戦争の犠牲者は常に国民だ 共存共栄の知恵を搾り出せ

(敬天新聞 令和4年4月号 1面)


戦争の惨禍

ロシア軍がウクライナに侵攻を始めて一ヶ月が過ぎ、時間の経過と共に攻撃は激しさを増し、国際条約で禁止されている爆弾の使用や無差別な攻撃が増えた。ウクライナの国民も世界中の国民も、戦争が起きているという実態を、やっと理解してきたようだ。戦争の悲惨さを実感するのはこれからだ。日常的な感覚でまだ物を言ってる人達がいるが、戦争の本当の怖さは非日常的な現実が起こることである。

戦争の本質は時間が経てば経つほど、人が理性を失い本能のままに行動するようになることである。人を殺すことに違和感を感じなくなるし、他人の物を奪うことも当然になるし、女性を見ると片っ端から強姦するようになる。そういう非日常的な事が通常の感覚になるし、誰も止めなくなるのである。そしてそういう実態が世界に見えるのは、ほんの一部になるだろう。

ひとたび戦争が起これば、一時的にナショナリズムが巻き起こり「戦争は止めよう」と言う意見は、内部からは発言しにくくなる。「私はこの国から逃げない」と宣言したウクライナのゼレンスキー大統領の支持率が90%にあがったことからもわかるだろう。

戦争は一部の者の面子や強欲で始まる部分が大きいが、犠牲者は常に国民である。ロシア(旧ソ連)と言う国は、第二次世界大戦時にも、日本の戦況が悪くなり原子爆弾を二発も落とされ降伏する直前になってから、一方的に日ソ中立条約を破棄して侵略してきた国である。そして70年以上も経った今も奪った領土を返還しない。戦利品として奪った物と考えており返す気はさらさらないのである。

「勝てる」と思って、戦争を仕掛ける者は、裏にこのような欲が存在するのである。大国には常にこのような傲慢さがある。

お互いの国に海外からの志願兵や傭兵が続々と集まっているらしいが、海外からの志願兵や傭兵と言うのは右だ左だという思想的な行動ではなく、「生活のためのビジネス」で参戦している者も多いようである。

そういう者は金で人殺しを請け負っているようなものだが、日常の生活の中では「犯罪行為」に属する事であっても、非日常的な中では正業として行われるのである。食う為、生きる為とはいえ人間の本能だろうか?


ロシアのプーチン大統領と中国の習近平国家主席


共存共栄の知恵

いまロシアの成り行きに一番関心があるのは中国だろう。北京五輪が終わり、台湾との関係を窺っている。正しくウクライナに対するロシアの考えに似ている。いや、国内問題と言い切っているからもっと強い気持ちがあるだろう。

西側諸国が何処までロシアを包囲し、経済的打撃を与えられるか。外から攻める覚悟がないのなら、内部からの崩壊を待つしかない。果たしてプーチン体制が崩壊する日が来るのか。それによって中国の行動も大きく変化しよう。

中国のような大きな国を治めて行くには、共産党と言う上から押さえつけるような力を持った政治団体でしか統一はできないのだろう。アメリカのような新しい国は、幾らでも新しい法律を創っていけるが、古い国になればなるほど、伝統や風習を重んじる傾向がある。それも地方によって、厳しさや内容が異なる。

それを一本化するには、上からの厳しい力でしか統一することはできないのである。みんなの意見を取り入れてたら、とてもじゃないが纏まるものじゃない。アメリカが「自由の州の集合体」なのに対して、中国は「自由のない州の集合体」と言う感じである。

自由であっても、自由でなくとも、国として維持するには、そこに国を守る軍隊と言うのは必要であろう。軍隊は何処の国でも愛国者と言われる人物が創設する。そして入隊すれば愛国心を植え付けられる。当然である。 そして一度争いが起これば、その国の矛になったり盾になったりして、国を守る先頭に立つのである。愛国心があるから先頭に立てるのである。これは右だ左だでなく、生物の防衛本能であろう。ある一定の戦いを繰り返せば、どちらも疲弊し反省もする。

そして時の氏神の裁定に安堵する。それは誰もが分かっているのだが、何かのつまらぬ切っ掛けで戦いは始まるのである。それはトップが自惚れている時、過信している時、或いはボケてしまった時かもしれない。

一度戦いが始まってしまえば、そう簡単には収まらない。当分はお互いが面子を重んじるからである。時間が経てば、疲弊もするし何の為の戦いなのかが分からなくなってくることもある。また冷静になればなるほど、人を殺す非常さ非道さ、異常さを覚えるようになり、内部から反戦運動も起こって来る。

疲弊する前は他国からの攻める側より、自国を守る側の愛国心が強くなる。大国の横暴は独裁者の勘違いから始まるが、拡大成長は無限ではない。今は原始時代ではないので、力だけで他国の領土を奪うことはできない時代である。自然の怒りに触れて絶滅した動物もいるにはいるが、昔ながらの生き方で強者も弱者も共存しながら生きている。

幸い人間には知恵があるから、右に行き過ぎたら左に行けばいいし、前に行き過ぎたと思えば、後ろに戻ればいいのである。

地球上の中でも人が生きていける環境は狭いのだから、そんなに我を張らずに、みんなで仲良く暮らして行くしかないではないか。

だけど現実には、弱肉強食の強者の言い分に正義の軍配が上がる虚しい世界があるのもまた事実である。


岸田首相とウクライナのゼレンスキー大統領


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