうか?それとも害虫駆除のために、畑の主がわざわざタニシを放流しているのかなー。

稲の生えてる間は、土も柔らかいし、生きていくのに苦労しないだろうが、稲刈り後の冬場がわからない。鳥の餌で生涯を終えるのかなー。まー、セミよりかは長そうな生涯だけど。

今年も暑い。最近は五十年に一度、百年に一度の大雨が毎年起こる。気温もグングン上がり、毎年40度を超えるところが何か所かあるようになった。世界では50度を超える所が何か所もある。南極や北極の氷も溶け出してるらしいから、異変は確実に起こっているのだろう。

しかし、こう暑ければ田んぼの中の水もお湯のように熱くなり、タニシもミミズも茹で上がってしまうのではないか。

それとも雨が異常に降ることで、田んぼも道路も冠水して、その時にまた元の冷たい水に戻るのかなー。最近の独り言は、小学生の夏休み観察日記に近づいている。

脳が老人化し、子供返りしているのだろうか?それとも子供の頃あまり勉強しなかったので、いま勉強に熱意がでてきたのだろうか? この歳になって、ふつふつと世の中の疑問にぶつかる今日この頃である。



▼同じオムツを着けてても、何故赤ちゃんは可愛いと思われて、爺婆は汚いと思われるのだろうか?

赤ちゃんは純粋無垢で未来があって、爺婆は世間の垢に塗れて、先もないからであろうか? 確かに赤ちゃんには夢を託すだけの希望がある。しぐさも可愛い。それに比べて爺婆には、尽くしても何も返って来ない。しぐさも全然可愛くないどころか、憎たらしい場合が多い。

比べようがないのはわかる。いや、実績があるじゃないか。とは言っても、誰かに対して実績はあるかもしれないが、精々が夫婦か子供に対してではないか。家族から大切にされるのはわかる。いや最近はそうでもないよ。家族からもうっとおしく思われてる爺婆も多い。

いくら何でも世間には貢献しただろう。生きて来たことで、何らかな貢献はしただろう。それはそうだ。何らかの貢献はしたと思う。ただ見た目が、赤ちゃんに比べて醜い。それは仕方がない。

20代の頃まではピチピチだった肌も、高齢化すれば、ふにゃふひゃ、ぐちゃぐちゃ。誰もがそんなになるんだから仕方がないよ。好きでオムツも着けてるわけじゃないが、オムツがないと、トイレが間に合わなくなるんだよ。その時は、全ての現役から引退する時だよ。

時代も変わってきた。ついこないだまで、日本一人気のあったグループの中の一人が、今ではオムツの宣伝をしている。誰もが通る道だから、隠すことでもないだろうが、やはり愛がないと、汚いものは汚く見える。

それにしても知り合いのAさんは、「汚い、汚い、真っ黒クロスケ。黒松白シカ陰水分解。プースがにじむ股の下。娘の名前は秀美さん」と訳の分からない独り言を唸りながら、都内のレストランは酒の提供は禁止なのに、マジックのように、ポケットから箱酒を出しては飲んでいた。

西村大臣の酒屋に対する脅しの話をしたけど、ネットやスマホに全く音痴な人らしく、我関せずで、目が座り出した。

そして何か言うと「だから〜」と、隣のはじめさんが言葉を遮りだすので、さっと筆者は席を立つのである。


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