敬天新聞発刊から見る平成の回顧

(敬天新聞 平成31年4月号 2面)


改元を目前に控え、平成という時代の回顧があちらこちらで聞こえてきた。

敬天新聞社が新橋駅で街頭演説を始めたのは、平成六年頃だったろうか。昭和五十年代後半から六十年代初頭の所謂バブル景気の時期に、それまで真面目で誠実な印象であった日本の銀行員が、地方の隅々まで練り歩き、生活に不自由の無い老夫婦にまで、不動産を担保に多額の資金を貸し付けたり、高級なゴルフ会員権を売り歩いていた。不動産も会員権も何倍も値が上がり、持っていても損はないという触れ込みだ。当時は誰もバブルが弾けようとは思っていなかった。今だから言えることだが、現代に置き換えると、リスクを無視して勧誘する投資案件に他ならない。確かに儲けた人もいようが、金融商品や時世に無知で言われるがままに応じてしまった人たちは、バブルが崩壊すると、自宅も家族も財産も失うことと成った。銀行は非情にも街金さながらの取り立てに疾走した。金を工面できず街金に手を出し、追われる者も多かった。そんな不条理を目の当たりにして奮起し、銀行の責任を問うために拡声器を持って、とある銀行本店に「自分たちの責任は棚に上げ、弱い者いじめをするんじゃない!」と怒鳴り込んだのが、いま思えば活動の始まりであったのかもしれない。新橋の演説開始から二年後の平成八年に弊紙は発刊された。新聞の軌跡を本号で紹介しようと考えたが、紙面のスペースに限りがあるので、いくつもの記事から選定するのは難しい。今では手持ちのパソコンで紙面を作成するのが当たり前の時代となったが、嘗て原稿は全て手書きで書き込み、写真は手作業で台紙に貼り付けて印刷所で作成していた。その頃に作った紙面は、ホームページで閲覧することが出来ない。

そこで、希少な創刊号と第二号の一頁を掲載することにした。


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(三面に続く)☆☆☆


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