敬天新聞12月号 社主の独り言(甘口)

(敬天新聞 令和3年12月号 4面)



▼この歳になって、地上から何メートル上空に上昇すれば宇宙空間に到達するのかと言う中学生レベルの能力学習に興味を持ち出したのであるが、2万メートルという高さに到達すると成層圏という所があって、そこはマイナス70度ぐらいの世界らしく、しかも水分が全くない世界らしい(間違っていたら、訂正してください)。

そこで「美味しい干物」を作ってる実験が行われていると言う放送をNHKがやっていた。

生身の魚を開いて袋に入れ、風船に吊り下げて、2万メートルの高さまで飛ばして、そこで風船をパンクさせて、マイナス70度で瞬間冷凍された干物をまた落下させて、回収するのだそうだが、2万メートルもの上空に飛んで行ったら、何処に落下するかわからないと思うが、GPSという装置を付けて、干物の位置を特定し回収するというから、恐れ入る。

ああいう実験を見ていると、いつか誰でもが宇宙旅行だとか、月に旅行に行く時代も来るだろうし、やはり宇宙人もいるんだろうなー、と考えてしまう。

 地球が出来て何億年か経ってるらしいが、人間が誕生したのは二十万年前とか、言ってたなー。地球の誕生から考えたら、人間の存在なんて、赤ちゃんのそのまた赤ちゃんの存在である。それにしては人間は傲慢である。

一応調べたら、50キロ上空ぐらいまでを成層圏と呼ぶらしい。100キロメートルから上を宇宙と呼び、スペースシャトルは400キロ上空に浮いてるそうである。飛行機は10キロ上空を飛ぶ。エベレストは8千メートルで、空気は薄くなり酷寒である。やっぱり地球はあんまり大きくないんだねー。

そうなると、当然人口が増え過ぎると、食料が足りなくなるとか、二酸化炭素が増えるとか、温暖化になって南極、北極の氷が解けるとかが、身近に理解できるようになる。

南極・北極の氷が解けると海面が2メートル高くなり、そうすれば世界中で海の中に沈んでしまう街が沢山出てくるらしい。東京も殆ど海に浸かるらしい。

そう言うことが温暖化で始まるなら、やはり真剣に温暖化を防止する策を、世界中の目標として掲げることは大事なんだなー、とつくづくこの歳になって、最近感じて来たのである。

ただ、たった2、3度温暖化になるだけで、南極の氷が解けてしまうという理屈は未だに理解できない。だって、毎日の気温で2、3度違うことはよく有るけど、体感としてはそんなに変わりはしない気がするけどねー。

南極のような固い氷や、エスキモーのような永久凍土では、2、3度上がっても、寒さには全く影響はないみたいだけどね。マイナス20度もマイナス18度も寒さは同じに感じるけど、度数だけじゃなく、紫外線とか赤外線とか、凡人に分からない科学や化学の世界があるんだろうなー。そこを凡人にも解るように説明して欲しい。

実際はきちんと説明してるのかも知れないけど、何回説明されても理解できないのが凡人なんだろうなー。だから凡人と言われるのかもね。凡人の話でした。



▼先日、神戸五人殺傷事件で求刑が無期なのに対して、判決が「無罪」という結果が出た。これは孫にあたる立場の男が母親とその祖父、祖母他を殺傷したもので、祖父と祖母と近隣の住人の三人が死亡し、母親と、知人が負傷した事件だった。三人が殺された訳だから死刑も十分に考えられる事件である。それが一転無罪となれば、遺族は納得いかないだろう。

理由は犯人の精神疾患であろうとは想像はつくが、いつもここで、何かしっくり行かないのである。法律上、「心神喪失状態は無罪」というのはよく聞く言葉だから、わかる。しかしいつも何故? と思う。

だいたい人間は正常な精神状態の下では人は殺せないと思う。人を殺す瞬間と言うのは、誰でも常軌を逸した状態ではないのか。言わば誰でも、その瞬間は心神喪失状態であると思う。全てを捨てた瞬間で無ければ、そのような心境にはなれないだろう。

たとえ親分に命令されて行動する子分であっても、拒否できない立場であるから実行するのだろうし、そういう行為を嬉々としてやる者が居たとしたら、それはそれで、もうすでにその時点で精神疾患であろう。精神疾患を判断するのは専門医の仕事であって、一般人には判断は難しい。

日頃の言動が明らかに不自然な人と言うのは、一般人にも分かり易いが、心の中の疾患というのは、専門家にしかわからない。

今回の事件の犯人に対しては、専門家の意見も二つに分かれたらしい。裁判員制度で裁判は行われたらしいが、素人の裁判員は自分が聴いた専門家からの意見に左右されやすいそうである。

