(敬天新聞 令和7年11月号 4面)

▼伊東市の田久保真紀市長の完敗が決まった。本人の投稿記事を見ると、殆どが本人の顔写真入り記事である。普通自分に不利な情勢で世の中が動いてる時は、自分の顔は隠したいものである。
ところが彼女は投稿の度に自分の顔写真を掲載している。顔に相当自信があるのだろう。恐らく小さな飲み屋をしてる時から、常連さんに「ママは綺麗」とチヤホヤされて、日常的にお客さんと色んな政治談議をしてきたのであろう。
中には伊東市の政治や政策に詳しいお客さんも居たことだろうし、そんな人たちとの会話のやり取りの中で、段々と政治に詳しくなり、常連さんから「ママは政治に詳しいし、今の市長も市民の方を向いてないし、思い切ってママが市長選に出てみたら?」と言う声も出て、一部の常連さんから「ママを伊東市長にするファンの会」みたいなものが出来たんじゃないだろうか? おそらく店では「東洋大学卒」という風に名乗っていたのではないだろうか?
自分の店で来店するお客さんに対して「東洋大学卒」と名乗るのは、許容範囲であろう。実際に入学して大学に通って居れば、仮に東洋大学の先輩か、同期か、後輩が来ても、大学時代の話も近隣の商店の話も出来るわけだし、誰に迷惑もかけるわけではない。
そのお客さんたちから担がれた手前もあって、最後まで「今更嘘と言えない」という姿勢を貫いた結果が現在を招いたのではないか?
弁護士は途中から嘘であることを見抜いてる筈である。であるなら、何処かで芝居を辞めさせるべきであったろう。弁護士の援護射撃が益々田久保市長の迷走に拍車をかけたのも間違いない。
夜の世界の厚化粧は、綺麗な人は、より綺麗に見えて、そうでない人もそれなりに綺麗に見える世界なのである。そこを田久保市長は勘違いしたのかもしれない。昼の世界でも十分通用する容姿でありながら、それ以上に何を繕う必要があったのだろうか? 自業自得である。
市長を失職したなら、再び市長選に立候補しないことである。立候補したら、今以上に袋叩きにされて、当選の可能性も殆どないだろう。
しばらくはマスコミも五月蝿いだろうが、兎に角表に出ない事である。マスコミがどんなに魅力的な話を持って来ても、当分は乗らないことである。何年か経てば世間も忘れるだろう。それまでは表に出ない事である。
ファンクラブに金でも出して貰い、小さな店でも出せば、また直ぐに応援男子も集まるんじゃないの。いや今度は応援爺かな?

▼日本のプロ野球とアメリカの大リーグでは、50年前には月とスッポンぐらいレベルが違うと思っていたけど、日本の一流選手なら十分通用するレベルにあることが、今は証明された。
最近毎日大リーグの放送をテレビでやるようになったから、仕事の傍ら見てるのだが、日本の野球に比べて大雑把である。バッターもホームランか三振だし、守備もエラーが多い。日本の野球を見慣れていると、腹が立つ時が多い。しかし当人たちにとっては、一流になってからの報酬が桁違いに高いので、夢を求めて世界中から選手が集まるのはわかる。
イチロー選手や野茂選手、松井選手も、今だったら、もっと活躍したかもしれない。大リーグを身近なものにしたのは、大谷選手の二刀流の大活躍であるのは間違いないが、多くのファンが惹きつけられるのは、あの何処までも穏やかな雰囲気である。あれだけ老若男女を惹きつけたスポーツマンは、日本にある全種目を合わせたスポーツ選手の中にも居なかった。
自分の人生目標を若い時から老年になるまで、きっちり描いて、それを実践している実力が凄い。それに何と言っても、あの爽やかさが素晴らしい。恐らく中年や壮年、老年になっても変わらないのだろうが、大谷選手の壮年や老年になった姿が筆者は見れないのが残念である。
世界にはまだ見たことも無いようなスポーツが沢山ある。中にはまるで喧嘩のようなスポーツもあるし、子供の時によくやったドッジボールみたいなスポーツでさえプロがあるようだ。
日本では老人のスポーツ代表のゲートボールも、ところ変われば、玉を転がして相手のボールを外に押し出す物もあれば、砲丸投げの玉のような重たい球を転がす競技もある。また国によっても人気スポーツは違う。楽しむスポーツもあれば、力や技を争うスポーツもある。
だけど、老人になったら争うスポーツは合わないね。やはりやってる時も、終わった後も、穏やかで笑い合いながら、談笑出来るスポーツがいい。運動神経もそんなに必要ない遊びがいい。
それにしても大谷翔平選手と言うのは、典型的な漫画に出て来る主人公だね。ナショナル・リーグの4連勝目で勝利した勝利投手の日、一人で3本もホームランを打つんだから、本当に漫画の世界である。
去年も一人で9打点だか取った日があった。敵も味方も、全選手が口を開けてポカ〜ンとしてたけど、テレビで見ていた我々も、ビデオを見てる感じだった。あと何年大谷選手の活躍が見れるかな〜。

