▼去る6月19日、「ポール牧師匠を偲ぶ会」が京王プラザホテルで行われた。師匠にあたる、はかま満男氏と友人の鈴木やすし、ガッツ石松、小野やすし氏等が中心となって催された。

 亡くなってまだ日も浅く湿っぽい法要かな?と思っていたら、はかま氏の悲しい話は自分だけで終わり、楽しくパーッとやりましょう、の言葉どおり、ポール氏を偲ぶ爆笑パーティーとなった。早かれ遅かれいずれ人は死を迎える。人だけではない、生あるものは必ず滅するのだ。悲しむ愛の形もあれば笑う愛の形があってもよい。

 そういえば芸能村上塾の校長をされていた小林勝彦氏のお通夜の席に、落語家の立川談志氏が毒蝮三太夫氏を伴って出席されていたが、一通り法要が済んでお清めの酒を30分も飲んだ頃、突然、遺体の置いてある祭壇の前に正座して、小林氏に時折問いかけながら落語を始められた。身内、関係者を始め残っていた人達は熱心に聞き入り、終ったら拍手喝采だった。

 一般の人はこのようにはいかないだろうが、人にはその人その人の感性やら技術やら芸やら器量やらというものがあり色んな形の慰め方の表現がある。喜劇役者だったポール師匠をあの世に送るにはこの送り方が最もふさわしいだろう、ということで、はかま氏が熟慮した末の偲ぶ会だったのだろう。素晴らしい会だった。

 私は前列の右端のテーブルに座っていたのだが、ハエが1匹飛んできた。始めは、気にもとめずに追い払っていたのだが、直ぐ誰かが「ポールさんじゃないのか」と声を掛けた。確かに家でも最近は滅多にハエを見なくなったし況してやホテルの中にハエなんか、と思った。

 そう思った方がこの場合は雰囲気に合った。だから誰もハエを追わずに好きな物を食べさせてあげた。ハエはとても喜んでいたようだった。

 ガッツ石松氏が挨拶にきたので御礼を言った。

 2次会で鈴木やすし氏と飲んだのだが、2人だけの秘密の賭けをした。今度会った時、私が1,000円貰うことになった。

 
▼最近の子供はデキが悪くなった、と考えているのは私一人じゃあるまい。学校で道徳を教えなくなったからとか家庭でしつけをしなくなったから、とか一人っ子が多くなって甘やかして育てたから、とか色々意見がある。ところがこの常識的な意見を超越した科学的な意見を持っている人が私の身近なところにいたことを発見した。安藤昇先生である。

 安藤先生が今から15年程前に書かれた「ファッショナブル渡世・吼えろ!男たちよ!」という先生から戴いた本を読み返していたら、「女の旬は三千日、早目に賞味すべし」という項目があった。チョッと抜粋しよう。

「昔から女は花に例えられる。花の命に似て“女としての命”もまた短い。女の旬というか、一番いい時期というのは、20歳から28歳くらいまでの、約8年間だとオレは思っている。これを日数換算すると3,000日。はかないものだ。

 タネをまいて、水をやって、芽が出て、蕾がふくらんできて、さあ開花ー、というところが20歳とすると、その蕾がパッと満開になるまでが、3,000日ということだ。

 桜なら、散り際が見事だが、殆どの花は徐々に萎んでいって醜態を晒す。女も同じこと。女の30過ぎは萎みかけた花で、50を過ぎればドライフラワーだ」

 後半の部分を女房にでも読まれたら家から追い出されそうだが、今日の言いたいことは、前半の部分である。

 私は常日頃から健康な子供を生む秘訣は、まず親が心身健康な状態で明るいSEXをすることが第一条件だと思っている。男女どちらかが病気の状態であったり、疲れていたり借金で頭が痛かったり、悩みごとがあったり、酒を飲みすぎて体調が悪かったり、の状態ではダメ。健康なタネを栄養豊富な土壌の畑に蒔いてこそ、りっぱな苗木は育つのです。

 1日の内でも2人が一番体調のいい時間帯に、まずは一風呂浴びて身を清め、合戦の前に神棚に手を合わせ、世界の平和を祈願し、布団の前にて正座して向かい合い、軽く一礼をする。親しき仲にも礼儀あり。呼吸が合ったらいざ勝負である。このぐらいの気持で事に臨めば、大志を抱くようなりっぱな御子が産まれてくるのは間違いない。

 それを、仕事で疲れて帰って来て、やることないから、まァやるか、とどうでもいいような義理種蒔き。これじゃいい木は育たないよ。

 そこで本題。最近、女の旬の3,000日の状態に結婚する女性が少なくなった。旬ということは、その一番いい時期、一番健康な時期、一番盛りということ。この時期に子供を産んでこそ一番健康で一番いい子が産まれる、ということなのに、今時の女性達がその素晴らしい権利を放棄しているのだ。

