敬天新聞 令和5年10月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和5年10月号 4面)



▼北朝鮮の金正恩総書記がロシアを訪ねてプーチン大統領から大歓迎を受けたニュースが流れていた。4年ぶりの再会だったそうである。

 しかし、4年前と今回では二人の関係に大きな違いが出ていた。4年前は当時の国の実力を示すかのように、正恩総書記が一歩も二歩も下からの対応に見えたが、今回はプーチン大統領の腰の低さが際立った。今のプーチン氏の立場の弱さが、しっかりと見て取れた。

 ロシアは今、自国の一番西側の隣国であるウクライナと戦争をしている。ロシア側からすれば、「自国の問題」ぐらいの軽い感覚で侵略した筈だったが、思いの外抵抗を受け、しかも隣国の全てが、EU側に参加したりして、近隣国の全てを結束させる形になってしまって、益々分が悪くなっているのである。しかも国内での立場も不安定になりつつある。

 核を使う戦術もあるが今核を使ったら、世界中から批判を受けるだけでなく国内からさえ批判を受ける可能性があるだろう。昔と違って、たとえ勝ったとしても、無謀な戦争を起こした場合は世界中から批判が起こる世の中のようである。

 そのプーチン氏が正恩総書記を迎えたのがロシア極東のアムール州にあるボストーチヌイ宇宙基地という所だったらしい。四面楚歌のロシアにしてみれば、体裁など構っていられない、持ってる技術を開放してでも仲間を増やしたいという雰囲気丸出しだった。

 それにしてもロシアは広い。ヨーロッパから極東まで他国の土地を通らずに来れるのである。しかも日本とも隣国である。と言う事を考えれば、やはりウクライナへの侵略戦争は他人事ではない。

 しかもウクライナ侵略においては、近隣国が一致団結して、ウクライナを応援したので、ロシアの思惑が思うように進んでいない。このままではプーチン氏もメンツ丸つぶれになろうから、方針を極東に転換する可能性もあろう。

 その時、北方四島から北海道に侵略してくる可能性は無いのか? その場合、近隣国という国はない。精々が日本に軍事基地を持つアメリカだけが唯一関係国という国になる。そんな時、日本の危機に協力する国が現われるだろうか。

 ウクライナ侵略の場合は、ウクライナがもしロシアに併合されてしまったら、次は隣国になった自国が狙われるという危機意識が芽生えたからこそ、ウクライナ支持を選択したのである。

 しかし極東では、ウクライナ侵略みたいなリスクが起こる可能性のある国はない。極東では隣接する国家は日本しかないのである。強いて極東で隣国と言うなら、中国と、北朝鮮しかないのである。

 北朝鮮は日本人を拉致して未だに返さない人さらい国家であるし、中国はIAEA(国際原子力機関)が認めた処理水を汚染水と呼んで、日本の海産物輸入禁止に踏み切った国である。今から30年前、ОDA(途上国への政府開発援助)名目で、日本から支援金や技術提供を受けて、大きく飛躍したにも拘わらず、ちょっと国が豊かになると、自惚れるのである。

 昔の中国は、偉人も沢山いたし立派だったが、共産社会になってからの中国は学ぶものはない。中国にしても、ロシアにしても、あれだけの広大な土地、人民を支配していくには、強制的な力で支配する以外に方法はないのだろう。

 他国の事情に同情はしても振り回される必要はない。毅然として自国の立場は貫くべきである。いまウクライナという立派な見本がある。あんな大国も恐れず、国を挙げて国民も戦っている。それと忘れていけないのは、戦争というのは、ある日突然、いつでも、どこででも、どんな理由からでも起こりうる現実的なものだと言う事を、しっかり認識すべきだ。




▼世の中は善と悪で構成されている。その中には偽善もあれば、偽悪もあるだろう。勿論中間もあるだろう。

 鼠小僧のように、泥棒稼業であっても、貧しい人の味方をする泥棒も居るかもしれないし、普段社会正義を旨とする所に席を置く、警察官でありながら泥棒を働くような者なら、社会を欺いた分だけ普通の泥棒より罪は重かろう。

 50年前までは色んな分野で、地方と都会の差が分かれていたが、今は全分野に置いて殆ど変わらなくなってきたような気がする。特に犯罪行為について差がなくなってきた。

 恥ずかしい犯罪については、都会の特徴であった。都会では町内会意識が希薄なうえに、自治会制度に参加する人たちが非常に少ない。このような制度に参加する人たちは自宅を持ってるような人たちばかりで、賃貸に住む人たちは、集会には出ない。

 それに比べて地方に住む人たちは、殆どが家は自己所有者の人が多い。地域からの柵に縛られて生きている人が多い。だから少々の不満も飲み込んで生活しているのである。それが犯罪の少ない理由であったが、今やその風習が崩れつつある。

