▼アメリカという国は2%のユダヤ人が動かしているのだそうだ。イラクもフセイン時代、少数民族スンニ派がシーア派やクルド人を押さえていた。

 常識で考えれば(民主主義の多数決で考えれば)、多数派民族が絶対的に有利に見える。アメリカの場合は大金持ちが殆んどユダヤ人だと言われるし、イラク人の場合は力でねじ伏せていたのだろう。北朝鮮のように一族だけで国を支配しているような所もある。人種が優先したり、宗教が優先したり、突出した家族が優先したりと、国の体系は様々である。

 中国や韓国が年に何回か思い出したように日本批判を行うが、あれは必ずしも全ての国民の声ではないのである。時の政府が政治政策上利用しているだけで、政府と国民が常に一体とは限らないのである。

 普段は自分の意見もまともに言えない、真面目で大人しい国民である筈の日本人がひとたび戦い挑めば、世界最強海軍であったバルチック艦隊を打ち破る程の底力を発揮する。日清、日露は連戦連勝、大東亜戦争も負けたとは言え、世界大連合を相手に一歩も引かず4年半も善戦した。

  イラク・フセイン軍が1ヶ月で逃亡したのとは大違いである。いくら日本はもう戦争はしないよ、と言っても、これじゃ未だに日本を恐れるのも判るわなァ。

 また、敗戦からの復興が凄い。天皇陛下の「玉音放送」の下、国民が一丸となって一糸乱れぬ態勢で寝食を忘れて働き、その結果世界に例を見ない程の急成長を果たしたのである。日本国民の実直、勤勉、優秀さの表れでもある。どんな言葉で褒め尽くしても、褒め足りない程の素晴らしさである。

 それだけではない。貧しい国や発展途上国には、世界で何処よりも思いやりや真心を忘れない。驕り高ぶるところが1つもないのである(金を出せば「金だけしかやらない」、人を出せば「憲法違反だ」という、バカの壁は一切無視)。これじゃ、やきもちを焼く国が出て来ても仕方ないわなァ。

 これから夏祭りシーズンを迎えるが、この「祭り」こそ外国人から見たら、一度燃えたら後には引かない「熱血漢」の国民に映るらしい。

 勇猛果敢、忠義礼節、惻隠の情。ああ何と日本という国は素晴らしいのか。

 
慰霊施設の中心は、靖国神社だ
▼先日「軍歌を歌う会」に誘われて出席したのだが、『同期の桜』を唄い出したら、なぜか涙が溢れて止まらなかった。勿論戦争を経験したような年配者の方達が多かったのだが、皆真剣に涙を流しながら唄っていた。

 単に勇ましいだけ、単に暗いだけではなく、軍歌には心を打つ何かがあるのだろう。現に私は戦争を経験している訳ではないが、涙で歌が唄えなくなった。

 昨今、靖国神社に代わる国立無宗教の追悼施設を造ろうという、馬鹿げた発想を提案している政治家がいる。これが、日本国民の自然な、そして多くの声ならそれも良かろう。しかし動機が腐っている。中国や韓国の内政干渉甚だしい圧力に屈する形での、歪んだ発想である。

 今日、日本がこれまでの復興、発展を遂げたのは、祖国の為に青春の生命を捧げた多くの英霊達のお陰である。『同期の桜』の一節に、「離れ離れに散ろうとも/花の都の靖国神社/春の梢に咲いて会おう」とある。戦友達にとって、靖国神社は特別な思い入れがある聖地なのだ。そんな聖地を不純な動機で勝手に動かしたら、間違いなくバチが当たる。靖国神社に御霊を祀って貰うことこそ、祖国の為に殉じた証であり、一切の見返りを期待せず、祖国の為に身を賭して戦った英霊達の誇りだったのだ。

 私達は靖国神社で常に英霊と再会し、その御霊に心から感謝し、お慰めしなければならない。この歌を聴いて、日本の英霊に捧ぐ鎮魂は何があっても靖国神社でなければならないと、強く思った次第である。

 

▼私は小さい頃、ヤクザより酔っ払いのオジサンが恐かった。もっと恐かったのは、凶暴な知能障害者だった。その人の家の前を通る時、家の前にその人がいるとわざわざ遠回りしたものである。子供心に様子を窺いながら通るのであるが、通学時間を知っているのか必ずいる。そして小さな子供を見つけると「ウォー」と言いながら追いかけて来るのである。事件にならないから野放しだったのだろうが、読者諸氏も経験のあることだと思う。

 ヤクザを暴力団と呼ぶようになって久しいが、ヤクザも飯が食えるうちは暴れたりしない。飯が食えなくなったら騒ぐのは、一般人も外国人も同じである。動物だって同じである。

