敬天新聞11月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和3年11月号 4面)



▼「名を名乗れ」、「赤胴鈴之助だー」と言うのが、日本人の持つ矜持だった。

ところが、最近は名を名乗らないで、いきなり誹謗中傷に参加する者が増えた。多くの人が物を言うようになったのはいい事だが、物を言う責任は取るべきである。

一般的な事象についての意見にいちいち名前を名乗る必要はないが、相手の不正を公表する時などは、やはりそれなりの覚悟は必要であろう。

相手が大物の場合とかは仕方がない場合もあるが、そんな時は公的な機関への報告しかないが、中には公的な機関へも袖の下を送り、口封じしている大物もいるから、そういう場合は、利害の発生してない遠い処へ投書するのも一考である。

 それでもどうにもならなかったら、その環境で我慢するか、その環境から自分が逃げ出すしかないね。

いま世の中はジェンダー時代、多種多様論、社会の平等論が世間では騒がれているが、価値観を世界中の全ての人が同じように持つのは難しい。一瞬であるとか、その辺でとか、何かの事件が起きた時とか、貧しい子供たちを見た時とか、その必要性を感じる瞬間はあるが、直ぐに忘れて自分の現実に置かれた立場に戻ってしまうのが殆どの人の考えである。

自由主義、資本主義の考えも全てが正じゃないし、悪でもない。また社会主義、共産主義の考えも教えも、全てが悪でもないし、また正でもない。どんな為政者も、国民の全てを満足にしてあげれる為政者はいない。 それは国民一人一人の欲望や満足度が違うからである。人を蹴落としても上に行きたい人も居れば、田畑を耕すことで満足する人もいる。

老人になると国から支給の給付金で満足する人は多くなるが、若者は当然それでは足りない。理由は沢山の夢があるし、子育てもあるから。

老人には夢はない。精々が昔の自慢話をする程度である。中には自慢話もないような老人もいる。そんな人は食っちゃ寝、食っちゃ寝するしかない。とにかく老人は暇なのである。

フィリピンのドゥテルテ大統領が大統領になった当時、犯罪者に対し厳しい政策を講じて、国民に拍手喝さいを受けた時期がある。

外国に対しても強い姿勢で臨み、国民の支持率が90%を超えた時期があった。あれから何年経ったか知らないが、国民の支持離れが始まったのか、次回の大統領選挙には出ないと宣言したようである。

発展途上の時期は、国民も為政者も同じ方向を向いているので自然と支持率は高くなるが、ある一定の所まで到達すると、それぞれの目標が違って来るのである。

それでも、日本の議員に比べたら、潔さが違う。やはり、持病が再発するくらい心労が重なるのであれば、その地位では体が持たないということを、心技体が教えてくれているのだから、その教えに従うべきである。

トップの、きちんと答えない、嘘を言う、責任を取らない、と言う姿勢は、知らず知らずのうちに国民に蔓延するのである。これでは、とても美しい国とは言えない。美しい国とは、田園風景が美しいだけではなく、発展と伝統の調和、豊かな人の貧しい人への愛情と施し、大国に対しての毅然とした物言いと姿勢、権力者のその地位に恋々としない潔さ、である。



▼飛行機に乗車して機長のアナウンスを聴いていると、「ただいま高度1万メートルです」という。

1万メートルと言うと、10キロである。地上で10キロと言ったら、車で行くと10分で行ける距離で大した距離でもない。

日本の北海道から九州陸地の南端まで約3000キロだそうである。高度何メートルから宇宙と言うのか知らないが、日本の国土を縦にすれば当然宇宙に到達する。そう考えれば、地球上と言うのは、意外と狭いのかもしれない。

エベレストは麓から山頂まで上に向かって8キロである。それで空気は薄く酷寒であるそうだ。いずれ地上から宇宙まで届くような建物ができるのだろうか? 階段を何処までも昇って行ったら、宇宙まで歩いて行けるというのも楽しいね。そして途中から重力が無くなって、ふわふわと浮き出す。

ただ地球は高速で回転してるから、バランスが取れなくなって、建物のどこかで折れるのかなー。

最近「独り言」で書く内容がだんだん幼稚になっている。勿論老化現象の始まりであろうが、面白いと見てる貴方も、似たり寄ったりの凡人脳の一人です。

家の窓から新宿と富士山が見えるのだが、いつもこの両方が見えたら快晴、新宿のビル群だけ見えたら晴れ、新宿が見えなかったら霞んだ晴、とか思いながら記事を書いている。まるで小学校の「夏休みの友」の日記レベルである。こうして考えると、人の一生なんて短いもので、小学校の思い出が昨日の出来事のように蘇ってくる。