 少子化で親が子供を叱れなくなったため(たとえ間違った言動をしても注意もできなくなった)に、わがままな子供が増え、そのまま大人になっているのである。

 しかも義務教育さえ行かない子供も増えてきた。自由主義社会の限界が見えてきたのである。自由主義国の代表はアメリカである。夢を掴んだ時の金額が大きい。日本で活躍したプロスポーツ選手がアメリカのプロリーグに行って活躍したら、100倍の報酬を貰うのである。

 一方で、犯罪の悪質さ、怖さは、世界で群を抜いている。それに比べて共産社会には三権分立などという考えはない。全ての権限は独裁者一人が持つ。表向き体制は全ての国民が労働者であり、富は平等に分け合うという考えである。

 しかし人々に備わってる能力というのが、それぞれである為に、人々の中で当然不満も起きる。そのような時は、力で押さえつけてしまうのである。刑務所に入れるのも殺してしまうのも、資本主義で言う法的な手続きは一切関係ない。上に立った者の、その時の判断である。不満を言えば殺されるだけの恐怖政治なのである。

 誰もが「丁度いい政治」を望んではいるが、丁度いい政治というのも、人それぞれに考えが違うから中々難しいのである。

 日本の制度の中で何処の国からも絶賛されるのが、国民健康保険制度と言われている。アメリカでは病院代、薬代がとてつもなく高く、病院にも行けないと言う話をよく聞く。日本では、人によっては7割引き、8割引き、9割引きがあり、10割引きさえ有るし、生活そのものが苦しい人には、生活保護費を渡す制度もある。この制度だけは、世界中からびっくりされる。

 野球の大谷翔平選手が、アメリカンドリームを掴んだ代表選手であろうが、その一方で、夢破れた人達の中には、学校にも行けない、その日の食事もできないという人たちもいるのだそうだ。 隣の芝生は青く見えるものだが、日本の政治も決して悪くはない。人の上に立つのが好きな人、平凡に暮らすのが好きな人、人の生き方も様々であるが、せめて上に立つ人は世の中を大きく見渡して、国民全体の幸せを考えてくれるような人に国政の運営をお願いしたいものである。




▼日本人が内弁慶であることは、歴史が証明している。島国の特徴なんだろうか。しかし、同じ島国でもイギリス人は全く何事も臆さず、イエス、ノー、を相手に言う。自国の話だけでなく、他国の話にも堂々と口を出すのである。

 ジャニー喜多川氏の性犯罪論争に結論を出したのもイギリスのBBC放送だった。日本でも取り上げたメディアはあったし、フォーリーブスの北公次氏なんかは著書も出して訴えたが、何処も取り上げなかった。ジャニーズ事務所の方が力が上だったと言う事である。

 世の中は力関係で成り立っているから、不正を告発しても力の無い者は押さえ付けられてしまうのである。それに業界が利害関係で成り立っているために、力の上位の者の不正は見て見ぬ振りをするのである。そして不正を暴こうとした弱い者は業界を去って行かざるを得ない。かくして力のある者の不正は表には出ないのである。

 しかし、それは永遠ではない。強者もいつか弱者になる日が来るからである。ジャニー氏自身は生きてる時は最後まで強者だったのか、その犯罪が暴かれなかった。しかし、因果が子に報いた格好になったのである。もう隠せる状況ではなくなった。イギリスやフランスまで参戦して来たら、国内で隠し通せたことも、全く通用しないだろう。

 小さな子供のいる家庭では、このニュースが出る度にチャンネルを変えてる家庭もあるかもしれない。性教育問題は、日本ではまだまだタブーになってる家庭も多いだろう。

 だが、小学生高学年になれば、これだけテレビで詳しくニュースになれば、しっかり理解できる子も居るだろうし、その子の説明で、次から次に理解する子も増えるだろう。子供だから、間違って解釈する子も居るだろうし、より興味を持つ子も居るだろう。

 またLGBТの子供たちがイジメの対象になることも考えられる。

 このジャニーズニュースの影響か、色んな性犯罪が表に出て来るようになった。中には中学校で女子生徒の裸の写真を撮って、スマホに隠し持っていたというバカ校長も居たらしいが、こう言うのは会員制の仲間が居たりして、お互いに子供の裸を見せ合い自慢する世界らしい。

 大人になってから、自分の意志で、レズやホモの世界に入って行くのは自由な時代になっては来たが、幼稚園児や小学生の何も分からない子供の頃に、性欲をぶつけられ、しかも「誰かに喋ったら殺す」と脅されて、親にも言えなくて、一人で心に閉ざしてきた苦しさは、生涯心の傷として深く残ることだろう。

 やはりこのような卑劣な犯罪行為者には、幾ら後悔しても元には戻れないほどの重罰を与えるしか、現状では方法がないのである。

 ジャニーズ事務所は、先ず会社名を変えるところからスタートしないと、類を見ない性倒錯犯罪者を未だに英雄として扱っている会社として外国から認知され、残ったタレントまで二次災害、三次災害に遭う可能性は十分にあろう。今はまだファンの心も五分五分であろうが、肩身が狭くなれば、人の心は必ず離れていく。世間とはそんなものである。



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