▼今年は親爺の初盆だったので10日程田舎でのんびりした。長崎では盆から逆上って1年以内に亡くなった人がいる家庭では精霊流しを行う。その土地土地で船の形や大きさが違うが、私の田舎では藁で舟を作るのが主流である。

 最近ではベニヤ板と竹だけの簡素な物も多い。30年前頃までは精霊船を担いで港まで行き、そこから本物の船に乗せ換えて程良い沖合いで精霊船を海に浮かべて帰って来るのである。途中港を出た船の上から威勢よく花火を打上げながら30分程海上を走り回る。いずれ提燈に燈された精霊船は霊を極楽浄土に送った後、静かに海の底へ沈んで行く。次の日、砂浜には仏様からの贈り物の御供物が打ち上げられ、貧しい人達はそれを拾って食べていたのだ。

 しかし時代は変って飽食の時代となり、仏様からの頂き物も、只の生ゴミでしかなく、また海面一面に藁が散って環境汚染の面からも不衛生ということから最近では精霊流しの形態が変わってきた。精霊船を担いで浜まで行くのは昔と一緒だが、浜に着いたらそこで各自の責任において燃やすのだ。次の日燃やした現場に残る提燈のハリガネや燃えカスは各自が清掃する。こういう事情もあり、年々舟は小さくなり簡素化されている。

 もっとビックリしたのは初盆の家と近所の人で作るのが精霊船作りの習わしだったのに、仏壇屋さんに頼む人が出てきたことだ。隣り組関係の崩壊、人手がいない、担ぎ手も少なくなっている。いずれ風習そのものがなくなってしまうのだろうか。
 そういえば8月13日の入盆の時、子供用提燈をぶら下げて『じっじんも来んない、ばっばんも来んない(おじいさんも来て下さい、おばあさんも来て下さい)』と唄いながら亡くなった先祖を極楽浄土へ迎えに行く風習があったけど、もうやっている人は誰もいなかった。
 さて我が家の精霊流しですが前ページの写真に集大成されてるように兄弟、友人、知人の御支援で無事、十三仏が住んでいらっしゃる西方の彼方にある極楽浄土に親爺を送り出すことができた。

 精霊船製作にあたっては総合プロデュースが中村塗装の社長、元ちゃん。行ったり来たりばっかりして舟には全然触らなかった、との声もあったが、とにかく総合プロデュースは元ちゃん。
 製作者は有馬運送社長の永野貞光ちゃん。長崎市内流は先端がむずかしいらしく、本多仏壇店が『来年の参考に』と写真を撮りに来た程。責任感と几帳面さは重要文化財級らしい。子供の時と大分イメージが違った。
 続いて資金担当と2次会担当は有馬土木石川雅工専務。唄は相変わらずへただが義理人情を知っているから上からも下からも信望が厚い。その分奥さんは苦労が多いことだろう。
衣装、留守番担当のえちごや裕ちゃん照美さん御夫婦。日常の管理を隣りの近藤さんと共にお願いしている。本当に有難いことである。
 2次会担当でもう1人、永野国夫君。有馬運送の専務である。彼の推薦は西有馬のアムール。30年も続いているというから立派。ここのママは人生の機微を知っているのだろう。娘もなかなかいい。昼間ピアノの先生で夜は母の手伝いをし、あの若さでチャンチキおけさを踊るのだから将来有望である。
 石川君推薦のセカンドハウス。最近は元ちゃんの隠れたコースになってるらしい。ついこないだひろちゃんと恋のさや当てゲームで下痢対高血圧で痛み分けの苦戦をしたばかりなのに。今度もまた同じ結果か。
 タコ取り担当は川口屋マーテンちゃん。白洲に行ってタコ壺をぜーんぶ見学したけど、1匹しかいなかった。前日は数匹も見学できたのに。ここのチャンポンは究極のチャンポンとしてテレビにも紹介された程だから真にうまい。
 最後に、後援は松尾組松尾康之社長でした。大村からわざわざ恩師の池田先生御夫妻もお見えになりました。その他多くの皆様の御陰様を持ちまして精霊流しを無事に終えることができました。関係者の皆様誠に有難うございました。紙上をお借り致しまして御礼申し上げます。
 お世話になった店、真砂9回、川口屋5回、アムール3回、焼肉さかい2回、城1回、大根地1回、セカンドハウス1回、ダービー1回、ふれあい1回、ハーモニー1回。

▼南有馬町議会議員一同という文章が送られてきた。確かに成る程と思える節もあるが、正直「何を今更」という感想。このチラシを見ると「町長から『八町での法定協議会の設置議案』が出されましたが、議会で否決されました。決して町長のせいではありません」と言ってるように見えます。

