(敬天新聞 令和5年3月号 4面)
▼スシローの皿や醤油の舐め回し事件であるが、何であんな犯罪のような行為をして自ら撮って、世間に流すのだろう。何が楽しいのだろうか?
頭のおかしい人物ならともかく、普段は正常な生活を送っている若者の常識が外れてきたのは、何故なのだろう。
閲覧者の数を増やすために、だんだん危険水域に入って行くとか、犯罪行為に入って行く、という心理を聞いたことがある。そのためにフェイクニュースまで流す者までいるというから困ったものである。
基本的に性善説で物事を考える日本人だけでなら対処も可能だろうが、ユーチューバーは世界中にいるから、日本の法律、慣習だけでは、どうにも対処できないのが現実である。これからは国家という観念は無くなるのだろうか?
日本は島国だから近隣国家との緊張感が現実にはない。これだけ国際間が自由になったら、日本だけが鎖国化を宣言するのも難しいだろう。しかし、公衆道徳での常識は世界最高水準という現実もあるのは事実である。日本に来た多くの外国人は日本人の礼儀正しさと公道の清潔さ、鉄道・バスの時間通りの発車・到着に驚くのだそうである。個人の自由を尊重しすぎれば、列車の時間表だって、予定通りに動かなくなるだろう。
1000年以上も続いた慣習や伝統文化があってこその鉄道の時刻表厳守も可能なのであることを忘れてはいけない。列車にしても、自動車にしても、時刻表にしても、元はすべて外国からの輸入である。しかし、日本人の勤勉さ、生真面目さ、追究心が、元祖を超えて、より高度なもの、より便利なものを作り上げてきたのである。
西洋からは皮肉や批判も込めて「イエローモンキー」と呼ばれていたが、良いものはやがて世界中から認められる見本を示したと言っても、決して過言ではないのである。
一方で、負の遺産というべきか、犯罪大国にもなりつつある。犯罪者が大挙してフィリピンに押し寄せ、フィリピンから、強盗を支持する「ルフィ」なる人物まで現れた。何年か前にも、フィリピンを基地にして電話詐欺をしていた集団が何十人も一斉に逮捕され、強制送還された事件があった。
世界から経済大国と見られている日本は、今や経済犯罪大国とも見られていることであろう。否、詐欺強盗犯罪大国と思われているかもしれない。犯罪者にやり得感を与えてはならない。
▼今や間違いなく芸能界のドンである最近の黒柳徹子さんは、布団で作ったようなドレスを着ていることが多い。昔で言う丹前である。それの派手なバージョンである。
筆者も家ではパジャマの上から丹前を着て過ごしている。そんな恰好をしていれば、光熱費がかからないので、電気代が上がらない。しかも黒柳徹子さんは間違いなく高齢者のファッションリーダーであろうから、それなら筆者も流行の先端を着ていることになる。
先日、爺婆の原宿と言われている巣鴨を歩いて見たら、何と何と爺婆は殆どいなく、歩いているのは若者のカップルばかりである。筆者は常々、「爺婆の流行の先端は巣鴨に有り」と思い込んでいたから、故郷から知り合いの爺婆が訪ねてきたら、巣鴨に連れて行くのが「最上のおもてなし」と信じていたのであるが、この十年で様変わりしたようである。
また巣鴨から毎年爺婆のファッションが流行し、地方に流れて行くとばかり信じていたが、商店街の店も、殆ど若者向けの店に変わっていたのである。
せっかく来たのに何も買わないで帰るのも芸がないので、帰りに何種類かのコロッケを買って帰ったら、アツアツのコロッケを買ったのだからと、車の中で食べ始めたら、若者風にアレンジしてあるのか、外のサクサク感は良いが、揚げたパン粉がぽろぽろ落ちるし、中のクリームがタラタラ落ちて、服も車も汚れてしまったのである。若者と違って爺婆は感覚も感性も鈍感になっているので、こぼしたことさえ気づかないので、しっかり服の中までしみ込んでしまったのである。
それに最近の特徴は、現地について先ず聞くのが「トイレは何処にありますか?」である。外出での粗相に気を遣うのである。若い時には考えもしなかった苦労がついて回るようになった。
先日は旦那が妻に突き飛ばされただけで、旦那が亡くなったというニュースが流れていた。体力の無くなった爺は、婆に逆らったら、飯の用意もして貰えないし、文句言ったら突き飛ばされて一撃でノックアウトなのである。
マコも目が座るまで酒を飲んだ挙句、ミコとの風呂の中デートばかりしないで、たまにはミコを連れて、巣鴨のとげぬき地蔵尊でもお参りして、しっかり棘を抜いてもらった方がいいかもよ。
▼私は敢えて井の中の蛙として生きてきた部分がある。仕事柄、あまりに多くの人に会うと柵もできて記事も書けなくなるし、攻めることもできなくなるからである。