たいていの生物は雄と雌に分類されるが、中には一つで両方の役目をする機能を持っている生物もいる。面白いのは男と女で知らない人同士は、一緒に風呂とかは入らない。銭湯では男湯女湯に分かれている。日本だけではなく、大抵の国でそうである。

その国によって、言葉や文化も違う筈なのに、なぜか女性同士、男性同士なら、初めての出会いの人でも、裸になって風呂に入る。普通は知らない人に裸を見せるのは恥ずかしいような気がするが、同性なら恥ずかしい感覚がない。何故なんだろう。

男女であれば、毎日顔を合わせてる人でも恥ずかしいという感覚があるのに、同性なら初めての人でも、外国人であっても、裸を見せても、何ともないのである。ここら辺に、「世界は一家、人類みな兄弟」みたいな謎解きがあるような気がするねー。

それにしても男と女の間には深くて暗い溝があるとつくづく思う。若い時も全く理解できなかったが、年老いても全く理解できない。その点オカマちゃんは自分の思い(心の叫び)を、具現化するのだから偉い。

世の中何が功を奏すかわからないから、今悩んでる若者に伝えたい(このコーナーを若者は読まないが)。とにかく一生懸命に生きること。いまその環境が嫌なら、そこから逃れても、とにかく生きること。長く生きていれば、その生き方に共鳴する人や、理解する人、助け合える人が必ず現れる。

八十二歳で恋をする人も居るのである。 若い人は「信じられな〜い」とか、「あり得な〜い」とか、言うかもしれないが、黒門帳の利蔵親分に聴いてみればいい。未の刻には飲み始め、酉の刻の暮れ六ツにはすっかり出来上がり、目が座って、お互いに「だから〜、」と、愛を確かめ合ってるのを見て聴いて、羨ましい限りであると、何故か和歌山県から、梅干しが送って来るのである。



▼悪行三昧をして死刑になった男が、閻魔大王様の所へ送られて来て、最後の審判を受けることになって、閻魔様がその男に問うたそうである。「お前は生きてる時に三人の『天使』に会わなかったか?」と。

「それは誰ですか?」と男が尋ねたら、一人は腰の曲がった老人に会わなかったか? 二人目は病気で苦しんでる人を見なかったか? 三人目は人が亡くなって焼き場に行った人を見なかったか?と。

「三人とも見ました」と答えた男に、閻魔様は「そんな天使様に出会っても、お前は何も感じなかったのか? 救いようのない男だ」と言って、真っ逆さまに地獄に送られたそうである。

いま世間には、閻魔大王様が「天使様」と呼んだ弱者老人が溢れている。今は元気で切り捨てた側の者達も、いずれは切り捨てられる立場になる。この世は輪廻転生であるから、いい行いを心掛けることで、次の世に生まれ変わった時に、いいご縁が頂ける。だからこそ、人は周囲に対し、思いやり、優しさを持って接することが大事である、と教えた仏教の話である。

こう教えを説く、宗教に携わってる人が、どれだけこの教えを守っているかは未知数であるが、少なくとも子供たちに、こう道徳を説く時間は大切である。

大人になれば、現実の非常さ、無情さ、薄情さに、少なからず出会うことはある。せめて、世の中を知らない純粋無垢な子供時代に、しっかりした公衆衛生や、公衆道徳を学んでおくことは非常に大切である。是非とも小学校では、道徳をしっかり教えて、心の優しい子を育てて欲しい。

今回の世界のコロナ騒動では、日本は世界の国に比べて、ロックダウンのような厳しい措置は取らなかった。あくまでも国や行政からの「要請」という形ではあったが、国民は粛々と守り続けた。それこそが日本人の公衆道徳の高さである。

文盲率の低さ、識字率の高さも、日本は世界の上位と思われるが、困るのは日本の政治家の所作である。特に政権与党の驕りと自惚れにはほとほと呆れる。

政治を就職と勘違いしている政治家も少なくない。そして当選を何回か続けられるような存在になったら、世襲にして、代々引き継ぐのである。能力の有る無しは関係ない。有能な秘書が付けば、「先生は飾り」という者さえいる。

右に振れるだけ振れれば、いつかそれに嫌気がさし、左が懐かしく良い時代に思えて来るし、左に振れるだけ振れれば、いつか右が懐かしく良い時代に思えて来る。

東に旅しても、西に旅しても、南に旅しても、北に旅しても、まっすぐ歩けば、結局は、元の所に帰ってしまう。

だから人生は、究極を求めずに、程々に程々に、と言うぐらいで、丁度いいかもしれませんね。

最近は小便さえも真っすぐ飛ばず、始まりも終わりも気づかない時がある。何とも弱弱しく頼りない。

前向いて、まっすぐ飛ばそう粋な小便。西や東に飛ばすなよ、南田さんが北(汚)ながるから。チーン。


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