敬天新聞2月号 社主の独り言(甘口)

(敬天新聞 令和4年2月号 4面)



▼若者の感性について行こうと思って、「鬼滅の刃」と言うのをテレビでやっていたので見てみたが、全く意味がわからなかった。絵の動きにも着いていけない。やはり宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」などの一連の漫画映画の方が我々には内容が分かり易いし、絵も綺麗で落ち着く。

何回も見れば、内容も理解できるのだろうが、たとえ一話完結であっても、途中の設定も理解できないので、益々わからない。やはり平成・令和の代表作なのだろう。  我々昭和人にはやはり、サザエさんとか、ドラえもんの方が落ち着いて見ていられる。最近のテレビ漫画は、鬼滅の刃だけでなく、画面そのものの動きが速過ぎるので、目も付かれる(歳のせいかもしれないが)。 言葉もわからないし、内容も分からない。昔の人も、若者が見る漫画や映画を見て、同じように感じていたのかなー。

音楽にしてもヒップホップとかラップとかが主流になっているが、特にラップと言うのがよくわからない。ただ喋りを音楽に載せてるだけで、メロディーもワンパターンにしか聞こえない。あんな音楽も、50年後には「懐かしの音楽」になって、爺婆が歌うのだろうか。

岸田総理は、「鬼滅の刃」を見たとか言ってたが、本当に中味を理解したのだろうか。多分、若者に理解があるように、話を合わせているだけじゃないのか? 総理大臣だからと言っても知ったかぶりする必要はない。知らないものは知らないでいい。50年もズレれば、考えや感覚が違って当然である。

そんなこと言ったら、300年前は江戸時代で、男はみなちょんまげをしてた。刀を振り廻して、上からの命令では、腹を切って自害してたのである。それを名誉の死と考える人もいれば、殿の仇討と考えた人もいる。どちらも正しい生き方だった。

子供の時は、300年前は遠い昔だったが、老人になれば、300年前は、そんな遠い昔ではなくなるのである。あの「うっせーわ」という歌が、今の時代を一番反映しているのではないか。 あんなセリフを先生に言おうものなら、水の入ったバケツを持たされて廊下に立たされていたし、親に言ったらゲンコツの一つや二つでは終わらない。大人には全く理解できない時代に突入したのである。



▼先日の話。知人から電話が入って、「いま作家の大下英治氏と食事してるんですけど、白倉さんの話題になって、大下先生が白倉社主が亡くなったと言われるんで、元気な声を聞かしてあげて下さい」と言って、電話を替わった。

「ご無沙汰しています。私は元気ですけど、誰がそんな噂流しているんですか?」と尋ねたら、「社主をよく知ってるという人物が言ってました」と言う。

「それは良く知らない証拠でしょう。知っていれば、今年も新年の街宣を新橋でやったばかりですよ。誰がそんな噂を流すんですかね?」と尋ねると、「有名になると、そういうあらぬ噂も出てくるものですよ。」という話である。

筆者も筆者の知らない所で噂されるほど、有名人になったのだろうか? 詐欺師の世界では多少弊紙の名前は知られているとは聞いた事はあるが、それとて特殊な世界であって、一般の人には興味の無い世界である。

確かにあっちこっちが痛くなる歳ではあるし、急激に老人力が増したのは否めない。特に最近は腰の狭窄症で、立っていると右尻に痛みが出るので、新橋でも街宣車の上で、座って話す場合が増えた。そういう話が一人歩きして、「先は長くない」、「もう死んだ」となって、勝手に噂が一人歩きして行ったのだろうか? いずれにしてもその話を、大下氏にした人は、そんなに私と親しくはないということである。親しければそんな噂を聴いた時に、私か或いは関係者に確認もできるだろう。

大下英治先生は有名人を取り上げて書く専門家として有名な先生である。しかし、まだこの世に未練が数多く残っているので、勝手に死人にしないで欲しい。



▼筆者が爺婆の生態を研究する「爺婆ランド」が、コロナ禍で長く休館してたので、情報源は黒門帳の利蔵親分に頼り切っていたのだが、黒門町の親分は酒が入り過ぎると、話が大きくなるので、何処まで話が真実なのか見えにくいところが今一であった。

「酒も女も博打も人の何倍も経験した。もう十分生きた。思い残すことは何にもない。日本中を旅しながら、おらー、死ぬで〜」と言いながら、もう5、6年の時も過ぎた。酒が入ると、森の石松になる癖があるようである。

最近は専ら、近所の歳を召した姐さんの恋愛生態についての話に力が入っていた。話を聴いていると、時に落語になったり、時に講談のようになったり、時に自分の話に酔いしれて涙する癖もある。ただ江戸っ子歴55年にもなるので、金に綺麗なのはお見事。

