敬天新聞 令和5年11月号 社主の独り言(小辛)

(敬天新聞 令和5年11月号 4面)



▼詐欺師ほど気を見て敏な商売人はいない。彼らに仁義はないから、金になれば右へでも、左にでも行くし、日本でダメなら海外へでも飛んで行くのである。タイでダメならフィリピンにも行くし、中には中国、ロシアを舞台に活動する者もいる。

ま〜、高齢者を騙すのには、話さえ盛ればいいだけのことだから、共産国であろうが、アフリカの果てであろうが、場所は関係ないのだろう。

ところが日本を舞台に働く詐欺師には特徴がある。その時々の有名暴力団の名前を借用するのが特徴である。

何十年か前までは「山健組」が最有力だった。今は断然「弘道会」である。

全く関係がなくてもさも親しいような口調で話し、仕事の話の中にいかにも関係者のように、ポツリ、ポツリと入れて行くのである。その絶妙さに素人はコロリと騙されるのである。

昔は詐欺師と言えば、中年から老年にかけての専門職と決まっていたが、今はしょぼくれた専門職は時流に合わず、全く素人の若者に席巻されてしまっている。しかも素人の時流に乗った高齢者を騙す詐欺師が圧倒的に多く、金額でも群を抜いている。

しかも元手も要らず口先だけで芝居をするだけだから、素人にも簡単にできると言う事で、若者が簡単に入り込んでいくのである。 これは道徳の教えを無くした教育が作り出した犯罪と言っても過言ではない。日教組は道徳の何を嫌ったんだろう?

年配者を敬う、家族を大事にする。先生の指示には従う。人を騙さない。みんな大切で必要な事だと思うけど、何がいけないんだろう。

個人の自由も、個人の考えを尊重することも大切なことではあるが、それと同じくらい社会との協調、協力、公衆道徳の厳守、国への奉仕なども、同じく大事なことだと思うけどね〜。

国が安定し発展しないと、国民の安全・安心というものは担保されないし、世界から低く評価され、それは強いては国民へのマイナスとして感受されることになる。国の経済的豊かさは国民の豊かさにも繋がるのである。

誰が統治しても、人々の心の中に千差万別の考えの違いがあるわけだから、受け取り方にもよるが、みなが平等にはならないのが世の中である。

今そこで何かの不満を持ってる人が居たら、そこで耐え抜き頑張るか、そこを去って知らない街に行って環境を変えることで、新しい芽が出る可能性は十分にあると言う事を提言したい。




▼最近は爺婆の中でも、パパ・ママと呼び合うのが流行っているみたいである。

筆者の知る限り、夫婦仲の良い爺婆は少ないという実感があったけど、こないだ近所の温泉に行った時に、婆さんが女湯から「パパ〜」と呼んでいた。

あまり何度も声を掛けるものだから、誰も男湯に入っていなかったので、筆者が「誰も居ませんよ〜」と声を掛けてあげたら「若い人も居ませんか?〜」と声を掛けて来たので「若い人も居ませんよ〜」と教えてあげた。

しかし、女性の顔を見たわけでないので、実際には婆かどうか分からない。声が婆っぽいだけで歳は若かったかもしれないけど、何故か直感で婆と思い込んだのである。

日本では爺婆が仲いい姿というのは、まず見ない。今の爺婆は、戦前、戦中、戦後直ぐという世代に生まれ、育った人たちだから、姑に虐められて育った嫁が多い。

しかし自分が婆になったら、今度は嫁に気を使わなくてはいけない時代になってしまって、私の青春は何だったんだという考えが強くある。

だから亭主に対して、何で姑に虐められてる時に、私の味方をしてくれなかったんだという考えが脳裏に焼き付いて離れないのである。糞爺に一矢報いるには、爺が弱った今しかないのである。

また昔の爺は「男尊女卑」という考えが根強くあったから、変なところで威張っていた。その恨みを婆は忘れていないのである。そのくせ、今の若い女性の自由奔放さには呆れていて、女性の慎ましさを説く婆は多い。今の女性の自由さに対する嫉妬もあるだろうし、やはり女性は恥ずかしさを忘れてはいけないと言う戒めもあるのである。

