(敬天新聞 令和7年11月号2面)
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| 昭和42年 嶋田一郎先生と溝田良英先生 |
| 島原郷愁 |
令和7年9月20日、私(社主白倉康夫)の故郷である長崎県南島原市で、南有馬町少年柔道部の創立60周年記念式典並びに祝賀会が開催された。会場となったのは、世界遺産「原城跡」の目と鼻の先にある原城温泉「真砂」である。
南有馬町少年柔道部が60年も続いたのは、指導者である溝田良英先生のご尽力によるものだ。私にとって柔道と溝田先生との出会いは、その後の人生に大きな影響を及ぼした。
弱い者イジメや嘘つきが大嫌いな性分で、小・中学校でガキ大将だった私は、その延長で大人になり社会の不条理に戦いを挑む敬天新聞社を発足した。
法に反し罪を問われることや「反社」呼ばわりされることがあっても、世のため人の為という原点と「義憤」は決して忘れない。
溝田先生はまさに私の恩師である。私が生涯恩師と慕うのはただ二人、高校の担任だった池田親俊先生(二千年の歴史を誇る昊天宮の長男)と溝田先生だけである。また看護師である溝田先生の奥様は、私が国士舘大学の在籍中に、男の事情で大怪我をして入院した時、献身的に手当てをして下さった恩人である。
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| 昭和41年長崎県少年武道大会 準優勝 前列中央は筆者 |
この南有馬町少年柔道部は、地元中学校の柔道部で指導していた長崎県口之津警察署蒲田駐在所に勤務していた嶋田一郎先生が、勤務中に柔道は出来ないので、時間がある時に指導にあたってくれないかと溝田先生に相談したところ、引き受けた溝田先生が、中学校の部活動は帰宅時間が決まっていて、充分に指導が出来ない事に端を発して始めた道場である。
以後、少年の健全な育成と犯罪防止を目的に、柔道を通じた指導にあたり、町の教育委員会等の協力を得て、正式な団体として結成式が行われたのが昭和40年8月16日である。
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| 旧練習場 南有馬町公会堂 | 創立40周年を前に新設された南有馬武道場 |
長らく雨漏りするような講堂で稽古をしていたが、創立40周年式典の開催前に、国際試合もできる二階建ての立派な武道館を立てることが出来た。私も南有馬町少年柔道部の初代主将として、何か恩返しさせて頂きたいという思いから、武道館新設に至るまでに、精いっぱい協力させて頂いた。
平成17年9月25日の創立40周年記念式典には、私の母校である国士舘大学柔道部監督であるオリンピック金メダリスト・全日本柔道男子監督(当時)の斎藤仁先生が駆けつけて下さった。
この度の創立60周年記念式典には、南島原市長松本政博氏と長崎県議会議員中島浩介氏の他、地元の県議市議の他、衆議院議員加藤竜祥氏や長崎県柔道協会会長佐原恭輔氏など多くの方が参加して下さり、祝辞を頂いた。
こうして溝田先生の努力と人柄で、南有馬町少年柔道部は60年続いている。その間、多くの若者を世に輩出してきた。
こうした地方での地道な活動が、青少年の健全な育成に寄与し、やがて町や国の礎を担う大人を育成するものだと確信している。
人知れず地道な活動をしいる人達や団体は、全国に数多あることだろう。地方の過疎化や人口減少など、厳しい環境でも、信念を持ちボランティア精神で頑張っている人達もいるだろう。そういう力が折り重なって、日本を支えているということを忘れてはならない。
南有馬町少年柔道部と溝田良英先生の益々のご繁栄とご多幸を祈念申し上げます。また地元で活動を支え続けている皆さんには、心から感謝申し上げます。
創立40周年記念講演 斉藤仁先生
溝田先生、斉藤先生と少年柔道部創立当初のOBの皆さん