という建前にしてるが実際には、人の名前を覚えるのが苦手なのである。そのうえ最近は元来の性癖に老人力まで身について、益々人の名前が覚えられないのである。 相手の名前を覚えることが、仕事を成功させる最初の登竜門とよく成功者の自伝には書いてあるが、そういう点では、私は成功者の才能はゼロということになる。
もう二十年以上も前になるが、お笑い芸人として一世を風靡したなべおさみさんが年賀状の中で、「あなたは現在の傾奇者(かぶきもの)ですね」と言うセリフが書いてあって、その意味がよくわからなかった。土方もやってないのに土方のような格好で何処にでも顔を出す派手な衣装を指して、歌舞伎役者のような派手な恰好=「変わり者」という意味で使われてるのかな〜、と解釈していた。
ところが、浪川会の浪川政浩会長と日本史研究家で作家の明石散人氏の対談本「男達(おとこだて)」と言う本の中で、「傾奇者」が「歌舞伎者」と同じ意味で、変わり者や、上位者に反抗する者、時の為政者に反抗する者たちの総称として使われていた言葉であることを知った。
今の歌舞伎役者の先祖たちも、街の中を今の歌舞伎のような出で立ちで歩き回り、為政や上司に反抗してたのだそうで、当時から庶民には受けていたのだそうである。
ただ世の不正・不条理と私自身が感じたものを暴いてきただけであるが、そのような目で見られていたとは有り難いことである。
私が逮捕された時は必ず警察の取調官に「正義の基準は誰が決めるのか」と問われることがあるが、もちろん敬天新聞社内においては私である。当然、正義の基準は人それぞれに違うだろう。社会常識も基準も時代とともに変わるし、為政者によっても大きく変わるだろう。今のウクライナとロシアの正義の言い分など真逆とさえ言えるのではないか。
それにしても悪質な詐欺犯罪が増えた。それも拠点を海外に置いて、指示するというのだから驚く。金がないから「強盗」をやる。躊躇なく強盗殺人までやるのである。それもバイト感覚でやると言うから信じられないのである。
日本は国を守ることの重要さと責任を七十年間放置してきた。そのツケが今表面化しているのだろう。
コロナ問題は地球人として地球人に残しておくべき事実であったのは間違いないだろう。
▼石原慎太郎さんが「自分は好色だった」という本を書いて話題になっている。奥さんに敬意を表して、生きているうちは出版せず、奥さんが亡くなったら出してもいいという約束だったらしい。奥さんに配慮してのことだったのだろう。
それに子供が皆大人になっているし、その辺を理解できる歳になっているから、あまり迷惑にもなるまい。それ以上に長く影の存在で生きてくれた女性たちに対する名誉の意味もあったのだろう。中には「私の存在は書かないで」という人も居たかもしれない。
動物の世界を見ればわかる通り、雄はみな好色である。その証拠に、殆どの種族で交配季節になれば雄が雌を追いかけている。一般の人はそれが目立たないだけ、あるいは人が興味をもたないだけで、普通に何処にでもある光景に過ぎない。中には、体の中に両方の機能を持ってる生物もいるわけだから、人の心や体が様々な人がいてもおかしくはない。
しかしそれを憲法や法律でまで認めようというのは、まだ早計であろう。少なくとも日本では、
一、益々少子化につながる恐れがある。
二、外国から愛好者が集まり、一般生活者との間に軋轢が起こり弊害が生まれる。
三、これを悪用した犯罪集団が蔓延るようになる。
四、またこの地域や集団が聖域とされ、警察介入が難しくなる。
などが考えられるのである。
どこかの国がやることにまで反対はしない。生産力が少ない町や国で、大々的に宣伝すれば、世界中から愛好者、理解者が集まり、全く新しい町や国が出来上がるだろう。中には大富豪もいようから、税金も沢山徴取できるのではないか。
ただ日本の伝統文化には似合わない。今は「理解をすべき」「差別はしてはならない」で十分ではないか。
これで憲法や法律まで改正したら、日本の場合、社会が大きく変わってしまうのは当然である。世界中から移住を求めた同性愛者が押し寄せて来たら、日本はあっという間に空気が変わってしまうだろう。
観光客招聘と移住とは天と地ほどの環境整備も違って来る。観光客を増やすために、新宿二丁目のような街を新たに造るというのであれば、別に問題はなかろうが、何でも感でもLGBТ(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の名を借りて、関連付けて憲法で擁護するというのは、間違いである。これは差別でも、忌み嫌うことでもない。
総理秘書官は公職に有る身でストレートに言いすぎて批判されているが、世の中に一石を投じたという意味では、これも一種の国民の声ではあったのである。