敬天新聞3月号 社主の独り言(甘辛)

(敬天新聞 令和4年3月号 4面)



▼北京オリンピックが終わったらウクライナにロシアが進行するのではないかという噂が出ているが、西側陣営との神経戦ばかりで、侵攻はないと思う。ちょっとした弾みでの小さな一触即発は有り得るのであろうが、本格的な戦争になれば、お互いに甚大な被害が出るのは分かっているから、どちらも軽々には動きたくないと言うのが本音であろう。

お互いの先頭に立ってるロシアとアメリカは特に口では激しく言い争っているように見えるが、行動には慎重である。西側諸国の中には、この機に乗じて個人の点数稼ぎをしようと考えている者もいようし、或いは自分の立場や人気に利用しようという者も居よう。人の考えなんて所詮そのようなものである。

一般人はこういう時、ただ流れに流されて行くだけであるが、政治家という職種は厚かましさを二乗するような生き物の集団であるから、何が飛び出してくるかわからないのである。

特筆すべきは昔のプーチンなら、問答無用で攻め込み直ぐに制圧しただろうし、人の意見など聞く耳は持たない。況してや他国の意見など聞く必要もない。勢いがある時は他国に耳を貸すことは自国にとっては弊害以外の何物でもないと、伸び盛りの若者は考える。金よりも名誉。柔よりも剛。一時の情けより義理なのである。

ところがプーチン大統領もこの二十年ですっかり好々爺になった。貯えもできた。人の心も理解できるようになったのである。掃除婦の彼女に四億円の家を建ててあげたという話も出ていた。人は名誉も地位も権力も金も手に入れ豊かになれば、争いはできるだけ避けたいのが本音である。況してや老人力が身に着けば、無茶もできなくなるし、攻めの姿勢も衰えてくる。これから夢を掴もうとする若者の勢いには勝てないのである。

世間に弱さは見せられないが、心の中では時の氏神が現れるのを待ってる可能性大であろう。面子だけで戦争に突入すれば、自分の足元がぐらつくことをトップは誰でも知っている筈である。

仲裁に入るなら今こそウクライナの利害に関係の無い日本が適任であろうが、肝心の日本には適任者がいない。発言はアメリカ側の意向に沿った発言ばかり。ロシア以上に軍隊力があれば上からの物言いでの仲裁も可能だろうが、それがない以上、面子を立てて引かせることが重要であろう。

本音は老人力の身に着いたプーチンも戦争は避けたいと思っている筈である。ウクライナを無理やり併合したところで、内戦は続くだろうし、その後に西側諸国からの経済制裁が続くことで、国が疲弊し、内部からプーチン降ろしが激しくなってくるだろう。

戦争が始まれば多くの若者が死ぬことになる。若者に嫌われるような国はいずれ崩壊する。それは歴史が証明している。

今こそ日本の出番ではあるが、悲しいかな日本の政治家には、使者としてそのような適任者はいない。ここは男よりも女の方が角が立たないだろう。あのコロナ禍の中で東京オリンピックの反対論者を説き伏せた橋本聖子女史、東京都民の男性に人気のある小池百合子都知事、入れ歯がちょっと合っていない感じはするけど、黒柳徹子さんの「老婆力」。ここはやはり人生の経験力から適任は黒柳徹子さんではないか。

多分プーチン大統領も、黒柳徹子さんが訪ねて来るのを待ってるような気がするけどね。如何か?



▼コロナが身近になって来たのか、知り合いにまでコロナ患者が増えてきた。ある程度正体が見えて来たので、人々の気が緩んできたのだろうか? それとも検査量が増えたことで、それに比例して患者数も上がってきたのだろうか? それと一年前に比べて、コロナに罹った人を「悪者扱い」しなくなってきたのも、国民が進んで検査を受けるようになった理由かもしれない。

日本人が欧米人に比べて慎重で、控えめな性格であるということも十分に分かった。ヨーロッパ列強の政策は、常に果敢である。コロナ政策に対しても、前に前に先に先に行く。未知の対策だから当然被害者も多く出るが、それを恐れない。国民も前に進めと煽る。一歩も引かない。日本は常に後から着いて行くスタイルを選ぶ。為政者が国民の批判を恐れている。と言うより、自分の身を案じているのだろう。

一人の人間としては気持ちはわかる。私もコロナ検査を受けたのは、今年に入ってからである。理由はこの三年間風邪もひかなかったし、熱も上がったことがなかったからである。たまたま今回、熱は正常だったが喉がガラガラ声になって、三日ぐらい治まらなかったので、心配になって検査に行ったのである。

いざ検査に行くと、もし陽性だったらどうしようという不安が先に立った。理由は体の心配より、「近所の目」である。埼玉県の場合、役所や保健所から関係者が食料を持って訪ねて来ると聞いた。食料を持って来てくれるのは有り難いが、コロナを寄せ付けない完全武装な服装をして家に訪ねて来られたら、近所中が大騒ぎになるだろう。