自分の席に座る人の飲み食いを他人に払わせない。これは立派。だいたい酒飲みと言うのは、酒に意地汚く金にだらしないのが多い。

昔書き屋で中野忠良というちょっと売れた男が居た。内外タイムスの一面を一時期書いたこともあるぐらいだから、まーまー、である。

ところがこの男、まー、酒癖が悪く、下品な男だった。何度か一緒に飲んだことがあるが、そこら辺の居酒屋ならいざ知らず、「先生、先生」と煽てられるものだから、似合いもしない銀座や赤坂で飲み歩き、帰る頃になったら、店にケチをつけだし、金を払おうとしない。一緒に居る者が恥ずかしくなるのである。

最後には、ママに「帰れ〜」と塩を撒かれる始末。晩年は仕事も無くなり、女房にも逃げられ、小さなアパートで誰にも看取られず、独り寂しく亡くなったという噂を聴いた。黒門帳の利蔵親分は、酒が入ってくると、目が座り出すタイプではあるが、そういうタイプではない。

今回は利蔵親分の話ではなく、近所の爺婆ランドの話である。コロナ禍での緊急事態宣言を受けてずっと休みだったのだが、再開したと言うので、半年ぶりに行ってみたら、建物が古くなったので、リニューアル工事するために12月から、また休館すると言うのである。

ここで友達になった爺婆が再会を約束して別れる姿が微笑ましい。爺婆の再会は可能かどうか分からない。いつ、あの世からお迎えが来るかどうか分からないから。

男性の浴場に入って、観察していると、「昭和の銭湯」丸出しである。体は骨皮筋衛門であっても、気合が違う。長く日本を支えてきたと言う自負があるのだろう。体を流しながら、隣の爺さんと睨み合うシーンがあったりする。

俺の一物を見ろと言わんばかりに、今は役立たずになった一物を見せびらかして歩き回る爺さんも居れば、前にタオルを当てて、前かがみに遠慮がちに歩く人もいる。この人たちにも、それぞれの歴史があって、一生懸命生きて来たんだろうなー、とつくづく考えさせられる爺婆ランドである。再開まで黒門帳の利蔵親分の情報だけが頼りである。



▼男と女の関係と言うのは、真に理解できないところがある。10年も付き合って来たのに、一緒になったら1年で別れる人も居る。育ちの違った二人が一緒に住むということは、然程難しいという証明だろう。また別れる時に、「遊んでくれてありがとう」という女性も居れば、「遊ばれた」と恨む女もいる。

若い時は、見映えの良い女を選ぶ。性格なんか二の次である。女も見映えの良い男を選ぶ。若い時は、夢も未来もあるから、好きな人と一緒になれるだけで、幸せなのである。色んな難関も乗り越えていける。

ところが、熟年から老年になると、「何でこんな男と一緒になったんだろう。人生がもう一度やり直せるなら、絶対にこんな男とは一緒にならない」と思ってる女性は意外と多いそうである。

しかし、老年になってそんな危機感を持ってる男性は意外と少ない。だから、旦那が死んだあと、老人会クラブで伸び伸びと恋愛をしている老婆が非常に多いのだそうである。

体は老婆で思うように動かないが、心は乙女のような純粋な人も多い。老婆になってモテる人は、今をしっかり認識している人。男も女もそうであろうが、昔話を自慢する人は、何処に行っても煙たがられるだけで、モテるのは心の優しい人である。

老々恋愛で大切なことは、「優しさと思いやり」であるが、それにプラスして男には、多少の「お金」も必要であろう。一緒に食事する時のお金や、年に一、二度の安いプレゼントも老婆を喜ばせる秘訣である。

老婆に聴いた本音だが「歳を取ってまで金の苦労をしたくないし、一緒に食べた女の食事代(わずか千円程度)も払えないような男と付き合うなんて、まっぴらごめん」というのが、本音らしい。若い子が割り勘で払うのとは訳が違う。今からでも熟女や老婆を口説こうと思ってるアナタ、御参考にされたし。

「そこまでは考えてないよ。ただ世間話をしたいだけ」と言うあなたの為に、一応そのことも老婆に質問してみました。

しかしやはり答えは「私たちには人生の残りが少ないんです。男に気を使って話すより、女同士でワイワイ話してる方が楽しい。好きになったら一緒に話するのも楽しいかもしれないけどね」でした。どうやら男に時間を掛ける余裕はなさそうですね。

老後は一緒に田舎に帰ろうと言っても、「帰るならアナタだけ帰って」と言われる世の中。しかも50年振りに帰ったふる里には自分の居場所もない。難しい世の中になりました。

もう遅いかも知れないけど、今日から奥さんに優しくしようと実行すれば、まだ間に合うかもよ。最後には、お互いに「ありがとう」と言う言葉で終わりたいものだね。


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