敬天新聞10月号 社主の独り言(甘口)

(敬天新聞 令和4年10月号 4面)



▼最近は台風や大雨が降る度に、毎回のように「今までに経験した事の無いような大型の・・」と言うような形容詞が付く。その割には、被害は少ない場合が多い。

「今までに経験したことの無いような・・」という形容詞が国民の心に響いていて、しっかり準備が整っているから被害が少ないのか、大した事が無い時でも大袈裟に言っておくことに、注意喚起の意味があるとの国の指示なのかは分からない。

しかし、あんまり毎回言われると、「狼少年」の話を思い出してしまう。それでも慣れる慣れないは個々の判断であろうが、国は最大限の注意喚起をしているのは事実であろう。

昔はこういう発言はあまりしなかった。予報が今ほど正確じゃなかったからかもしれないし、地球に間違いなく変化が起こっている前兆かもしれない。温暖化である。南極の氷が解けたり、北極海の氷が解けたり、グリーンランドが無くなったりする可能性があるのだそうである。

何百年先なのかは知らない。人間は知恵があるから、生き延びるかもれないが、自然を塒(ねぐら)にしている動物の多くは死滅してしまうのではないか。そうなれば、人間の食料も無くなる。食物連鎖の体系も崩れてしまうだろう。こういうのを見越して終末論とか宗教に利用されるんだな〜。

地球ができて何億年も経つらしいが、何千年か、何万年に一度、「今までに経験したようなことのないような寒暖差や大雨、大嵐が起こり、人・動物が死滅する時期がやって来る」のである。その終末期(何百年後か知らない)に入っているのかもしれない。これは私の根拠のない推測、若しくは想像です。

でも最近のゲリラ豪雨や土砂災害を見ていると、人為的なミスも多々あるが、何となく自然破壊に対する罰当たりに神が怒っているという想像も強(あなが)ち間違ってもいない感じもする。 それに最近は間違い無く四季が無くなっている。夏と冬の二季になっているのである。暴風雨・夏・暴風雨・冬と言う感じである。

寒い冬の終わりに若芽が息吹き梅が咲き、桜が咲き始めたら春の到来であり、九州から順々に開花が発表されるのである。

花の一年生の入学式が始まり、梅雨が終われば夏休みである。夏祭りも華やかに行われる。二学期が始まると陽が沈むのが早くなってくる。

山の木々が赤く染まるのもこの季節で、物哀しい涼しい風が吹く秋の到来である。これは逆に北の方から順々に染まってくる。

木の葉が木枯らしで落葉すると、歳の暮れになり師走がやって来る。北国は白く染まる、冬の到来である。

ついこないだまでは、これが日本の一年の四季だった。それがコロナの襲来と共に、長年大事にしてきた慣習や風習も含めて、季節まで一掃してしまった感がある。



▼人は生まれて来るのには必ず父親と母親が存在する。しかし、その両親が必ずしも一緒に生活しているとは限らない。未婚のまま子供を産んだ人もいれば、正式に結婚しているけど、父親や母親が違う人もいる。

子供の時はそんなことも分からなかったし、理解もできなかったが、最近「あそこは、ここは」と、いろいろと爺婆から話を聴く機会が多いので、へぇー、そうなんだと思うことが多いのである。

若い頃はそれなりに悩み、確執もあったようだが、残り人生が少なくなるにつれて、どうでもいいことに思えて来るらしい。

考えて見れば、この世に生まれてくることが奇跡であって、その切っ掛けを重要視しなくなるようである。確かキリスト教では、堕胎は禁止じゃなかったけ? 強姦されて妊娠した胎児さえ堕胎しては行けないという考えに、若い時はどうしても納得できないと怒っていたものだが、歳を取るにつれて、何となく理解できるようにもなった。

確かに子供が世の中に生まれて来るのは奇跡である。勿論子供は親を選べない。どういう環境であれ、この世に生を受けた以上、誰もが幸せになる権利がある。親のエゴイズムで生まれて来ようが、不倫の果てであろうが、生まれてきた以上は、生まれて来た者の人生である。

何一つ不自由なく育てられた者の中にも何が不満なのか世間に拗ねる者もいれば、可哀想なくらい辛い思いをしながらも、明るく清く正しく生きる者もいる。育った環境が良かったのか、その人が産まれ持った資質なのかは分からない。

お笑い芸人の加藤茶さんが、今の奥さんと一緒になった時に、余りにも歳の差があったために、「金が目的」とか散々叩かれたことがあった。確か奥さんの親よりも加藤茶さんが年上だった。