家から出れないのは我慢できるが、終わってからも、当分周囲に監視されて生きなければいけないことを覚悟したのである。結果は陰性でホッとしたが、そんなことを恐れて検査に行かない人は多くいるだろう。

何より熱が出なければ誰もコロナに罹ったとは思わない。ただ最近コロナに罹ったという知り合いが増えて来た。それを堂々と言える環境になったことを喜ぶと共に、国が発表してる数字より遥かに多くコロナは蔓延しているなー、と実感した次第である。

最近このコーナーで香辛料の渋みを醸し出す黒門帳の利蔵親分も、最近連絡が無いないと思っていたら、コロナに罹ったと連絡があった。今は特段の薬を飲むわけでもなく自宅待機だけで、治るような雰囲気である。正体が見えて来た証拠であろう。

電話の先でも一人でダジャレを言いながら、「蟻の門渡り黒光り。ヘソまで届く南高梅の垂れ下がり。ああ〜きたね〜」と呪文を唱えながら一人で喋り捲るのである。トヨ子姐さんに会えないのが寂しそうだったが元気で何よりである。



▼あれよあれよという間に北京オリンピックも終わってしまった。新しくスターになった人、期待に応えられなかった人、今回が最後になってしまった人等、悲喜交々な3週間であった。

今回は、東京オリンピック同様、コロナで外に出る機会も少なかったので、家でテレビ鑑賞と言う人は多かったろう。冬のオリンピックは種目も少ないが、見ていて危険なスポーツが多い。全種目が雪と氷の上でやるわけだから、特別な能力が必要である上に、才能が無ければできないスポーツだから大変である。普通の人なら転んだだけで大怪我をする競技であるが、ただただ感心するしかない。

本来ならフィギアスケートの羽生結弦選手がスターになって帰ってくる予定であったが、高梨沙羅選手同様、悲劇のスターとしての帰国になってしまった。まー、あの域まで到達したスターは、勝っても負けても絵になる存在で、おばちゃんの心を掴んで離さないだろうから、今後競技を続けても、引退しても、生活的には保障されたようなものである。

あの女性の噂も立たない中性的な魅力が、おばちゃんの心を掴んで離さないのである。おばちゃんは羽生君を自分の息子と思っているし、自分の王子様と思っているのである、その顔で。おばちゃんが思うのは自分の自由であるが、態度に出されたら迷惑する人も居るから、あくまでも心の中だけでとどめて頂きたい。

今回のオリンピックで一番感じたのは、名前を読めない選手が非常に多かったこと。普通の音訓で読めない読み方で、読ませている名前がかなりいた。あれが一時流行ったキラキラネームと言う字なのかなー。あんな名前が主流になってくると、昔の「よね」、「トメ」、「くま」さんが、妙に懐かしく感じる。そうやって時代は繰り返していくんだろうなー。

ところで、一つだけ毛色の違った種目であるカーリングも惜しかったねー。優勝していたら、最後に美味しい所を総ざらいする可能性もあったのに、勿体なかった。



▼母の日はあるが、婆の日はない。過去に一度母の日で祝っているから、二度も祝わなくていいと言う考えなのだろうか? 最近は結婚しない女性、子供を産まない女性もいるではないか。だからこそ黄昏れて行く婆も祝ってあげるべきである。

婆はそれなりに老後を楽しく生きて行くが、婆以上に惨めなのは爺である。少しでも金を持ってる爺なら、少しは婆も寄って来るが、カネの無い爺には婆も近づかない。近づいてくるのは禿げ頭を憩いの場と勘違いしているハエと飼い犬のポチだけである。

こないだまで女と思っていた妻も日に日に中性化し、声変わりまでして、直ぐに怒り出す。中には鼻髭まで生えて来る婆さんもいる(見たことがある)。また子供まで婆の味方である、と不満の募る男衆も多いのではないか。誰のお陰で飯が食えて、誰のお陰で子供は大学まで行けたんだ? それなのに何で歳を取ってまでこんな苦労し嫌われなきゃいけないんだバカ野郎、と怒鳴りたいが、もうそこまでの力が残っていないことは自分が一番よく分かっている今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。

というワンパターンな枕詞にも、最近は力がみなぎっていない。使い物にならなくなった一物同様、体のあちこちから、「お前は老人だ。若者ぶるんじゃない」という天命が聞こえてくる。

だけど神様、黒門帳の親分は十手もないのに、八十も超える老婆と「蟻の門渡り真っ黒け、南高梅干し垂れ下がり」と呪文を唱えながら、いちゃいちゃした挙句、コロナ陽性になったそうですよ。それでもコロナも接種を三回目を打てば、何とかなるんでしょうか? ハイ、何とかなりますよ。


敬天ブログ敬天新聞トップページ敬天千里眼社主の独り言