東洋大学牛久高校野球部対外試合禁止の真相

2008/12/02

誰も語らない。「牛久高校対外試合禁止」理由は「部内暴力」じゃなく「残忍なイジメ」だった

 くしくも昨日の朝、東武東上線の電車内で、東洋大学陸上部の男子生徒K君が、朝の8時から女子高生のアソコを触って成増駅で引きずり出されて痴漢・強制ワイセツの現行犯でパクられたそうだ。この小林君は東洋大学陸上部で、新春の箱根駅伝にて補欠ながらもメンバー入りしていた期待の星だそうで、本日本紙が報じる「牛久高校野球部の事件」とは無関係。痴漢事件については東洋大学では事実確認をしてる最中という。東洋大学の箱根駅伝での活躍はハラハラさせてくれてすごく面白いのに、この痴漢事件1つでまさか箱根駅伝出場停止などにならなければいいが。(皮肉なもんで先月11月21日には東洋大学白山キャンパスで痴漢冤罪事件に関しての研究発表がなされたそうだ。ちなみに小林君はあっさり痴漢の犯行を認めている。痴漢なんてオッサンのやる事だと思っていたが20歳でもやるやつはやるのか・・・・・・)


 本題に入る。「東洋大学牛久高校関係者」さんより、悲しいお知らせが寄せられた。

 私立東洋大学附属牛久高校野球部が1月末まで3ヶ月間の「対外試合禁止」になっているというのだ。それも公式発表では「野球部内暴力」とだけしか公表されなかったらしいが、真実は「壮絶なイジメ」と窃盗だというのだ。血気盛んな高校生だから、近所の高校と乱闘騒ぎになって…とか、公表された「部内暴力」からイメージすれば部員同士のケンカが行き過ぎて大怪我して…という、カラッとした話だったらよかったのだが。

 東洋大牛久高校の3ヶ月間の対外試合禁止原因は、そういうスポーツマンらしいものではなく陰惨なイジメだったそう。
 牛久校野球部の中で、およそスポーツマンシップとは程遠い、陰惨で執拗なイジメが蔓延していたそうだ。そして、保護者の方は何度も何度も梅澤浩校長や名誉校長に相談に行ったそうなのだが、梅澤浩校長も広瀬和喜名誉校長も全然とりあってくれず、握り潰されてきたようなものだそうだ。

 東洋大牛久高校のイジメは余りにも残忍だったそうで、それを怒った高野連が十月十七日から三ヶ月間(イジメ+窃盗+喫煙)、対外試合禁止にしたそうなのだ。高野連としては東洋大牛久高校の、このイジメへの対応、指導体制に呆れ果てたそうである。報告を受けた高野連の人間がマジに激怒するほど残忍なイジメだったそうだ。それを保護者が何度も相談・直訴・哀願したのを無視し、(もし保護者が根負けして諦めてしまえば)無かった事として隠蔽しかけた梅澤浩校長も広瀬和喜名誉校長も、この先、どう責任を取る心算であるのだろう。
 先日、せっかく東洋大学硬式野球部が四冠を達成し日本一になったのに、大学硬式野球部の華々しい話題の陰に、こんな悪質なイジメ事件の隠蔽が図られようとしていたとは。

 ところで「東洋大学牛久高校『名誉』校長」って、何が名誉なのだか、何を持って名誉を授けたのだか知らないが、この名誉校長・広瀬和喜氏には東洋大学グループにおける別の顔もある。

 本紙東洋大学情報を読まれてきた方ならご存知だと思うが、広瀬和喜氏は牛久高校においては「広瀬和喜名誉校長」として活動しているが、「東洋大学校友会」に於いては「東洋大学校友会茨城県支部長」を務めている。そして「田淵常務理事派閥」の茨城県での校友会選挙活動の中心人物だ。本紙においても田淵常務理事と塩川正十郎総長の全国校友会への遊説においての茨城県での一幕に登場する。茨城県内の東洋大学校友会員〜OBの代議員選挙の投票者掌握のため、日々活動している。

 また、東洋大学付属牛久高校野球部の監督は大野久氏と言って、1977年と1978年に取手二高で甲子園出場。「東洋大学野球部」から日産自動車を経て、1984年のドラフトで阪神タイガースから5位で指名され、福岡ダイエーホークスに移ってからは「盗塁王」と呼ばれ、中日を最後にプロ野球を引退された方だ。実はこの大野久監督は、東洋大牛久高校に広瀬名誉会長と田淵常務理事が連れてきた、田淵常務理事の子飼いなのだそうだ。立場的には「大野野球部監督<広瀬名誉校長<田淵常務理事」という位置付けらしい。それでこの大野久監督、今、この東洋大牛久高校野球部のイジメ事件の責任を取って、一応、謹慎中なのだそう。

 野球部員達のイジメ事件の責任で謹慎というと慎ましいものを感じる。よく知らないがこの大野監督ゴルフが大変好きなのだそうだ。今回の東洋大牛久高校対外試合禁止事件、監督としての管理責任のなさを痛感しているはずだ、普通に考えて。それが、謹慎中なのに、まさかゴルフ三昧なんて事はないと思うが・・・・・・。

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