 ヤクザが創ったシノギをぜ〜んぶ取り上げたら、ヤクザは壊滅する。少しは残してあげた方がいい。ヤクザが全くいなくなったら不良外国人の犯罪が増える。これらを完全に国が取り締まれるならいいが、貧しい国、強い国、無法の国、と色々あるから完全取締りは難しい。それを非合法ではあるが、「我々にアイサツがないと、ここで店をださせない」と身体を張って押さえてくれるから、不良外国人の闊歩を許さないのである。

 神様だって考え方が違うし、喧嘩もする。それよりも遥かにレベルの低い人間が、法で全てを取り締まれるだろうか。権力者は自分に都合の良い法律を作る。そして、それを弱者に押し付ける。汚い物は避けて通る。しかし、食をすれば糞を出す。

 臭い物には蓋をしがちだが、現実から逃避は出来ない。それが政治だ。どんな世界にもゴミは出る。家庭にも公共の場にも。それを知恵やアイデアで再利用や減らすことは出来ても、全く無くなることはない。

 犯罪者に対して罰則を重くするのはいい。抑止力になる。ヤクザだから取り締まる、ではなくて犯罪を行った者は誰でも厳しく取り締まることが必要で、例えそれが政治家であろうが、宗教法人であろうが、外国人であろうが、取締りに差別があってはならない。

 
“嫌味”が冴えた頃の福田前官房長官
厭味も存在感もない細田新長官
▼議員の年金未払い問題で福田官房長官までが辞任した。記者の質問に「プライベートそのものですよ」と言っていたあの態度に、矛盾しているなァーと思っていたら、成る程。

 あの毒気のない飄々とした感じが国民に受けて、折角歴代第1位の長官在任記録を更新中だったのに残念だったろう。本当は毒気もあり、皮肉も言う人だったが、育ちの良さが品の無さを上回っていたのだ。何せ品性の無い議員が多いからなァー。

 叩けば埃が出る、という言葉は我々の専売特許かなと思っていたが、そうでもないんだね。やっぱり、全国会議員を調べた方が面白い。結構、公明党や共産党からも思わぬ人が出てくるんじゃないの?

 日本の場合、本人達の必死さと相反して、閣僚が入れ替わろうが辞めようが、国民の生活に余り影響を与えないのが特徴だからね。精々風刺漫画で笑いをとってチョン。

 今度の細田さんという人はテレビで初めてみたが、こういう時の後だけに恐らく清貧で真面目な人だろうが、存在感が無いねー。貫禄も無い。

 しかし日本人は文句を言いながら、こういう人が好きなんだ。足取りがおぼつかない。頼りげがない。ついつい支えてあげたくなるのだ。純粋少年小泉君の人気はまた伸びるだろう。

 
一躍時の人となった山岡氏
▼先日、山岡俊介君「銀バエ実録武富士盗聴事件」の出版記念パーティに出席した。70〜80人のささやかなパーティであったが、ブラックジャーナリストが千人、二千人集まるパーティに比べて、参加者は真面目そうな人が多かった。本人を始め、「反権力」志向を宣言している人が多かった。一人一人は一見、ひ弱に見えるが、その実、権力に対しては意志が強固な人達なのである。

 中川資料が転がり込んでいなければ、警察に捕まっていた可能性も大いにあった。現に1年前の記者会見に私も出席したが、知り合いの多くの記者達が、山岡君の言い分を聞きに来たのではなく、逮捕されたときに流す場面用の「絵」を撮りに来た、と言っていた。当時はそのくらい危ない立場にいたのだ。

 武富士盗聴事件の盗聴実行者と、私が過去に逮捕された事件に関連した盗聴者が図らずも同一人物で、私も知らない当時の「事件の真相」が見えてきたのは面白い。

 今「政経外科医」で人気絶頂の佐高信氏も出席されていたが、時に反権力、時に従権力、是々非々の立場の私が、この場でたった一人武富士から金を貰った側を代表して挨拶したら、何故か受けていた。

 今回、武井保雄被告が山岡君を騙して示談書を取ったということで、その時の録音テープを東京地裁に提出して「保釈取り消し」を申請したそうだが、「自分は冤罪で全部検事が創った作文」とまで喋っている。

 今まであれほど人を信用しなかった武井被告が一世一代の芝居を打ち、示談書を取って「してやったり」とほくそ笑んでいたら、相手が一枚上手で、盗聴には盗聴でと返り討ちに合うのも、因果応報だなァー。またまた苦しい立場に追い込まれた。次は何するつもりなの?武井クン。

 
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