ところがそのバッシングを乗り越え、その力関係も今では逆転した感もある。最近は加藤茶さんも見るからに老人力が身に付き、奥さんの支えなくては生きていけない感じである。

生ある者には、老いは必ず誰にも平等にやってくるもの。その時支えてくれる者には、誰にでも感謝すべきである。

今売れているからとか、金があるからとか、力があるからとか、一時の夢に現(うつつ)を抜かしたり、自惚れてはいけないのである。

元気で生きてることに感謝。



▼人生は全ての人がヒーローであり、ヒロインである。しかし生きていく上で、幾たびもポジションが変わったりする。

出会う人の縁で変わる人、たまたまの偶然で変わる人、周囲に翻弄されて変わる人、天変地異に巻き込まれる人など、様々である。

それが人生を重ねていくうちに朧気(おぼろげ)ながら見えてくる。見えて来た頃には、体のあちこちが痛んで思うようには動かなくなり、夢を諦める人が多い。

それでも最後まで、夢を持ち続ける人も稀にいる。個人であれば、最後まで夢を見続けるのは素晴らしい事であるが、利権の為とはいえ、公職にしがみつづけるのは如何なものかと思う今日この頃である。

しかし、それは無い者の僻(ひが)みであって、長年かけて築き上げた実績と地位と財産を、そう易々と他人に渡したくないと言う気持ちも、経験はないがわかるような気がする。

運と縁と努力と才能があっての成功に繋がるのだろうが、実際には裏側ではもっと汚れた部分もあるだろうし、悲しみや寂しさだってあっただろう。大きな成功ほど、大きな落差があった筈である。

大多数の人が凡人として人生を過ごすのだろうが、凡人の中にも上下があったり、親子であっても、色々あったりする。人生には正解はないが、今自分が歩んでいる道が正解と思って行くしかないのである。

途中歩きながら、間違ってるな〜、と思ったら、振り向いたり、立ち止まったりすればいい。誰か参考になる人が居たら、それを見習うもよし。

人権抑圧の強い国に生まれた人だって、それなりに夢はあると思う。日本でも過去には上下関係の厳しい時代や国民が貧しい時代も有ったけど、それなりに皆、夢や希望を持ってがむしゃらに生きた結果、今の時代がある。

いつの時代でも不満はあるだろうが、誰も貧困な時代には戻りたくない。子供たちにもそういう経験はさせたくないと思っている。今が不満ならそこを去るか頑張るしかない。捨てる神あれば拾う神あり。



▼黒門帳の親分(通称・マコ)が今月の誕生日で後期高齢者になることを機会に長年仕事場にしていた新橋の焼肉レストランへの出入りを止めると言っていた。

本当かどうかはわからない。なんせ口癖は「おらぁ〜、酒も女も博打も人の何倍も生きた。もう何も思い残すこたぁ〜ないよ。敬天の〜、おらぁ〜、先に行くぜ〜。」と、講談師か浪花節語りのような口調で酔っぱらうのが特徴で、「夢は旅に出て、知らない町を飲み歩きながら、『行旅死』(氏名・本籍・住所が分からず、遺体の引き取り手もない死者のこと)したい」と洒落たセリフを言うのが特徴であったが、最近は「一応、どこで行き倒れになっても、住所と名前だけは書いた紙を財布に入れて於こうと思う」に替わって来てはいる。本人は松尾芭蕉や良寛和尚を意識した種田山頭火を意識しているようである。

そして旅の先々で、三田五丁目と新橋の一部で受ける高齢者ダジャレ川柳師三段の腕前としての威厳を保ちたいのであろう。そういうセリフを言い出してから、もうとうに7、8年は過ぎたろう。それに最近は新橋にもあまり顔を見せないし、昼間からミコの所に直行しているようである。

たまに新橋に顔を出しても「寿限無、寿限無、後光の擦り切れ、黒万個、蟻の門渡り、黒黄門・・」と呪文なのか独り言なのか分からない言葉をブツブツ唱えながら飲んだくれて、ミコに電話して「風呂を入れといてくれ」と言って帰ることが多くなっていた。

とても「行旅死」を考えてる様子はない。恐らく小さな風呂桶の中で後ろ向きで入って来るミコの小股の深い皺の一つ一つに人生を感慨深く重ね合わせているのだろう。あと何年こういう生き様を続けられるのだろうと。

黒門帳の親分が新橋に顔を出さなくなると、新橋も寂しくなるね〜。時代と共に名物が一つ減り、二つ減り。そして全く知らない街に様変わりしていくんだろうな〜。寂しいねえ〜。

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