厳しい立場の松屋町長

 このチラシは選挙を前にして、風が八町合併に吹いているのに気づいてあわてて口実的に発表したような言い訳だと町民は気づくだろう。しかし、このような説明を町民は事前に望んでいたのだ。どちらを選ぶにしても町民不在の決定をすべき問題ではない。
 おもしろいのは、議会の主張というより町民が不満に思っていることに対する「必ずしも決定ではない」という言い訳。選挙に対する対策上の玉虫色変更なら潔くない。それなら堂々と信念をもって2町合併を主張すべきだ。その方が余程共感を呼ぶだろう。こうしてみると議会の連中が逆に町長の足を引っぱってるように見える。

 考えて見ると、9月14日にあるのは町長選挙であって、町議選挙ではない。なのに町議有志一同として自分達の意見を翻すような広告を出したり、といかにも町長と町議が一体という感じがする。有志一同と書いてるぐらいだから全員ではなく、おそらく取り巻きの策の一環だろう。町内自治会長会で「町民の意向を知るため『住民投票』をして欲しい」という意見を無視してきた町長が今、自分の住民投票を受ける立場になった。で終っていたのに原稿〆切り直前、松尾町長から「町村合併に対する住民投票」を実施することを決定した旨の通知が届いたらしい。これだけでも井上氏が立候補した価値はある。余程町長側も焦っているのだろう。しかし、これも現町長だからできる戦術である。長崎新聞や島原新聞の記事では、国や県の流れは井上氏が訴える八町合併へ加速しているように見えるが、町民の答えは如何に。

▼日大OBにはスターが多い。特にスポーツ分野では“超”スターが目白押しである。
 ゴルフ、相撲、水泳、体操、陸上、空手、柔道等どの分野にもその時々を圧倒したチャンピオンがいるのである。必然優秀な人は学内に残り指導者となって後輩を育てる。そこからまたスターが生れる。

 静岡県清水市清水署という警察署があって、6、7年前だったろうか、清水市内にある企業と行政とのゆ着問題を1週間程街宣に出掛けたことがあった。
 その時の警備担当責任者が、長島秀文という警部補だった。SPもやっていた(小林顧問の話)というから相当優秀な人だったんだろう。実はこの人が日大空手部の出身で田辺先生の教え子だった。私も田辺先生をよく知る関係で話が弾んだものだが、それっきりだった。
 2、3年前再度静岡へ街宣に行く機会があって再会したのだが、その時は「鉄道警察隊」の名刺を出された。「私もここで終りですよ」と言っておられたが、この人は犯罪治安を守る警察官としての尊厳と人間味とを兼ね備えた人である。日大運動部出身であることを誇りとして頑張っている1人である。
 やっぱり日大は体育局が大学の顔である。

当社西伊豆支部長の植村武司が、静岡県警に逮捕された。容疑は土肥市役所で職員を「恫喝した」、「新聞を投げつけた」、「胸ぐらを掴んだ」、「突き飛ばした」というもので、中には1週間の診断書も出ているというから実際そういう行為もあったんだろう。
 本人は納得がいかないのか、留置場内で12日間も断食して11kgも痩せたそうだが、いいことだ。納得行かないことに妥協する必要は無い。信念は通せ。で、結局これらの行為で6件の起訴になったらしい。中には諸注意で済みそうな件もあるし、通常ならせいぜい罰金という件である。それをわざわざ6件の起訴にするということは植村の日頃の行状に対する「お灸」という事だろう。こんなことで起訴されるということは植村にまだ人徳が足りない、ということである。

植村武司、頑張れ

 この件で当社にも家宅捜索が入った。私は法事で地方へ出ていていなかったが静岡・埼玉両県警合同で20数名の警察官と大型バス7台という物々しいガサ入れだったらしい。当番がガサ入れに協力しないということで私の所に所轄から電話があり、私が事務所に電話を入れ高倉というリーダーの刑事と話し合いをして事務所と彼が寝泊りしている部屋の捜索を了解した。高倉刑事は敷地内にある私の住居も捜索させてくれ、という。

 私は、「私がその場にいればとも角、私はあいにくその場にいない。しかも私の容疑ならわかるが、植村個人の事件で土肥で行った単純な暴力行為事件、そこまでの必要はないでしょう。カギが開いてる所はOKですよ」と言ったら高倉刑事も了解してくれた。

 逮捕以来、植村にはあっていないので本人の心境はわからないが、未だに保釈が認められないのは「否認」してるからだろう。自分の信念を最後まで貫け。男であれば長い人生の中で、一度や二度、躓く事もある。

 通常なら執行猶予だろうが、判決は裁判官が下す。姑息な手段で執行猶予など貰うな。正々堂々と戦え。それで破れたならそれもよい。一審判決に従え。控訴などするな。男には潔さも必要だ。人生は大局的に見つめろ。1年や2年お前がいなかったからといって世の中が変わる訳じゃない。人生の修業と思えばいい。そして一回り大きくなって帰ってくればいい。みんなが待ってる。

 
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