敬天新聞11月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞 令和4年11月号 4面)



▼マコの調子が良くないらしい。心配なのか一日に何度もミコが電話して来るそうだ。こないだも胃の検査、前立腺の検査をしたと電話があった。マコは初期の癌の手術もしている。

最近は会う機会も少なく、ミコ情報もあまり入らない。マコは今年の十月の二十日で後期高齢者になることを機会として、長年通った新橋出張を辞めたいと言っていた。後期高齢者としての一区切りをつけるのだと言う。

それにしては目が座るほど酒を飲んだら、街宣現場に顔も出さずにミコの所に顔を出すのが、最近の恒例になっていた。男の付き合いの場に顔を出すより、気ごころ知れたミコ婆の方が気も休まるし、酒も美味いのだろう。気持ちはわかる。

知らない町を歩きながら行き倒れになって人生を終わるのが夢と語ってもう7、8年にはなるだろうか。この記事が出る頃にはもう新橋とは決別してる筈だが・・・。

ミコはオードリーヘップバーンのような「老婆(ローマ)の恋」をしているつもりのようだが、マコは遠州森の石松になったつもりでダジャレを言えるショバを求めていただけの恋愛だったような気もする。

ミコは娘にさえライバル心を持っていたようだが、マコは誰よりも情報を早く知って、誰よりも早く人に話すのを唯一の生きがいにしているために、一部ではTHKと言われていた。T放送局の略である。口の堅い人は、信頼されて話をする人は多いが、放送局と言われている人も、話の内容によっては、有難い時もあるのだ。

例えば八つぁん、熊さんに一言話せば、その日のうちに町内全体に伝わるという便利さもある。マコは間口が広く、相談しやすいのである。

相談者も顔の広さ頭の太さ重さを求めて、何処かに繋いでくれるのを期待しているのである。「リクルートが相談に来るのよ」と言うのも自慢の一つだった。そんな軽口が聴けなくなるのも寂しいものである。

先月号の「社主の独り言」の評価が「甘口」となっていたのを見て、黒門帳の利蔵親分が、「これは甘口じゃない。人生の基調を厳しく突いている」と言いながら、人情の機微に触れたのか、大粒の涙を流しながら独り言を読んでいた。何処かで涙腺に振れたのだろう。利蔵親分の特徴である。利蔵親分は昔から人目を憚(はばか)らず、声を出して大泣きする人である。

韓国のビジネスである「葬儀の時に泣いて雰囲気を盛り上げる泣き屋」とは違うが、あれに負けない説得力のある泣きを自然と披露する人物である。その飾らない性格がまた多くの友人・知人を作るのである。若い娘から婆にまで人気があるのもこの辺かもしれない。 そして毎日後ろ向きで一緒に風呂に入るミコの年季の入ったYIOを見て、「あ〜、汚ねぇ〜、真っ黒けの曼陀羅け〜」と唸り出すのである。

我々の前でだけ、面白可笑しく話してるだけかなと思っていたら、本人に電話して、直接話したのには驚いた。女衒とかホストとかの魅力も兼ね添えているんだね。憎いね〜。ただ、こんな話ももう聞けなくなるのかと思うと寂しいね〜。



▼失恋をした女性は何故か北へ旅すると言うのが、絵になるようである。肌に感じる寒いという気候が、寂しい心をより寒くする心理と繋がるのだろう。そんな心と体が冷たい時、目を閉じれば、抱きしめ温めてくれた泡沫(うたかた)が浮かんで来るのだろう。

こんな時に演歌は心を慰めてくれるし励ましてくれる。心さえ温めてくれるのである。と考えるのは爺・婆だけではない。一定の目安として。

なぜ演歌は若者に似合わないのか? なぜ演歌は若者に支持されないのか? よくよく考えたら、演歌は人生の経験を謳っているから、経験の少ない若者には理解できないのだ。支持されないのは分かる。それにしてもラップはないだろう。国語の本を読むような感じの同じ調子で、お互いが主張を繰り返すだけである。

歌やダンスのように感情移入が出来ないような気がするが、平坦で単調な音楽のリズムが爺・婆には尚更難しく感じるのである。若者は、寂しくても、うれしくても、ラップ調で表現すると言うのか? 

音程の無いようなラップ調で語って寂しさを表現できるだろうか。それなら芥川隆行氏や演歌の花道の来宮良子氏のように音楽をバックに静かに語るだけの方が心に沁みるのではないか。と思うのも老人だけ? 

