敬天新聞9月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和4年9月号 4面)



▼昔は東京の空に比べて、田舎の空は青かった。だから夕陽が沈む時に大きく海の中に沈んで行く姿がハッキリ見えたのである。

ところが最近は田舎の空も青色ではなくクレヨンで言う「空色」である。青よりも少し薄い青色である。それとも「空色」と言うぐらいだから、これが本来の空の色なのだろうか。「夕陽の沈む町」を売り物にしている町でも、昔のように毎日見れなくなったようである。

気候変動のせいなのか温暖化のせいなのか分からないが、空がどんよりしているのである。光化学スモッグや黄砂のせいかもしれない。温暖化で海の水が蒸発してるから、その分太陽がぼやけて見えるのかもしれない。46億年もかけて生き続けた地球が人間の傲慢さで、壊れかけているのである。

と思ってたら、地球の奥の深さをNHKが放映していた。二酸化炭素が増え温暖化になっても、冷えすぎて凍結してしまっても、何千年もかけて、自浄作用で元に戻る力を持っているらしい。 それこそ、多くの生命体は絶滅するらしいのだが、その変化にも応用して生き延びる生命体がいて、そこから変化、変化を遂げながら、生き延びると言うのだ。

その単位が凄い、何千年、何万年という時を経て、一つの形を形成しているのだそうだ。自然から見たら、人の生命はたかだか百年である。

それで天下国家を語るなんてチャンチャラ可笑しいと笑われているのではないか。プーチン大統領にも教えてあげたい話である。そのくらいは知ってるだろう? いや知らないと思う。知って居たら、古希を目前にして戦争なんか仕掛けないよ。

あの戦争の仕掛け方は、老人の考えではない。老人なら、もう少し現実的な戦争をするだろう。あの侵略の仕方は、明らかにナポレオンやヒットラーを意識している。所謂、歴史に残る人物を意識した戦争を仕掛けている姿である。

ロシアの大統領で十分後世に名を遺す立派な立場なのに、もう一ランク上を狙ったんだろうなー。スポーツのように個人で戦う立場ならいいが、国を動かす者が、このような考えでは国民が迷惑する。

今回の戦争で、何人の人が死んだか知らないが、死刑制度のある国では、3人以上殺せば間違いなく死刑である。それも全く無実の人を殺しているわけだから。

だが戦争と言う行為は、無条件に人を殺す。多く殺したことを自慢する機会でもある。人間の愚かさと欲望の限りなさを表現する最たるものが戦争であると悟った暑い夏だった。



▼他人に名前を騙(かた)られるようになれば一流と言う言葉がある。一種の川柳かダジャレみたいなものであろう。

他人の名前をしっかり騙れば何かの罪名が着く犯罪であろうが、筆者が言うのは全くの騙りではなく、大した知り合いでもないのに如何にも親しいように語る者がいると言うことである。

何処かに有名な親分が出現すれば、如何にもその親分と親しいような口調で語り、自分の仕事に利用するのである。

一般の人は勿論使わない。詐欺師を始めとした特殊な世界であるが、これがまた本人以上に使い方が上手で、言うならば講談師以上の口八丁手八丁で話すものだから、市井の人はコロリと信じてしまうようである。

ただ名前を騙るだけならいいが、大抵が金が絡んだりしている。そういう場面で使うのだ。私の名もよく使われているという話を聴く。

筆者は全く心当たりもないし、記憶もないのだが、相手が筆者の名刺を持っているということは、どうも色んなパーティーや会合に出掛けた時に、紹介者が連れて来て、名刺交換をしたことがあるみたいだ。

その時一度だけの面会であるから、殆んど記憶には無いのである。おまけに筆者はとにかく人の名前を覚えれないタイプである。老人力の身に着いた最近だけでなく、昔からそういうところがある。人との交流が下手なのである。

国立府中大学在学中にも担当官ノートに「怠け者」と書かれていたぐらいで、仕事のできる順位表で東西横綱から始まるその表の中で、その工場(モンチッチという人形を作る工場)にいる間、最下位の番付だったのである。



▼子供の頃、何で爺婆になると腰が曲がるんだろうとか、あっちこっち痛いと言うんだろう、と不思議でならなかった。運動会で親が走ってるのを見て、何で遅いんだろう? 何で一生懸命走らないんだろう? と思ったものである。

