敬天新聞8月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和4年8月号 4面)



▼生活が苦しい人に支給するのが「生活保護費」である。しかし生活保護を貰ってる家庭より、年金生活者の方が生活が苦しいという話しをよく聞く。別に生活保護を貰ってる人を批判しているのではない。

役所が上から目線で査定するのもよくないが、特殊勢力団体の推薦などに屈しての判断もよくない。また一度貰ったら、永久に貰い続けるというのも、おかしな慣習である。一度話題になったが早い時間にパチンコ屋に通っている者も、殆んど生活保護を受給している者であると言われた時期もある。

年金生活者ならいいが生活保護を貰いながらのパチンコ生活は頂けない。私が最も言いたいのは、高齢者になったら、生活保護受給額を一般年金生活者と同じレベルに下げるべきであるということである。

と言うのは、病院代が只で、病院まで行く交通費が只であること。バスで通うならまだしも、中には足が悪いとか、不便とか言って、タクシーで病院通いする者もいる。 年金生活者は乗り合いバスで通ったり、年金生活者同士で、「割り勘」でタクシーに乗って病院に通っている人も多い。毎月の給付金も特別年金の高い人は別(この人たちは、若い時に厚生年金を払っている)にしても国民年金だけしか払って来なかった人は、月割にすると、毎月6、7万円の人が大多数である。しかもその中から、「介護保険代」を引かれる。それに比べて生活保護受給者は毎月14万円である。これは大矛盾である。

若くて子供が小さく貧しい家庭に、国が支援するのは大賛成であるが、子供が成長し、働ける歳になったら見直し、また小さな子供のいる貧しい家庭へと切り替えるべきだろう。また障害者支援と生活保護支援とは切り離して考えるべきだろう。それに一度支給になったら、生涯永久にというのもおかしな制度である。このような制度は常に見直すべきである。

また新宿など一等地にある団地などは、一度当たれば永久に引き継がれているようだが、最長10年とかに見直すことも提言したい。

こんなことを言う政治家も居てもいいと思うが利権に繋がるのか、野党でさえも口にしない。実際新宿辺りの団地は、創価学会や共産党が押さえているらしく、創価学会に入信したり、共産党に入党すれば、意外と早く団地に当たるらしい。そして一度入居すると、また貸しまた貸しで(本来は違反)、生涯退去しないそうである。こういう事は、全く議題には上がらない。こういう国民には知らせないタブーとか、矛盾とか、不条理とかが、世の中には幾らでもあるのである。

政治家を職業と考えてる議員が余りに多く、何度か当選したら、利権にでも繋がるのか世襲する議員は多い。稀に優秀な子供も居るが、大抵はアンポンタンが多い。



▼日本で元総理暗殺という大きな事件が起きたせいもあろうが、ロシアのウクライナ侵略事件がすっかり忘れられてきた感もある。日本では人の噂も七十五日というぐらい、忘れ症の癖があるので、本領発揮である。

銃社会ではない日本で起きた銃撃暗殺事件だから、世界から驚きを持って見られてることだろう。ただ殺人事件と言うのは、日本でも毎日のように起こっているのは事実である。世界の話も大きな事件にならないと情報は入らないし、殆んど知らないのが現実だ。

統一教会の行き過ぎた「壺売り」は昔から叩かれていたが、いつの間にか噂にならなくなっていた。自民党系政治家が秘書を送り込まれ、金で協力しているという噂は根強くあった。

犯罪的に違反が無ければ、法的には裁けないだろうが、法律を創る立場の政治家は本来、一般人以上に自分を律する心がけが必要である筈だが、現実は「先生」という「煽(おだ)て」に甘受し、満足して、自分を律するような政治家は殆どいない。先ず政治家の特権ばかり作らないで、それに違反した時の罰則も付随すべきである。それに違反した時は、即辞職することを法的に規定すべきである。

とにかく政治家に法律は甘くできている。特に与党は自分たちが運営する側だから、都合よく法律を創るところがある。

二大政党になって交互にやるのが一番平等にも見えるが、それでは国民が二分されて対立してしまうだろう。日本の場合、自民党的政治が基本的に国民に合ってるような感じだから、全党が自民党になって、自民党の中で、反対意見を言えばいい。政権を執る意志のない政党だけが野党になって、不正を暴くと言うのは、どうだろう?

山上容疑者の犯罪は平和ボケした日本にとって一過性の殺人事件と違って、幾つもの教えがある。護衛警備のあり方を見直す切っ掛けにもなったし、新興宗教の怖さ、矛盾も浮き彫りにした。また人の怨念の深さも再認識させた。

よく例えられる意見で「日本の平和ボケを覚醒するには、北朝鮮からミサイルが一発飛んで来た方が一番効果がある」と言われる。確かに現実に何かが起こらないと、人は現実に忙殺されて、防御というものを忘れてしまうところはある。

危険な所に住んでる者は、知らず知らずのうちに防御というのは身に着くものである。どうしても嫌ならそこを去る。

しかし、そこから去れない者もいる。それなら、その場所を危険な場所じゃない場所に変えていくしかない。人は変化に応じながら、住みやすい場所に変えて生き延びて来たのである。