 そして旬を過ぎた、萎みかけた花の時期に子供を産む女性が増えてきた。中にはドライフラワーなのに子供を産もうとする女性まで出てきた。だから最近の子供はすぐ切れる…、壊れやすいのだ。

 先生の場合は有名人だから、“旬”のハードルが高くても、言いたいこと言っても女性に不自由はなかろうが、我々凡人は、30代を「萎みかけた花」とか、「50過ぎればドライフラワー」等と滅相もない。

 (女としての命でいうなら)30代も40代も充分旬で、萎みかけた花もこれまたオツで、ドライフラワーもまた真に味があるのである。

 
▼「兄弟」と一口に言っても顔形、性格、体つき、考え方と皆それぞれに違う。

 また逆に、父親のたった一滴からよくもまァ、こんな遺伝を受け継いで、等と感心するぐらい似てることも事実である(母親の場合は10ヶ月も胎内にいるので何故か“似てて当然”という気がする)。

 兄弟である筈なのに、何故にこうも違うのか、というのには私の自説がある。

 それは両親のその日の体調もさることながら、時代背景もある。貧しい時には家族が協力してしっかり計画を立て、夢に向かって一丸となって努力する。豊かになれば夢がバラバラになり、それぞれが自由(好き勝手)に動こうとする。

 国もそうである。戦後廃墟の中から立ち上がろうとする時のスローガンとバブルの時のスローガンでは全く違う。人もその時、その時代、その人生で考え方、生き方、体力、財政も変わってくる。オスの一滴がいつも同じ状態とは限らないのである。

 諸行無常とは、見える外ばかりでなく見えない内もまた同じである。そこへ持ってきて、受け入れるメス側の「旬」もある。だからこそ兄弟であっても一人一人違うのである。

 と思っていたら、最近、知り合いのお寺で野良猫が子供を5匹産んだ。ところが、同時に生まれた筈なのに、走り回れるようになったら皆遊び方が違うのである。暴れまわる元気な子もいれば、母親から離れないおとなしい子もいる。毛色も全く違う子もいる。これはどう説明すればいいのだろうか。

 一滴の中にも何億匹も精子がいるというから、多分その中にさえ元気な奴と優しい奴がいるのだろう。ボンクラ頭ではこのくらいしか思い浮かばないが、それよりも、その後のしつけ、教育が大切で、「人は環境で育つ」というくらいだから、親の影響というのは大変なものである。

 若貴兄弟の争いを見ていて、色んなことを教えられる。アフリカに貧しい難民がいるかと思えば、北朝鮮みたいに国家に虐げられ本音で話ができない国民もいる。若貴兄弟の自由な発言と家族の憎しみ合い、食べていくだけの金はあるのに身内で奪い合おうとする、ついこの間まで幸せな家庭の代表みたいだったのに、これ以上何が欲しいのか。

 人間の欲望には際限がないことを知るような事件であり、今の日本の病理現象を現わしているように思えて仕方がない。身内の誰かが言っていたように、貧しくても幸せはある、という心の豊かさを身につけなさい、ということだろう。

 郵政民営化が今どれほど大事なものかよくわからないが、それより自由を履き違えない若者、義務と権利を守る市民、毅然と物の言える国民、そして野良猫に施しを与える優しい山寺の和尚さん、が育つ環境づくりの方が今の日本には急務じゃござんせんかねえー。

 
▼私の故郷=島原半島はそうめんの町として有名である。知名度的に島原が有名だから「島原そうめん」として売り出しているが、その生産の殆どが須川地区という所で作られている。

 島原手述べそうめんはテレビ番組、全国ソーメン食べ比べ大会で優勝した実績もある。島原そうめんの中でも一番有名なのが正生屋本舗謹製の「須の川」ブランドである。現在の当主は七代目と伝統の味を守っている。

 夏になると私はここのそうめんが食べたくなるのである。という話を関東口加会(出身高校の同窓会)でしていたら、何とこの同窓会の重鎮(いや潤滑油?)とも言うべき永田幸治郎氏(偶然にも細君が私と同期生)の祖母家というからビックリである。

 しかも西有家駅前の天満宮にそうめん神社を作り、初代島原そうめんの組合長で銅像が建立されているそうだが、それが伯父というから2度ビックリである。そうめん好きの読者諸兄、一度「須の川」をご賞味あれ。イボの糸より2倍半ぐらい美味しいのです。正生屋本舗東京営業所は090-1451-3471の永田幸治郎までお電話を。

 
トップページ社主の独り言一覧
©2005 敬天新聞社
info@keiten.net