敬天新聞 令和5年12月号 社主の独り言(渋辛)

(敬天新聞 令和5年12月号 4面)



▼どんなに優秀な哲学者であっても、老人力の身に着いた人には勝てない。やはりいずれは「あの人は誰?」の世界になる。そしてもっと老人力が身に着けば、「私は誰?」という世界になるのだ。

その後は、希望者限定ではあるらしいが、生きてる時は行けなかった「霊界」にも行けたりもするらしい。丹波哲郎さんが力説していた。筆者はまだ行ったことがないので、その世界を文章では表現できない。

霊界に一番近い場所と言われているのが、青森県の北東に位置する「恐山」と言われている。筆者はまだ一度も行ったことはない。

いずれは誰もが必ずお世話になる場所であるなら、今度こそ迷わず生きて行けるように、見学にだけは一度行っておこうと思っている。

若い時は未来が見えないし、高齢者になると経験は豊富であっても経験した過去さえ忘れてしまう。

老人力の身に着いた高齢者の気持ちは、なかなか理解して貰えない。また逆に老人は経験した分、子供の気持ちは分かるが、もうすっかり忘れてしまっている。

コロナが5類に変わった為に、最近は急にパーティー等が増えた。そしていつの間にか長老席に座るようになったのである。

若い時は長老席には偉い人が座るものと思っていたし、どんな話をしているんだろう、と思いながら見てたものだが、実際に座ってみると、思っていたほど重い話は少なく、話の内容は昔話ばかりで、前向きな話は一つもない。

前向きな話をしても、そこまで生きてるかどうかが分からないから、そんな目標を持って生きるより、今の現実の方が優先するのである。

携帯がないとか、鍵がないとか、誰かが騒ぎ出すと、「俺もこないだ携帯をなくして」とか、忘れ物自慢大会が始まったり、この病気には、この薬が良く効くという話で盛り上がるのである。

そこら辺の老人力の身に着いた人たちと全く変わらないのである。

人は義務教育と家庭教育の過程で、人それぞれに人生の選び方が違って来る。そしてその世界で成功する人しない人と別れて行く。だが老いは確実にみな平等にやって来る。傍から見れば金持ちになった人が世の中的には成功者に見えるかもしれないが、本人的には分からない。

身近にいた誰かに「ありがとう」と言われたら、その瞬間に「ああ、いい人生だった」と思えれば、それが一番の満足かもしれないのである。




▼男は男性機能が弱くなると、男として自信がなくなり、何でも消極的になるが、女性は生理が終わっても全く変わらない。寧ろ新しい世界に入って、逞しさが増す者さえいるぐらいである。恐らくこの差が平均寿命の差であろう。

腕力で男が優るから男の方が有能に見られがちだが、人生を生き抜くと言う意味では、女の方が遥かに優れているのは、神様も認めている。

男が瞬間的な種まきに対して、受精した女性は自身のお腹の中で、10カ月も掛けて自身の分身を育てるのだ。子供に対する愛情度が違うと言うのは当然である。

ところが、中には母親でありながら、男との遊びに夢中になってわが子を放置するバカ母親もいる。

人生においては、何が正しいのか、何処までが本能なのか、分からない時がある。子供から見たら学校の先生は正しいことを教えてくれる人の筈なのに、中には泥棒したり、強姦したりする先生が居るのも事実である。

一番信頼すべき対象の学校の先生の中に、子供を対象にした性犯罪者がいるのだから、たまったものじゃない。昔はそんな先生は居なかったような気がするけど、今のようにSNSが発達してなかったから、分からなかっただけなんだろうか?

小学生でも高学年になると、生理や夢精が始まったりはする者もいるが、まだ児童であり成長はしきってないわけだから、やはり性犯罪として厳しく取り締まるべきであろう。

子供たち同士の楽しい思い出になってるなら、それはそれで構わないが、生涯の苦痛になってる人も意外と多いと言う。性を対象とした問題は、まだまだ日本では難しいテーマである。

中には親から被害を受けたという子供たちも意外と多いようである。どういう気持ちになれば、自分の子にそういうことをする気が起きるのか理解できないが、現実にそんな悪魔のような親がいるのも事実らしい。

 

また母親も知ってて見て見ぬ振りをする者も居ると言うから信じられない。これではインドやイスラム世界の人種差別や階級差別の酷い国と同じではないか(怒)。

昔と違って今は相談できる場所が増えたし、また色んな出来事を理解してくれる人たちも増えた。

一方で、迷惑系ユーチューバーとか、炎上系ユーチューバーという、訳の分からない連中もいる。

中には夫婦で顔を出して世間に迷惑を掛けたり、恥を晒したりしている者もいる。それが金になると言う。金になれば何でもありという世の中に変わりつつあるのである。

また外国人のユーチューバーも入ってきている。こいつらがまた桁外れの迷惑行為を平気でするのである。こういう奴らを入国させない法律を一日も早く作るべきである。

自由主義、資本主義社会の矛盾であり、限界なのであろう。




▼人と言うのは、世話したことと世話されたことでは圧倒的に、世話したことの方が忘れないようである。普段は忘れているのであるが、何かの拍子に思い出すのであろう。

同窓会やクラス会などで会えば、皆が家族自慢や出世自慢をするのだそうである。だから最初は懐かしさもあって、結構集まるのだそうだが、回数を重ねる度に参加者は減って行くのだそうである。

何となくわかる。誰でも人に自分の人生の成功話をしたいのは分かるが、聞かされる方は「また始まった」と思っていて、その場から逃げたいのだそうである。そんな話をよく聴く。

私が余り人と会わない、話さないと言うのは、そういうのもあるのかもしれない。中には気兼ねなく話せる友人という人がいる。そういう人と話してると、まず自慢話をしない。下世話な世間話が殆どである。

しかし自分の知り合いに、圧倒的に伸びた人、成功した人、有名人などが居れば、その話ばかりする人がいる。確かに知り合いにそういう人が居れば自慢したい気持ちは分かる。

ところが話してるうちに自分の応援があってこそ、今の彼があると言う風に変わってきたりする。本当にそういう時代はあったのかもしれないが、秘す方が重みはある。

中には会うたびに毎回同じ話をする人もいるのだ。そこの貴方、アナタのことですよ。その話が話題にされてる相手に伝われば、毎回話題に使われてる相手も嫌な思いをするだろう。有名人になれば使われる確率は高い。ま〜、それも有名税だけどね。

芸能人のヒストリー番組を見ていると、運も縁も才能も、そして本人の努力も、そのどれが欠けても、そこまで到達できなかったことがよくわかる。

良い事も悪いことも含めて、色んな出来事が一つ欠けても今のその人はあり得なかった訳である。

一年の締めくくりになると、どうしても話が感傷的になる。今年こそはと誓った元旦から始まって、途中はだらけて、暮れは反省の繰り返しである。

そんな年の瀬を過ごす人が大半であろう。そして叶わない願いを掛けて、また新しい一年が始まるのである。

今年も一年間、わがままな社主の独り言にお付き合いいただきまして有難うございました。



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