敬天新聞 令和7年7月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和7年7月号 4面)



▼人は、元百姓であろうが、商業者であろうが、何代か続けば「名家」と呼ばれるようになり、一代で終われば「成り金」と呼ばれる。初代と呼ばれる人の才覚が大きいのである。

歴史に名を遺す人の活躍は本やドラマで何度も見て知っているが、色んな地域にも隠れた歴史に名を遺すような人も数多くいる。
今はテレビなどで、日本の隅々まで色んな話題を取り上げるので、だいたい国中の色んな祭りや文化が分かるようになった。

初代で成功した人は功績を残すためか、必ずと言っていいぐらい大きな墓を作る。中には自分で自分の像を建てる人もいる。他人がその人の功績を認めて建てるのは素晴らしい事だろうが、自分で自分の像を建てるのは余り関心はしない。その人の感性だから別に構いはしないが。

子が親を尊敬して自宅に建てるというのは、その家の範疇であろうが。これはあくまでも筆者が思う考えなので、別に他人に迷惑を掛けないのであれば自由であろう。

よく百姓から天下人まで成り上がった豊臣秀吉の例が挙げられるが、今は何十代目か知らないが、間違いなく名家である。長く続くことが名家を支えるコツなのかもしれない。

途中の代では苦しくて辞めたいとか、代を継ぐことに何の意味があるの? と自問自答した人だって居た筈である。それでも頑張って生き抜いたことで名家が作り上がったという事になろう。

徳川家だって豊臣家だって、一代、二代で終わっていれば、その人物は誉れ高かろうが、その人の武勲が語られるだけなのである。やはり代々引き継いでこその名家なのである。それに人は代々続いた歴史を見ることで、その時代に自分も入って郷愁を感じる事が出来る。

突然江戸時代とか言われても、遠すぎた過去で、「本当にそんな時代ってあったのかな〜」と感じるものだが、例えば徳川家の家系図を見ると、徳川家康まで繋がって行くので、「あ〜、本当にそんな時代があったんだな〜。関ヶ原の戦いも本当にあったんだ」とより実感できるのである。

実際には今に繋がる家系図で一番古いものが、どのくらいのものがあるのか知らないが、畳何十畳分にもなるんだろうな〜。



▼夫婦と言うのは、昔は「添い遂げるもの」と固く信じられていたが、今は「その時、その時のパートナー」という感じで、「必要と感じる時だけの関係」になったようである。 出会いの場を提供する婚活というビジネスの中での高齢者部門を見ていると、今は女性の方が活発で、離婚歴3回、4回と言う兵(つわもの)が普通にいる。

新しく生活を始めても、子供が前の旦那の子だったり、その前の旦那の子だったりと、最近では普通にあるようである。

当然墓に入る時は最後の旦那の墓に入るのだろうが、そんなに割り切って、入れるものだろうか? ま〜、死んでしまえば、この世に居ないわけで、孫までは兎も角、ひ孫、玄孫となると、全く情愛は湧かなくなるだろう。

一応、形の上では50回遠忌とかはあるが、殆ど形式状行われるだけで、それも現状の主催者がある程度豊かである人が行うだけである。生活に余裕がなければ、一周忌さえやらない人もいる。こういう風習でさえも、いずれは亡くなる運命かもしれない。

信仰に一見熱心なように見える新興宗教も熱心に進行してるのは新人信者ばかりで、幹部の方は勧誘や金集めにばかり熱心で、信仰心には疑問符が付く。ビジネスの為の信仰と言われても仕方がないような団体があるのも事実である。

子供の時には、間違いなく何をやっても女性の方が強い。男性が女性に体力で勝つようになるのは、小学校、三、四年生になってからである。世界的傾向から見ても男尊女卑の国ほど、生活水準は低く、発展も遅れている。

例えば国内でも、地方に行けば行くほど年配者には男尊女卑の雰囲気は残っているようである。若者には殆ど当て嵌まらなくなっては来てるようだけどね。

昭和時代の人が亡くなる頃には、日本も欧米並みの男女平等時代が来るかもね。と言う事は、相手を倒す、せん滅するというのが究極の戦争の目的なわけだから、戦争が無くなれば、本当の意味での男女平等社会が出来上がるのかもしれないね。

昭和が始まって100年、戦後80年。もうそろそろ新しい社会に踏み出してもいいかもね。ただし、国防や防犯意識を忘れたら犯罪者や無法者、ならず者国家が侵略してくることも忘れてはいけません。防犯も国防も国民の責務です。



▼若い時には不良っぽい人間が魅力的に見えるのだそうだ。大人からの押さえつけられた子供社会にあって、反抗する勇気が、強さや逞しさに見えて、女性からは魅力的に見えたのだろう。

そんな不良少年も大人になったら、普通の人間になって、若い頃のようにはモテなくなるのだそうだ。やはり大人になると知識も付いて女性も計算高くもなるのだろう。

三田三丁目の床屋の近所でスターである寺ちゃんは只の酒乱であるが、多分その酒乱の部分が、真面目に生きて来た老婆から見れば、不良っぽく逞しく見えているのではないか。

ついこないだまで、「78歳と84歳の恋なんて信じられない。しかも狭い風呂桶に彼女が前を向いて前側に座り、同じ方向を向いて寺ちゃんが後ろに座り、彼女が後ろに手をまわし、一物を洗い、寺ちゃんは後ろから年季の入ったパイオツの先に付いてる南高梅を洗ってあげるのだそうである」と、このシーンをもう何回書いた事か。

普通ここまで具体的に書くと、「やめてけれ、やめてけれ、やめてけ〜れゲバゲバ♪」と苦情が来そうなもんだけど、大恋愛中の二人にはどこ吹く風なのか、「蟻の門渡り黒門帖、南高梅の垂れ下がり」と呪文を唱えながら、楽しい日々を送っていたのであるが、最近は縄張りの新橋・万世にもてっきり顔を見せなくなった。

心配になってこちらから電話した時も、本人が直接出る場面も少なくなり、時間を置いて折り返しでかかって来る場合が多くなってきたのだ。

たまにかかって来る電話の様子からは、今までと違って、声もかすれて、昔のような覇気がない。それでも一応ダジャレは言おうとするが、昔ほどの切れも無く、殆ど蛇足レベルである。

自己説明に寄ると、頭の体積だけは変わらないようだが、体重が10キロ以上落ちたと言う事だった。病院に入院する回数が増えているようである。

寺ちゃんは周りを明るくする天性の才能を持っているので、あと5年は新橋の万世と三田三丁目辺りを明るく照らして欲しいのである。

寺ちゃんを唯一、独自の占いで説得する能力を持つ藤元正義先生も、正気塾の若島和美塾長も、私を含めたカルテット300歳のメンバーとして、寺ちゃんの帰りをひたすら待っているのである。


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