確かにその傾向はあると思う。知識が乏しい我々は、専門家と言われる人の話を聴けば、何でも「なるほど」と、納得してしまう傾向はある。その多数決で、無期か無罪かに決定するのは、やはり矛盾する。

そういう専門知識を判断する裁判は、やはり法の専門家である裁判官たちの中で判断して貰わないと、矛盾が伴うだろう。それに無罪となれば、またその犯人は次の日から、平常に社会生活に戻るのだろうか? 近隣の人は、おちおち眠れないだろう。差別として語っているのではない。人の正常な心理を語っているのである。

裁判として無罪であっても、精神疾患が認められるのであれば、やはりどこかの施設に、正常な感性が持てるまで、一定期間隔離するのが妥当ではないのか。敢えて助言したい。

この事件では、ギリギリに検察側が控訴したみたいである。遺族の気持ちを汲んでなのか、国民感情を汲んでなのか、法的根拠なのかは分からない。それでも控訴したことで、こういう問題が世間の俎上に上がり、色んな意見が出て、法の矛盾が精査されることはいい事である。是非、一定の政党や政策集団などの作られた声ではなく、国民の皆さんの声をあげて司法の役に立てて頂きたい。



▼もう歳の暮れである。今年は忙しい一年だった。前年から続くコロナで始まり、オリンピックをやるかやらないか最後まで揉めて、結局は開催した。しかも、心配していたクラスターも起こらなかった。コロナ禍の開催にしては満点に近かったのではないかと思う。

早い段階で、お喋り舌禍人に変わり、またええかっこしいの政治家に変わり、橋本聖子女史、小池百合子都知事、丸川珠代議員に主導権が移ったのが良かったのであろう。

また大騒ぎした自民党の総裁選挙も、衆議院議員選挙も、あれよあれよと終わってしまった。自民党の総裁選びは結果的に、自民党の宣伝効果を高め、その直後の衆議院議員選挙では、予想に反して野党を圧勝した。また野党の中でも自民党に近い維新が大躍進した。

戦後長く日本をリードしてきた自民党政権に日本人は慣れ親しみがあるのだろう。国民は概ね自民党政権の雰囲気が好きなようである。

だからと言って、安倍元総理の傲慢で責任を取らない謝罪しない忖度政治は許されるものではない。

ただ社会党の流れを受け継ぐ立憲民主党には一つ大きな欠点がある。北朝鮮拉致問題が発覚するまで、「北朝鮮はそのようなことはしない」と北朝鮮を擁護してきた。だから、拉致被害者が帰って来て以降、信頼を失い支持が減り、社民党は倒壊寸前になったのである。だから間違いは間違いとして、謝罪しないと、人心は離れて行くのである。新しくリーダーになった者は先ずはそこからスタートすることを心掛けたがいいと思う。

ところで、週の始まりは月曜日からだと思うが、暦には何故か日曜日が週の始まりのような形になっている。この歳になっても理由は知らない。

なぜ月曜日が週の始まりだと思うかというと、学校や会社が如何にも月曜日から始まる気がするからである。子供の頃から土曜日が半日で、日曜日が休みだったからであろう。やはり勉強と言うのは子供にとっては苦痛のところがあった。土曜日は午前中だけで、午後からは休みなので「何をして遊ぼう」とか考えるだけでもわくわく感があった。

土曜日の夜がまた楽しい。明日は休みである。一日山の中を走り回れる。遊び終わった日曜日の夕方になると、いつもより特に寂しく、「ああ明日から、また学校が始まる」という憂鬱感があったものである。

だから子供の頃から、月曜日が週の始まりという感覚だったような気がする。恐らく大人になってからも同じ感覚のような感じである。

言葉でも土日のことを「週末」と言うのに。それなのに何故か暦は日曜日からスタートである。

一週間で区切るのではなく、一ヶ月で区切る習慣になっているので、連続性を見せるために敢えてこのような作りになっているのかなー、とふと思った次第。

黒門帳の利蔵親分は、この暮れに来て体調が優れないと、入退院を繰り返しているそうである。

真っ黒クロスケ捕り物帳で程よく酒を飲み、心地よく遊んでいればいいものを、下は二十三歳から上は八十二歳まで幅を広げ過ぎて、ツユ無し枯れ池の祟りで時に痙攣も始まったらしい。ああ怖ッ。と言ってるうちに今年も暮れてしまいました。毎年「来年こそは」と誓いながら、祈願成就することもなく、高齢者になってしまいました。 ひたすら人生の儚さを痛感しておりますが、もうひと踏ん張り頑張りたいと思います。

今年も一年ご愛読頂きまして有難うございました。来年も宜しくお願い致します。


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