ところが親を通り越して、爺婆の年代になると、あっちこっちが痛くなるし、「一生懸命走ってもあの程度」と言うのが良く分かる。解った処でどうにもならないし、子供に説明しても、子供は理解できない。60年の歳月を経ないと、分からないのだ。

時々頭のいい子が、自分の5年後、10年後を、しっかり計画立てて、そのように進んで行く者がいる。あんなに未来を分かって歩んで行けたら悔いもないのだろうが、殆んどの人は悔いだらけの人生であろう。

今は結婚した人の35%が離婚するらしい。生活力が同じなら、もっと増える筈である。夫婦は添い遂げるもの、という考え方は、まだ100年の歴史しかないそうだ。

明治民法で「妻の財産は家長に帰属する」と変わったことで、妻の離婚後の生活力を取り上げ、夫婦は添い遂げるものという形を作ったのだろう。富国強兵策の一環だったのである。

富国強兵の基本は、国民から自由を取り上げること。不平不満を言わせない事。国を攻めて来るという仮想敵国を作ること。国民に同じ方向を向かせること。体力重視を目指すこと。等である。

今は平和な時代だから、富国強兵の必要性は希薄になっているが、ロシアから理不尽に侵略された(ように見える)ウクライナを見ていると、やはり一部に富国強兵も必要ではないかと考えさせられてしまうのは事実である。

全く相容れない思想信条を持った国が突然せめて来て侵略され支配されてしまうなら、多少自由が無くなっても、上下関係に理不尽な厳しさがあったとしても、富国強兵の方がいいと思う国民が多くなるのも事実だろう。その時代、その時代によって国民の考え方が変わって行くのも理解できる。

ミャンマーの軍事政権も世界の多くからは批判されているが、その実態は他国からは見えないものもあろう。人の考えが十人十色である以上、どれが正義でどれが間違いかは、一概に断定できないのである。

ヨーロッパの国々も今でこそ、先進国、資本主義国と言われるが、100年前までは、海賊として、南米やアジア、アフリカの国々を侵略し植民地として支配してきた歴史がある。世の中の何が正しいのか、何が悪いのか、未だに分からない理解できないことが山のようにある。



▼一発の銃声で世の中が変わると言う言葉がある。愛国者が好きな言葉である。

しかし現実には、誰かの命を取ったところで、そんなに大きく世の中が変わるものではないと、日本では思われてきた。

大統領制を採用している外国では一気に情勢が変わるということは多々あったが、日本では亡くなった本人が入れ替わるだけで、あまり影響はないと思われてきたのである。

しかし安倍元総理の銃撃殺人事件は、外国のような体制変化と事情は違うが、山上容疑者が考えた暗殺復讐劇以上の効果を生み出している。

弁護士が束になって取り組んだ壺売り悪徳商法撲滅運動であったが、一時的に盛り上がりはしたが、いつの間にか国民に忘れられ、廃(すた)れ、消えてしまった。

それどころか、日本の政治をけん引してきた自民党の中に深く食い込み、総理大臣を生み出し、それを操る力まで貯え成長していた。その実態が浮き彫りにされているのである。驚き桃ノ木山椒の木である。

だからと言って、野党勢力が増えるという感じではない。野党は国を引っ張って行く運営能力がないと多くの国民に思われている。所詮批判勢力としか見られていないのである。

しかし今の自民党の実態が、法律でさえ正規の手続きも踏まず、悪徳壺売り集団と批判された統一教会の支援の下に成り立った政党という実態が、どこまで明らかにされるかによっては、相当自民党の勢力と信用は落ちるだろう。

宗教が悪いわけではない。人の心を宗教と言う名前で惑わし、騙す、宗教ビジネスの行為こそが批判されるべきなのである。信者は信じてしまっているからどうしようもないが、上位者に行けば行くほど、宗教ビジネスの理屈は分かって居る筈である。

マスコミにも立ち位置によって、フェイク(嘘)とファクト(事実)はあるが何処まで実態を暴くかである。安倍総理時代の疑惑を力で押さえ込まれていたという悔しい思いもあったろうから、今は反自民のメディアに勢いがある。

岸田総理の捌き方次第では、岸田政権が退陣に追い込まれる可能性もあろう。最初の試金石は今月27日に行われる「国葬」での評価にかかっているのではいるのではないか。


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