先月中国であったアジア大会で、頭に布を巻いて肌の露出の無い服を着て、女子バレーをやってた国があったが、あの格好は、実際には相当なハンデであろう。それでもそれがその国の伝統文化で、それを尊重して生きてる人たちに、外野がとやかく言う事でもない。そういう伝統がず〜と続くもよし、女性の立場から改革されるもよし。それは次の世代、その次の世代の人たちが考えて行けばいいことである。

それにしてもマコは金払いはいいが、酒癖が悪い。楽しく飲んでいたかと思うと突然変身する。あの酔っぱらった姿でミコの家に寄り風呂に入って帰るのだ。

冬場の統計だそうだが、風呂場で死ぬ事故は交通事故で死ぬ人の十倍という統計が発表された。風呂場で寝て溺れ死ぬのだそうだ。

マコの場合酒乱だが溺れ死ぬことはない。狭い風呂桶にミコが前向いて前に、マコが同じ方向を向いて後ろに入るそうで、溺れるほどの隙間はないのだそうだ。世の爺婆も、マコとミコの入浴術を学んで見たら?




▼最近は、芸能界でも完全に上下関係が壊れてきた。それにみんなが自由に語り出した。 一般人が先だったのか、芸能人が先だったのか分からないが、何しろ墓場まで持って行くと言うような話でも直ぐに表に出してしまうし、秘密という言葉が死語になってしまった。

とにかく何でもベストテンというのが流行っていて、良い事も悪いこともベストテンにして掲載することが流行っている。読者側もついつい見てしまうのである。

そして告発も流行っている。それも「そんな事普通言わないだろう?」、「そんな事言ったら、確実に関係が不味くなるだろう」と言うようなことも、平気で喋るのである。それも後輩が先輩に向かって、異議を唱えるのである。

それとも、これも芸能界特有の「やらせ」なのだろうか? 仮に自分たちが食って行く為のやらせであったら、大いに罪がある。何故なら、色んな若者の流行は芸能界から生まれて来るからである。

世の中から年功序列が無くなり、縦列が無くなり、みな横列になってしまったら、統制が取れなくなり、「この乱れを世の中から無くそう」という風潮が生まれ、軍隊の一揆が起こるだろう。

国軍は必要である。ある程度、強制的義務も仕方がないが、軍隊に政治をやらせたら、武器を自由に持てる立場だから、危険率は高い。

だいたいクーデターというのは軍隊が起こすし、戒厳令を敷いて、国民の自由を奪ってしまう所から始まる。武器を持ってるから、制圧がしやすいのである。

しかし、いざ政権は執ったものの、政治や行政はやったことがないので、運営の仕方が分からない。分からなければ戒厳令を敷いて、国民の言動を統制するしかないのである。

やはり国は三権分立で成り立ち、その下に軍隊があるべき姿が理想であろう。

そういう意味からいうと、ウクライナは立派である。戦争中であるにも拘わらず、主導権は大統領が持ち、国民と軍隊が一つになって戦っている。一度は国外脱出した国民も、国の一大事を肌で感じ、帰国して銃を持って立ち上がる人も多い。

ヨーロッパの国々の歴史は、時代によって、侵略、併合、独立が繰り返されて来たから、自国に対する危機意識が強い。

敗戦はすなわち国を奪われ、その日のうちに放浪者にされてしまうのである。その怖さ、つらさを遺伝子的に知っている。

日本人にはそこまでの危機感はない。島国故の有難さである。

人の争いの根本的な物って何だろう。スポーツもルールがあるから成り立ってるが、応援団の熱気を見ていると争いの元凶が詰まって居るようにも見えるし、やはり行司のような役目を果たす大国の存在が必要なのかも。

月へ旅行に行く時代がもうそこまで来てるのに、やはり人の争いは永遠に終わらないのかな〜。



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