安倍元総理も当然そういう気持ちはあっただろうし、山上容疑者もそういう気持ちがあっただろう。矛盾と矛盾がぶつかったのである。



▼新興宗教によくあることだが、盲信してしまうと、自分のやってることが分からなくなる。親子の関係も、夫婦の関係も、師弟の関係も、みな崩れてしまうのである。

山上容疑者が統一教会を敵とみなした行為は理解できる。母親が入信したことで、家の財産を皆持ち出して献上し、それが原因で家庭崩壊したのであれば、復讐を誓うのも当然である。

新しく生きがいが出来れば、また新たな門出も生まれようが、どうせ死ぬなら復讐をして死にたいと思っても何ら不思議な現象でもない。

新興宗教の場合、確たる教えを広めると言うより、先ずは関係者(仲間)を増やす、金を集める、が第一義である。

人が集まれば中には有能な人、雄弁な人、才能ある人、才覚ある人、魅力的な人、など居て、人が人を呼んで、大きな輪になって行く。また現実には何をやるにも金は掛かる。とにかく金がある人、作れる人には、献金をさせる。

「金が家に眠っていても何の役にも立たない。金は有効に使えば、回りまわって、必ずあなたの元に帰る。しかも徳を積めば積むほど、あなた自身が、あなたの家族と周囲が明るく幸せになる。その徳をお決めになるのが世界で唯一、当教団の教祖様である」と、幹部が毎日説教をしているうちに、信者はそのような気持ちになるのだろう。

一度信者になると、中々抜けられない。親族がどんなに説得しても、何を言っても、心が教祖様の方を向いているので、全く家に帰ろうとしないのである。

中には、献金するために、泥棒をするような者もいるし、女性なら売春する者まで居るのである。この何処が宗教の教えなのか? と疑いたくもなるが、宗教と言うのは人の心を完全にすり替えてしまう力を持っているのだ。だから何百年前の事であったとしても「宗教戦争」は再燃するのである。

片や政治戦争と言うのは、怨念が短い。その時代の権力者の欲望で始まる戦いだから、その人が死ねば終わってしまう場合が多い。だから昔の為政者は、宗教を忌み嫌い、中々認めなかったのである。

それでも宗教が人々に根付いて行くということは、何かしら人々の心を和ます、或いは落ち着かせるような、作用があるのだろう。

筆者は身内が宗教に入って家に帰って来なくなった時、本人に会って説得したが、全くダメだった。そこで、その宗教のトップに喧嘩を売った。理解したそのトップが「うちではもう教えることがないほど学んだので、家に帰って家族とゆっくり暮らした方が良い」と言ったら、帰って来たのである。

宗教にはまやかしも多いのである。



▼若い時は横を向こうが、うつ伏せだろうが、直ぐに寝れた。それもぐっすり。ところが、爺婆になると、横向きになると膝と膝の骨が当たって痛くて眠れない。間に座布団を挟むか枕を挟むかしないと寝れないのだ。たまに老婆の足を挟んで寝る時もあるが、痩せた老婆は骨が三本当たるだけで、やはり痛いし、太った老婆の足は、最初はいいが直ぐに重たくなってしまって、やはり離れた方が寝やすい。またうつ伏せに寝ると息が出来なくなり、永眠してしまう危険性がある。

遣ることも無いので爺婆は早く寝る。その分早く起きる。夜の8時ぐらいに寝て、夜中の2時ぐらいに目が覚めて、まだ暗いので布団の中で、黙って寝たまま起きている。そして、「最近、あまり眠れない」とぼやく。実際は6時間も寝ているのである。若者と違って爺婆は何もしないから6時間も寝れば、十分な睡眠なのである。

先日テレビで、0歳から20歳までの長さと、20歳から80歳までの長さが同じだという理論を説明してる人が居た。それも方程式できちんと説明していたのである。

方程式の理論は全く理解できなかったが、最近の1日の速さ、1週間の速さ、1か月の速さ、1年の速さを考えると、なるほど意味は分かる。

子供の頃は、1週間も1年も長かった。考えて見ると、思い出も子供の時だけである。子供の時の1年が大人になったら3年の速さになるんだ? それが還暦を過ぎたら、倍速になるように感じる。道理で1年が過ぎるのが早いと思ったよ。還暦が終わった頃から急速にまた1年が早くなるらしいけど、あの夕陽が沈む感じになるんだね。

最近は海に夕陽が沈む瞬間も昔のように綺麗に見えなくなった。晴れた日でも、スモッグなのか黄砂なのか空が霞んで、沈む前にぼやけてしまうのである。これも温暖化現象なのだろうか。

過去には地球が凍ってしまって、大型動物が死んでしまったという歴史もある。今度は暑くなりすぎて、南極や北極の氷が解けて、また多くの動物・植物が死ぬのだろう。その頃人は地球以外の所に住むようになるのだろうか? と言ってるうちに今年も半分以上が過ぎてしまった。コロナも、もう三年目が終わろうとしているが、未だに確たる正体は見えない。

最近、毎年成長の無い一年だと思っていたら、一年一年棺桶に浸っていたんだね〜。

昔は「いつまでもあると思うな親と金」と思っていたけど、今は「いつまでもあると思うな元気な若さ」だね。


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