新しい日大の為に改めて問う埋没した理事と業者の不適切な関係

(敬天新聞 令和4年8月号 3面)


過熱する上納金

前代未聞の事件を起こした日本大学が、「田中体制との決別」を宣言し、作家の林真理子氏を理事長に迎え、新しい船出をした。世間では概ね好評のようだ。

田中英壽元理事長を支持していた教職員で「田中派」と言われた者達は、意外と分かり易い。しかし、業者の中にも田中派(実際は井ノ口忠男派)という者がいる。

そういう業者達もまた、阿佐ヶ谷のちゃんこ屋に通って優子夫人に媚びを売り、祝い事があると進んで献金をしていたそうである。このほど弊紙に届いた投書(資料付)によると、相当上納していたようだ。

国立大学では無いので、どれ程の罪に値するのか分らぬが、国から助成金を受けている学校法人が、業者からの寄付や賄賂で、番付したり優越を決めていたら、やはり問題であろう。

投書によると、井ノ口被告が牛耳っていた事業部は、取引業者に様々な名目で協力金を求めていたのだが、陽光ビルサービス梶i新本起也社長)と言う会社は、その都度お祝い金やら協力金を納め、総額は650万円以上に成るという。この当時の社長は七十七銀行出身の小山正俊氏(現在は会長)である。

ちゃんこ屋にも通い、優子夫人の大好きな「鐘崎の蒲鉾と封筒」を手土産にしていたそうだ。事業部が取引する数百ある会社の中で、一番多いそうである。

陽光ビルサービスは、日大のお祝い事に贈る「花」にも余念が無いらしく、鰍eHI(吉田徹也社長)やナショナル・ベンディング梶i藤山雄一郎社長)と共に、「事業部三奉行」として、いつも中心に飾られていたそうである。

井ノ口被告の自社ビルと賃貸契約をしている全国警備保障梶i上笹貫剛社長)や潟Tンアメニティー(吉澤幸夫社長)等は、より関係が深いのか、花が届いても井ノ口被告や出村克宜理事が、公になるとよくないという理由から、倉庫に隠してしまったそうだ。

因みに、井ノ口被告のデスクの中には、これらの会社名が記された空の御祝儀袋が多数見つかっているという噂がある。また、井ノ口被告への接待のことで東京地検が陽光ビルサービスが経営する銀座のクラブ等を調査していたという。

「事業部三奉行」のナショナル・ベンディング鰍ヘ、白い自動販売機で業界に知れ渡っているそうだ(悪い意味らしい)。藤山雄一郎社長の祖父で創業者の藤山洋吉氏は、大日本明治製糖を中心とする藤山コンツェルンの二代目で元自民党総務会長等を歴任した政財界で知られた兄を持つ。

このナショナル・ベンディングは、田中元理事長が会長を務めていた国際相撲連盟に対し、一口200万円もの協力金を払っていたようだ。大学から相撲協会、更には個人へと徐々に「協力関係」は深まっていったそうである。

井ノ口被告に対しては、都心の高級ホテルや港区界隈で、接待や贈り物を個別に行っていたそうだ。前出の陽光ビルサービスと同じく東京地検が調査していたようである。

 これら業者と接触する度に井ノ口被告は、オーデマピケやパネライという高級時計を身に着けるように成っていったそうである。


井ノ口忠男・出村克宣両名の理事就任を祝い、関係の深い業者「三奉行」から贈られた祝花


埋もれた真実

特捜は、田中元理事長に対して脱税で逮捕した。背任での逮捕・起訴にはハードルが高いという事前の評判に配慮し、確実なところで起訴したとも言われた。

しかし場合によっては、幾つかの再逮捕は用意されていたという噂はあった。ただ不幸にも、家宅捜索の際に、動揺した優子夫人が階段から足を滑らし、頭を打ったことが原因で、現在も板橋病院の特別室に入院中であるそうだ。一時は非常に危ない時期もあったらしく、それで検察は二の矢を放たなかったらしいと言われている。

日本では死者に鞭打つ行為は昔から忌み嫌われている。その時の事故が原因で優子夫人に万が一の事があれば、家宅捜索が批判の対象になるかもしれないし、捜査が終わってしまう可能性さえあっただろう。そこで確実な脱税での起訴になったのだろう。

時が経てば経つほど、田中元理事長の呪縛は解けるだろうから、埋没している業者との癒着なども、次第に表に出て来ると思う。今回の投書も、その一例なのだろう。続く。


田中前理事長と井ノ口被告は様々な名目でお金を集めた

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投書で送られてきた日大関連で出金した陽光サービスの資料より

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