立ち上がれ日大マン再生への第一歩 瀬在元総長らが抜本的改革案を提出

(敬天新聞 令和4年4月号 2面)


日大ブランド

東日本大震災の発生から11年と成った3月11日、同じ時間帯の14時半から、文科省の記者会見室で、日大の再生が儘ならぬ現執行部に業を煮やした人達が立ち上がり、「日本大学再生への第一歩」と題する抜本的改革案を発表した。この記者会見の日時に配慮が足りなかったのか、集まった記者の数は思ったより少なかった。それでも再生への道筋を具体的に記した改革案(全7頁)の内容に目を通すと、その決意が強く感じられるものだった。

記者会見には、代表発起人として瀬在幸安元総長(医学部卒)の他、島方洸一元副総長(文理学部卒)、瀧澤正彦元常務理事(文理学部卒)、石井宏元常務理事(経済学部卒)、菅澤喜男元生産工学部教授の5名が出席した。因みに発起人名簿に名を連ねているのは62名である。


文科省内で記者会見をする瀬在幸安元総長


瀬在幸安氏の決意表明のあと、島方洸一氏が今後の改革案について説明をした。記者会見の幹事社である東京新聞の進行で質問が続いたが、コロナ禍でマスク着用のせいもあって、高齢の為か持病のせいか、瀬在氏の言葉が聞き取り辛かったので、途中から島方先生の説明に代わった。

おそらく5名の平均年齢は80歳を超えているのではないか。もう日大を辞めて10年以上も経つ人達が立ち上がらなければならないほど、地に堕ちた日本大学の名誉は取り戻せないという危機的状況なのだろう。

アメフト危険タックル問題の時に、日大が開いた記者会見で「このままでは日本大学のブランドが地に堕ちるのではないか?」と質問した記者に対して、「地に堕ちませ〜ん」と言って無理やり会見を打ち切った広報担当が居たけど、今思えば「まだ堕ちていませ〜ん」が正解だったかもしれない。ただ担当者としては、何も知らずに矢面に立たされた犠牲者(大塚吉兵衛学長・当時)を救うために、ああ言うしなかったのだろう。


記者会見は発起人の代表者5名で行なわれた


だけど今は、間違いなく完全に「日大ブランド」は地に堕ちている。巨額な私学助成金が投じられている総合大学の理事長と理事が、逮捕・起訴されるのは前代未聞である。

文科省は解体や縮小も含めて、真剣な指導に動いている。社会が完全に文科省の指導を後押している。

このような状況下では、如何に力のある政治家と言えども口を出すことはできない。下手に裏から手を回せば、自分の命取りになり兼ねないからだ。

その危機感を感じたからこそ老体に鞭打って、止むにやまれぬ日大愛を持つ人たちが立ち上がったのだろう。中には他大学の人も居るが、日大に縁あってお世話になった感謝の意を表しての参加なのだろう。

この会見で強く訴えていたのは、日大の再生への第一歩の提言・実行が実現したら、自分たちは一切身を引き、現役の人たちに全てを委ねるという事である。現役の人たちはあらゆる理由から声を上げにくいという現実を考慮しての行動でもあるのだろう。

立ち上がった理由として、現執行部は「田中英壽前理事長に選ばれた理事であり、有形無形に恩恵を受け、日大を堕落させた張本人であるし、私的利益を被って来た張本人たちであり、田中氏を神輿として担いできた者たちである。本来なら日本大学に損益を与えた部分を、田中氏と共に賠償責任を負うべき者たちである」と断じている。

また「本当の改革は、田中英壽氏に一切の利益関係のない者の手で行わなければ、真の改革にはならない」と言う考えである。

確かにその考えは正しいだろう。それに瀬在氏には、自分が総長時代に田中氏(当時常務理事)が業者からのキックバック疑惑の調査をしていて、途中報告で「黒」と認定されていた事実があったが、その直後の総長選で負けて、結局田中氏に握りつぶされてしまった因縁もあるのだろう。

あの時に責任を徹底追及していれば、こんな大事件に発展することもなかっただろうし、日大がここまで社会に伝統やブランド名を汚すことは無かったという無念さと悔悟があるのだろう。その気持ちは瀬在氏を取材した時に強く感じた。

抜本的改革案も具体的に書かれている。いま日大マンに必要な志は、「田中前理事長体制への完全な決別と再生」であることは言うまでもない。

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