▼8月8日(日)父の3回忌、母の7回忌が重なったので久しぶりに田舎で法要を行った。両親が亡くなって跡を取った者が家族の中にいない為、生家は空き家で普段は隣の近藤さんやえちごやさんを中心に近所の人達が面倒を見てくれている。

 私が今回の法要でどうしても呼びたかった人が2人いた。1人は久間章生総務会長である。長い間私が若気の至りで糾弾していた人である。何人かの志ある人達から仲裁の話を頂いたが丁重にお断りし、今日まで時機を逃してきた。私の母が生前、地元で婦人会長をやっており、久間先生の応援団であった。その倅が先生に非礼を続けるというのは立場として心苦しかったに違いない。しかし亡くなるまで、私にそのことで一言も苦情を言わなかった。その時から、機が熟していつか会う時があったら霊前で握手しようと私は心に決めていたのである。

 あるパーティーがあってそこに秘書の宮崎君が来ていた。仕事柄色んなところで会う事はあったが挨拶をするだけで縁はなかった。この時は日米友好協会会長の田村優緋女史が私に紹介してくれた。私がこの時、両親の年忌法要の話をしたら「なるべく早く連絡下さい」とのことだったが、あまり計画性のない私が宮崎君に連絡を入れたのは7月に入ってからだった。それでも約束通り、先生は最後まで席を暖め霊前に花を添えて下さったのである。

 直接触れ合って見て、あの飾らない朴訥とした島原訛りの言葉の中に久間先生の人間性が凝縮されていることを知った。この場を借りて長い間の非礼をお詫び申し上げたい。

 もう1人の呼びたかった人はポール牧氏である。この方は一般的には芸人というイメージが強いが、僧侶の経験もあり、また辛苦からこの世を去ろうという経験もある“人生の四季”を知ってる人なのである。ポール氏自作の詩を下段に掲載したが、霊前で朗読された時、胸が熱くなった。人の世の茲悲(やさしさ)を知ってる人だ。

 ポール氏を紹介してくれたのは20年来の友人である平浩二さんだった。浩ちゃん有難う。ふる里の皆様有難うございました。

合掌
 
 
 
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