▼評論家の田原総一朗氏が新しく自民党総裁に選ばれた高市早苗議員に対して、自分が司会を務めている番組の中で「死ねばいい」と発言したらしい。番組の一番中心になって企画を進めて行く立場の人間が、新しく自民党の総裁になった議員に対して「死ねばいい」という発言をしたというのであれば、間違いなく「放送事故」である。番組の打ち切り決定は当然である。
歯に衣着せぬ発言が田原氏の売り物ではあるが、番組の司会者としては、あまりに言い過ぎではないか。最近は時々言い過ぎた発言で物議をかもす事が増えた。おそらく炎上狙いと言うより、年齢から来る判断の間違いなのではないか。九十一歳と言えば、体力だけでなく脳も相当退化する。
自分が嫌いな人と言う趣向は誰にである。だけど、陰では言っても公の場では口に出さないのが司会者の常識である。況してや放送電波の前では尚更口には出さない。もとより、ズケズケ言う事を売りにしてきた番組だから、本人はそんなに違和感が無かったのだろうが、政治解説の専門家が番組の中でいうセリフではない。
相手に有無を言わせず、自分の意見を押し付けるところは昔からあったが、他の司会者に比べて、言いづらい事、聴きづらい事を、ズバッと質問するところは好きだった。ただ対談相手より自分の意見を言いすぎる感は昔から批判の対象ではあった。その為いい企画ではあったが、視聴率も余り伸びなかったのではないか?
私も何度か彼の司会の番組に誘われたことはあったが、参加しなかった。限られた時間の中で、彼の雰囲気に引っ張られてしまう危険性があったからである。今回の発言には「老人性痴呆」が少し入ってるのではないか? 彼流の発言にも聞こえるが、それにしても「死んでしまえばいい」と言う発言は田原総一朗にしても度を過ぎた言葉である。勿論、一議員としての高市早苗氏なら、早速受けて立とうが、総理大臣になった今の彼女なら、恐らく一笑に付して気にも止めないのではないか。
ま〜、爺さんの戯言と聞き流して、許してちょんまげと言うのが、大多数の意見ではないのかな〜? 田原総一朗氏にレッドカード! 高市早苗総理大臣ご立派と思った次第。この記事を書いてる時に高市早苗自民党総裁が、日本の総理大臣に選出された。これでアメリカとの関係は取り敢えず一安心であろう。

▼自国でどんなに戦争反対を唱えても、仕掛けて来た相手には通用しない。今世界中で起こってる戦争や争いを見ても、「うちは争いはしません」と幾ら念仏を唱えても、相手は一切お構いなしに攻めて来る。しかも弱い者ほど狙われるのである。相手の事情など全くお構いなしである。
大体の理由は、自国に独裁者が現われた時、自国に有利な条件が整った時、相手国が弱体化して隙だらけの時などであるが、全て自国の都合での判断である。いま起きてる多くの戦争を見れば、一目瞭然であろう。
トランプアメリカは相手構わず攻め込んでいくが、それはずば抜けた戦力を持ち勝てる自信があるからである。実際にアメリカが武力攻撃しても、どこも本気でアメリカに反撃しようとは思わない。本格的な戦争になれば、とてつもない被害を受けることを知ってるからである。
世の中は何処まで行っても、強い者が優先できるようにできている。イスラエルとハマスの戦いでも、イスラエルだけならハマスも長年抵抗してきたが、トランプアメリカが仲裁に入り出したら、了解する意向である。良識的に見えたバイデンアメリカより、暴君に見えるトランプアメリカの方が、現実的な説得力があるし、やはり怖いのである。
理想は争いのない世界であるのは分かるし、話し合いで全てが解決できればいいのはわかるが、言葉が違い、歴史が違い、敬うものが違い、理想まで違えば、対宇宙人が出て来ない限り、なかなか現実には難しい事である。そのためには、隙あらばと狙ってる敵国に弱みを見せない完ぺきな防御が必要である。あくまでも戦争の為の準備ではない。隙を見せない防御である。
例えば不良外国人の入国を厳しく制限する。日本で犯罪を犯した外国人は自国に強制送還して、再入国禁止にするというのは、別に差別でも何でもない。何処の国でも普通にやってる事で、働きに来ようが、移住であろうが、その国に出掛けたなら、その国の習慣、規律、法律、憲法に従って生活するのが当然のことである。
豊かな国なれば、貧しい国から幾らでも入国して来ようとする。無制限に開放すれば、あっという間に秩序は乱れ、無法化してしまうだろう。そうなる前に厳しく規制して犯罪者を入国できないようにするのは国民の安心・安全に最も必要な処置である。
高市早苗新総理大臣には大いに期待したい。おめでとうございます。