失恋した女が北へ行きたい心理はわかったような気がするが、すでに北に住んでる女性は何処に向かうのだろうか。その先と言えば、北方領土かサハリン辺りだろうか?すでに北にいるまなみちゃんに聞いて見よう。

ということは、失恋したにも拘わらず、南に行くのは強い女性である。思い出を捨てに行く女性が南に行くのだろう。

それなら南に住んでる女性で、思い出を捨てに行く女性は、行く先が無いではないか。いや、宮古島や石垣島がある。

そういえば私が知ってる沖縄の女性はみんな明るく楽しい女性だったし、別れる時も明るかった。太陽が厳しく一年中半袖で過ごし、海に慣れ親しんでいるから、陽気になるのだろう。

北の人は喋っていても口の中に雪が入って来るから、口を開けない習慣が身に付き無口のように見えると誰かが言っていたが、家の中では明るいのである。

結局、演歌の世界が作り上げた幻想だろう。寒いという気候が、失恋し心も寒いというように連想させるんだね。



▼私は昔から、人の顔と名前が覚えられない癖があったが、最近はプラス老人力に恵まれて、ますます顔と名前が覚えられない。典型的な人生で成功しないタイプである。 人生で成功した人の著書を読むと、先ず第一に挙げられるのが、物覚えの良さと気配りである。

 

代表例は田中角栄さんであるが、誰もがあんなに上まで行けるものではないが、時の運もあって、誰かが時のトップまで上り詰めるのである。

一般の人は、目に見える世界でしか気づかないし、売れた著書でしか、知ることはできないが、確かにその人の持つ実力や運もあろうが、演出や煽りも大いにあるのである。

例えば芸能人でも、歌、踊り、見た目など、人より優れている人が、必ずしも売れるとは限らない。その時々の力のある人の縁にどれだけ恵まれ、いいスポンサーが付くか、良い作品に恵まれ、いい配役に巡り会えるかとか、色んな条件が必要になってくる。

それを熟(こな)したからと言っても、一過性で終わるかも知れない。その積み重ねが軈(やが)て、認められるようになるのである。コツコツと長く続けることも一つの骨かも知れない。

同じような生き方を続けているように見えても時代の流れによって、或いは経験によって、或いは年齢によって、対する気持ちは変わってくる。

残された人生が見えて来るようになると、今生きてる世界の地球が10億年前にできた宇宙の中の小さな星の一つで、生物が住むようになったのは100万年前、人が現れたのは数万年前だと知ることになれば、その存在の小ささを知り、あの世に旅立つのも、未練を残しつつも納得が行くようになるのである。

老人になると恋愛感情は無くなると若者は思っているようだが、体が思うように動かないだけで、心は全く若者と同じ感覚である。老人力が身に付けば見てくれが汚くなるので若者に嫌悪されるが、人を愛する浮き浮き感は、若者と全く同じである。

ただ昭和に生きた人たちは、今のように「割り勘」で支払いをするという感性はないので、飲食をした後のデート代の支払いは爺払いが当然である。割り勘でもしようものなら「あんなケチとは、二度とデートしない」とけんもほろろに、嫌われるからご注意を。

まさかとは思うが、そんな爺もいるのだ。背に腹は代えられないという爺なら仕方がないが、生まれつきのケチと言う男もいるのだ。

こんな男なら、一緒になった奥さんとかも一生苦労すると思う。ま〜逆に、外面ばかりいいのも困るけどね。爺もつらいし、婆もつらい、爺と婆はなおつらい、と言うとこかな? 生きるってことは、幾つになってもつらいな〜。



▼愛人や二号さんを持てるのは、仕事で成功した人や親の財産を受け継いだ金持ちの特権だとばかり思っていたら、意外とそうでもない。欲望的には世の男性の誰にでもあるものらしい。

その証拠に、人に教えを説くような人や「あの人が」と言うような市井の男性にも、そういう友達が居たりする。特殊な人たちだけが、愛人持ちではないのである。当然逆バージョンもある。オカマの世界にもある。

それに愛人の形と言うのは、大抵が男女に拘わらず、愛人側が若い。何故だか考えてみれば、そういう余裕ができるのは、歳を取ってからだからである。若いうちはわざわざ相手を囲わなくても、いくらでも相手に不自由はしない。持てない者には国が認可したソープランドもある。

歳を取ってからの相手は、必然的に相手が若くなる。爺婆が自分より年上の人に恋をしても、遊んでも、愛人や二号の役目は果たせない。介護するために愛人を作るような奇特な人など、そうはいない。そうはいないということは、たまにはいる。だから爺婆の愛人も自然と年下という形になるのである。

世間の人は婆さんに若いツバメがいると、「あの人は色キチね」とか陰口を言う人がいるのは、願望は有るけど自分にはできない嫉妬なのである。要は羨ましいのである。

興味のない人は端から相手にもしないし、全く気にも留めないのである。家で大好きなスイーツでも食べながら、韓ドラでも見て、ドラマの主人公に語りかけるのである。ドラマの主人公こそ自分の彼氏なのである。

時には男みたいな女がいたり、女みたいな男がいたりもするが、総じて体的には男と女は全く質が違うのである。それを何でも同じと言う評価もどうかね? 爺婆が役に立つのは精々が経験と、寄付ぐらいかな?

敬天ブログ敬天新聞トップページ敬天千里眼社主の独り言